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アーカイブ:その他の主張集(3)

このサイトの公開を始めてからいつの間にか2年が経過してしまった。
最初は何とか読者を増やそうと頑張っていたのだが、最近は、あまり気にしないようになってしまった。 何故なら他にある立派な主張のサイトのカウンタを見てもこのサイトと大差ないことに気付いたからだ。 しかし、大したことない(といっては失礼だが)サイトでも妙にアクセス数が多いものもある。

このサイトもできるだけ多くの方に読んで頂きたいので、できるだけ頑張って続けたいと思います。

たばこカード等

2005/05/29
これも下書きのまま塩漬けになっていたものの一つである。 我ながらルーズだとは思うが、大切な内容だと思うのでここに載せることにした。

2005年の4月上旬のことだった。 特ダネというテレビ番組を見ていたら、オープニングトークで煙草に関する話題を2つ紹介していた。

ひとつは、山火事の原因の1〜2割が煙草によるものなので、 乾燥警報などが出た際に、山での煙草の使用を禁止する条例が施行されるのではないかという話題、 もう一つはたばこカードに関する話題というものだった。

前者については、同番組の中である人が、 "それ(警報が出たということ)を知っていなければならない訳ですね。" と突っ込みを入れていた。因みにこの人は、発煙者ではない。 この発言は、どのような背景から出たものかは分からないが、とても重要なものだ。 日本の刑法体系では、特別な場合(過失であっても罪になることが法令で規定されている場合)を除いては、 処罰するためには、故意が必要となっているからだ。 異常乾燥警報が出たか出ないか毎日チェックしている人は稀だろうから、 それを知らないことが重大な過失になるとは考えにくい。 従って、この条例は、はじめからザル法(条例だが)を目指して出発したものだと想像できる。 ザル法にしたくなければ、完全禁煙にすればいいことなのだ。 元々、法令を遵守する発煙者は、火を不始末することは少ないと考えられるので、 法令など気にかけず、自分に罰則が及ばないことだけを考えている発煙者とは区別しなければならない。 山火事を起こしているのは、後者であると考えられるので、 どうせするなら予防効果の期待できる法令にすべきなのだ。 勿論、完全禁煙にしたって、どうせ取締りなどできないのだが、心理的効果はこちらのほうが多少高い。 効果の期待できない規制は殆ど意味がない。 やはり利害関係者への配慮を疑う事例のひとつだ。

後者は、業界団体がたばこカードを発行し、 これがなければ、2008年4月1日以降は自動販売機で煙草を買えないようにするというものだ。 もう少し詳細な情報を探していたら、大手新聞のサイトにも記事があった。記事の要点は次のものである。

(1)カードは自動販売機で購入する際に必要である。
(2)カードは業界団体が発行する。
(3)カードから読込む情報は生年月日である。
(4)カードの申請手続きは郵送で可能である。
(5)カードの発行手数料は無料である。
(6)カードを"紛失"した場合にも無料で再発行する。

これも、前者と同様ザルを志向した方法であることは明らかである。どのような点が明らかかというと、まず、
(1)自動販売機での使用に限定していること。即ち、規制しているように見せているだけだ。
(2)業界団体が発行すること。すなわち、運用が可能な限り業界寄りに柔軟であるということだ。
(3)本人確認は行わないということ。カードがあれば誰でも買えるということだ。
(4)郵送で可能にしたこと。簡単に云えば死んだ人でも良く、誰にでも発行できるということだ。
(5)手数料を無料にしたこと。即ち、発煙者の心理的抵抗感を弱めたということだ。
(6)再発行すること。無くしたと称して売る人も出るだろう。 全人口の数倍から数十倍以上のカードが流通すると予測できる。或いは勝手に送りつけられるかもしれない。 何故なら、不要なカードは未成年に転売できるからだ。

これは、筆者が以前提案した電子マネー化を1億歩位後退させた内容である。 これ以上書いても虚しいが、こうやって発煙者は騙され続けるのだ。

米英たばこ事情

2005/05/29
別なところで書いたのだが、筆者は外国に行くことが比較的多い。 7年と少し使用したパスポートを見たら帰国のスタンプが22個押してあったので平均よりは少しは多い位だろう。
今回は米英に続けて出張する機会があったので、それについて書くことにした。

先ずは、米国についてである。 米国にはかつて仕事で2年間滞在したことがあり、またその後も出張でちょくちょく出かけている。 自分にとっては馴染みの深い国である。 いいところとわるいところと両方あるが、どちらかというと良い面が目につく。
良い面はといえば、理性的に行動する人が多いことだと思う。 勿論人によって千差万別だが、我侭で傲慢な感じがしないことが多い。 例えば、煙草を吸わせろと言って騒ぐ人は見たことが無い。 日本人よりはルールを守っている人が多いように見える。 全体的におおらかで、細かいところをあげつらって部下を威嚇するという上司も見たことがない。 頑張れば認められるので働きやすい国ではないかと思う。

悪いところはと云えば特に書くほどのこともない。 十数年前の日米の比較では日本人のほうが優れていると思う面が多かったが、 最近の日本は教育の凋落、意識の低下が続いているので、 今は全体的には米国人のほうが優れているように見える。 少なくとも大学以上では米国人のほうが圧倒的に優秀なのではないだろうか。 日本の大学生は勉強しない人が多すぎる。 それに、サービス業に従事する人を見ても最近はダメ日本人が特に目につくようになってきたのに対し、 米国人には多少改善が見られる。 十数年前に初めて米国に住んだときは、米国人は日本人に比べて気の利かない人が多いと思った。 しかし最近の日本では、とんでもない人も見かけるようになった。
例えば、コンビニのレジで袋に2リットルのボトルを4本も入れようとする人、 アイスクリームと雑誌を同じ袋に入れる人など、"気は確かか?"と思うような人が目に付くようになってきた。 資源のない日本で人々が生き残るためには、勤勉以外には方法がないように思うのだが如何だろうか?

さて、今回訪問したのは東部の2つの州である。 最初はマサチューセッツ州ボストン近く、次にペンシルベニア州の地方の村(?)を訪問した。

ボストン近郊はさすがに米国だけあって室内に排煙場など一つも見なかったし、 煙草のにおいを付けられたことは一度も無かった。極めて優秀で、こういうところに住めば、 少々外出してもシャワーを浴びずにベッドに入る気になる位だ。
ペンシルベニアの田舎はちょっと遅れていて、レストランに発煙席があったりして少し不満足な面があった。 とは云っても、日本に比べると天国のようだ。

米国の食事はまずいと良く云われるのだが、自分は最近段々評価が変わってきた。 日本のほうが不味い食事に当ることが多いように思えてきた。 その最大要因は煙草によって不味くなることであるが、 それ以外に、化学調味料の多さが気になってしょうがない場合が多いのである。 別な項で書いたように、 化学調味料は、煙草で鈍った味覚を誤魔化すために多用されると考えているのだが、 米国で食事をするとそれを特に強く意識するようになる。 米国の場合は、旨い不味いは別にして、素材の味がそのまま出ているのである。 これに慣れると多少調理が下手なのは許せる気持ちになってくる。 共に移動した米国人は、化学調味料(MSGと呼ぶらしい)を食べると具合が悪くなると云っていた。
数週間の出張だったので日本食が恋しくなることは特になかった。 他の方の評価はどうなのだろうか?発煙者以外の評価を是非聞いてみたいと思う。

米国でも日本より少ないながらも発煙者は居る。 日本人の発煙者はすぐに分かる場合がかなりあるのだが、 米国の発煙者は日本人よりも判別しにくいようだ。 何故か日本の発煙者程は下品に見えないように感じた。 日本人ほど発煙中の表情が独特ではないように思う。 日本人の場合は発煙中は態度がでかく下品さを丸出しにすることが多いと思うが、 米国人の場合は何気なく発煙しているように見える。 文化の違いだろうか?そうではなかった。 米国人の場合は、発煙禁止(Smoke Free Zone)と明示してある場所で発煙している人を見ないからだ。 この差が大きい。

さて、米国を離れて英国に移ると、状況が少し変わってしまう。

初めての英国はちょっとショックだった。 先ず、禁煙の駐車場に行くと何故か煙草のニオイがした。 振り返ってみると高齢の女性が発煙していた。 数人の仲間と一緒なのだが一人だけ発煙していた。 その姿は日本人放煙者と同じく非常に下品であった。 世界全国放煙者はやはり下品で迷惑なのだ。 米国人の発煙者も見たが、禁煙の場所で発煙している姿は見なかった。

更に迎えに来ていたタクシーに乗ると日本のタクシーと同等以上にクサかった。 喉は痛くなり吐きそうになってしまった。 ホテルに着くと室内に灰皿が。 日本のマシなホテルよりは酷い状況だ。 客待ちタクシーの運転手が発煙しているのが見える。 ロンドンの街を歩けば東京と同程度の放煙者が目につく。
どうも英国は好きになれなかった。

しかし、それから仕事で英国の同僚とじっくり話をしながら夕食を採ると、印象が変わってしまった。
彼の部署には発煙者が居ないのだそうだ。 あるとき彼が発煙者を採用したら困ってしまったという。 なにしろその発煙者は臭かったので、同僚たちが皆困ってしまったのだそうだ。 その発煙者は既に居なかったので、辞めたかクビになったかしたのだろう。

また、レストランは、未だに発煙席があるところが多いが、 発煙者自身が日本よりずっと少ないため、禁煙席では困ることは無かった。 米国の都会よりは劣るが日本と比べると天国だ。

因みに英国についてもう少し書くと、ロンドン付近の物価は驚くほど高い。 タクシーは世界一高いと云われる日本と同程度で、 他のものはどれを見ても日本の1.5〜2倍程度に見えた。 米国から移動したところだったので、余計に酷く見えた。 物の値段を見ると、ポンドをドルで置き換えてもまだ高く感じる位だ。 既に日本は一番物価が高いというのは神話になっているのだと思う。 東京を良く知っているせいもあるが、少なくともロンドンほどどこに行っても何でも高いという感じはない。 煙草の問題さえなければ東京は住みやすい地域なのだと思う。 しかし、煙草の問題を考えると、やはりロンドンのほうがずっと良い。


法律の話あれこれ

2005年5月29日

以下の3つの話題は何れも書いてから、頭を冷やして考え直そうと考えて塩漬けにしておいた話題である。 書いたのは、ファイルの日付によると2004年の12月17日になっている。 昨年の12月から今年にかけては、自分にとって大きな変化のあった時期だった。 個人的なことを書くと、筆者は今年の1月を最後に前の会社を去り転職している。 更新が一時期途絶えていたのは転職のためである。 この話題もアップロードしようかどうか考えていたが、ある掲示板を読んだのをきっかけに、 この話題を読み返してみて、公開に耐える内容になっていると考えたので、やはりアップロードすることにした。 内容は昨年書いたときのままで、修正はしていない。

以前にも書いたが、法律の専門家ぶる人は、実は全く勉強していないのである。 筆者の場合は、多少法律をかじったが、決して専門家ではないことをお断りしておく。 では、以下お読みください。


あるホテルで


2005/05/29

自分の場合、なにかひとつのきっかけで、その後がどうもうまく行かないようになることがよくある。 自分の場合だけなのだろうか。一度うまく行かなくなったら、その後の修正は容易ではない。 これもいつも思うことだ。

先日、仕事で東京近県のある市に滞在した。 そこは、工業地域のある市であり、多分観光などは少ないのではないかと思う。 工業地域にあるホテルは、工場の工事その他の作業などで需要があるため大した競争がなく、 あまり営業努力は見えないことが多い。 自分はそれが嫌いなので、できるだけ、そういうホテルには泊まらないようにしている。 しかしながら、仕事の都合で止む無く止まらざるを得ないことがある。
今回話題にするのは、ご多分に漏れず、そのようなホテルでのことであり、具体的な地域名とホテル名は出さない。 自分が訴えたいのは、社会の問題であり、個別の営業の問題ではないからだ。

そのホテルは、その地域では、それなりの格式のホテルであり、"大きな"という意味の言葉を屋号に使用している。 2003年の秋に煙草問題日記で(良くない例として)話題にしたホテルと名称が似ている(当然そちらも具体名は挙げていない)。

まず、このホテルでがっかりさせられたのは、禁煙ルームが無いということである。 更に、ロビーには至る所に、灰皿が置いてある。 この点については、前回宿泊した時点で指摘しておいた。 しかし、このホテルが、改善する訳のないことは、簡単に察しがついていた。 何故なら、指摘したときに下記のような会話があったからだ。記憶の範囲内なので、要点だけ記す。

Stinks: 禁煙ルームはありますか?

係員: そのようなものはありません。
(註:ないのが当たり前という感じに面食らった)

Stinks: いうことはそれだけですか?それ以上云うことはないんですか?

係員: え?当ホテルにはそのような部屋はありません。

Stinks: だから、そのような場合には、何か云うことはないんですか?貴方はは客の要望に応じられないんですよ。


係員: ....
Stinks: そういうときは、申し訳ありません、とか、上の者に伝えます、とか言うものではないのですか?

係員: ....申し訳ありません。上の者に伝えます。
(ただのクレーマーではないので、下記の内容も付け加えた)

Stinks: 今は、ちゃんとしたホテルは禁煙ルームを提供するのが常識になっています。 禁煙ルームから先に予約が埋まるのですよ。
(少し、なるほど、という感じが分かった)
その他も少しやり取りがあったが、この時点で、このホテルは使えないな、という印象が出来上がっていた。



その後、このホテルには宿泊したのだが、やはりどうもうまく行かなかった。 話がそれるので、補足として下記する。


その後、気は進まなかったが、他に選択肢があったわけでもないので、このホテルに宿泊した。 そして、また、フロントで、面倒なことになった。 きっかけは些細なことだったのでどうでも良いが、いい加減頭にきていたので、 ついこのホテルは、ロビーに灰皿置いてあるし...と苦情を云うと、隣に居た係員が、口を出した。

(係員)ロビーに灰皿を置くことは認められています。撤去する義務はありません。見苦しいですよ。

(Stinks)健康増進法をご存じないんですか?義務付けられているんですよ。条文をご存知なんですか?
そんな義務はありません。警察に通報していただいて構いませんよ。私は法律の国家試験を受けたことがあるんです。

(Stinks)司法試験ですか?

(係員)そうです。

(Stinks)今でも勉強していらっしゃるんですか?

(係員)いいえ。

(Stinks)健康増進法には、罰則規定がないとおっしゃっているのですか?罰則はないが義務はありますよ。 NHKの受信料だって、罰則規定はないけれど、支払い義務はあるんですよ。それと同じでしょ?
....


これ以上話しても無駄なのは自明だった。 それと同時に明らかになったのは、彼が試験に合格しなかった理由だ。 理由はいろいろあるが、最も明白な理由は、法律を全然理解していないことだろう。 義務があるのと罰則があることの違いを理解できていないのだから、他の知識も推して知るべきだ。

法律家ではない普通の人が、"罰則がない=義務がない"と考えるのは、別に変ではない。 間違っているのだが、法律家ではないので仕方がない。

このような義務は他にもある。 例えば、憲法27条にある、国民の勤労の義務、同12条の、自由と権利は、 不断の努力によって保持しなければならない義務や権利の濫用をしない義務など、 罰則規定のない義務は他にもある。 また、別な項で書いたとおり、憲法25条2項では、国に公衆衛生の向上と増進義務を課しているのだが、 同1項にある、国民が健康で文化的な最低限度の生活を営む権利と同様、 具体的な施策があって初めて実効を発するようなプログラム規定もある。 罰則規定がないからと云って、義務がないというのは憲法を軽視しているのと同じことだ。

というか、義務というのは元々罰則規定がないことが多いのではないだろうか。 例えば、刑法199条に、"人を殺した者は、死刑又は無期若しくは三年以上の懲役に処する。" という条文があるが、これを、"人を殺さない義務"などと云うのだろうか? 禁止事項がある場合は、罰則があることが多いのだが、 "...しなければならない"といった義務には、罰則がないことが少なくないような気がする。

また、上記の議論に戻ると、そのホテルの係員が健康増進法についても条文も読んでいないということは、 法律の条文まで戻って考えるといった思考がないことも明らかだ。 普通は、"司法試験に落ちました"(別な表現ではあったが)なんて、態々自分から恥を晒すことはしないだろう。 他にも一人だけ、司法試験を"受けた"ことを自慢する人に遭ったことがある。 この人もやはり、具体的なことは忘れたが、基本的なことが全然理解できていないと感じさせた。 こういう人たちは、試験に頻出の判例や学説だけを頭に詰め込んで試験に臨んだのではないかと思う。 法律家としての心構えのできていない人が合格しないというのは極めて自然で、それが正しい姿なのだと思う。

自分が適当に法律を勉強したところでは、法律や法学を通して、ものの考え方や、 人間を扱うために適切な処置を学ぶのが筋ではないかと思う。 リーガルマインドという言葉もだいたいこんな概念で捉えている。 則ち、法律家である前に、物事をわきまえた"人間"である必要があるのだ。 詰込み勉強でパスした裁判官など何の価値もないのだと常日頃から感じているし、 専門家もそのようなことを主張している。 法律の専門家を目指すなら、法学に惚れ込んで欲しいと思うのだが、実態はかなり違うのだろうか?

そもそも、今やコンピュータによるデータベース化は相当に進んでおり、 法令の条文や判例の判断だけであれば、コンピュータに任せてよいという時代が近付いている。 だからと云って、法律家が不要になるということは絶対にない。 これは、幾らコンピュータ化が進んでも、医師が必要なのと同じことだ。 最後はどうしても人間でなければ判断できないという場合があるからだ。 すなわち、その最後の部分のないデータベース人間は、法律家として相応しくないということだ。

どうでもいいことだが、単に"司法試験は難しい"という人の中には、 元々人間として不適切な人が多く含まれているだけではないかと考えさせられる事例だった。


法律論争

2005/05/29
煙草を巡る法律について、実はあまり真剣に討論されているのを見たことがない。 何故なら、法律論争しても結果は最初から明白だからだ。 既に別なところで書いたように、強制吸煙(筆者の用語では"強煙")を是とする法的根拠が見当たらないためだ。 以前であれば、社会習俗であるとか受忍限度論などによって正当化するというような主張が展開されたが、 健康増進法の成立以降は、受忍限度論を展開する余地さえも無くなってしまっている。 だから、法律論争したとしても結果は最初から決まっており、強煙を正当化する議論の余地が残されていないのだ。

ところが、未だに強煙被害が無くならない理由は、健康増進法に罰則規定が盛り込まれていないためだ。 罰則がない場合に救済方法するには、民亊訴訟という法的手段に訴えるしかない。これが現行法の最大の問題点だ。 法的手段に訴えるには、加害者を特定し、被害額を算定したうえで、 民事訴訟法と関連の法令に従って告訴しなければならない。 更に、裁判になれば、加害者の故意または過失及び被害との因果関係を立証しなければならない。 更に、損失金額の特定というのも簡単ではない。 すなわち、罰則規定のない健康増進法では、直接は救済されないのである。

しかしながら、ウェブでの議論を見る限り、法律論争を挑もうとするのは、何故か加害者側だ。 勿論、主張は穴だらけで、全く理論を構成していない。 ところが、そのまま、勝った、勝ったと騒ぎ立てるのが常套手段だ。 こういう議論には、初めから加わらないのが賢明だ。 穴だらけのまま放置しておけば、誰の目にも勝敗は明らかになるからだ。 ウェブ上の電子掲示板であれば、メールなどで管理人に削除依頼をするのが良い。 削除依頼に応じないような管理人とは縁を切るべきだ。

現実の生活でどうしても議論になってしまった場合には、以下の方法で切り抜けるのが良いかもしれない。 相手方に、なまじの法律の心得がある場合は特に好都合である。 生兵法は大怪我の元とは、よく言ったものだ。 この場合、専門家対素人という構図を強調しながら、相手から説明させることが重要だ。 あくまでも自分は素人であると断ったうえで議論に入る。 相手を持ち上げておいてから始めないと、自分のペースに引き込めなくなる。 また、議論の最中は終始冷静を装い、決して声を荒げないことが大切である。 この点は非常に難しい。 声の大小で勝負しない理由は、相手に喋らせて墓穴を掘らせるためである、

自分:
あなたが受動喫煙行為(気持ちとしては強煙といいたいところだが、 自分のペースにのせるためにはできるだけ法律用語や一般用語を用いなければならない) を肯定する法的根拠を示してください。どの法律の何条ですか?

註1:ここで、具体的なな法律名と条文を出されたら、次のように質問する。

自分:
その条文の文言(もんごん)を教えてください。一体何と書かれているのですか?

註2:
文言は必ず確認しなければならない。 適当は法律名を出しておいて内容は説明できないというのでは、専門家の名誉にかかわることだ。 そして、その文言が、強煙行為肯定の根拠になっているかどうかの理論的整合性を確認する必要がある。

註3:
相手の根拠が判例だった場合は、次のように切り返す。

なるほど。ところでその判例は、何年何月のものですか?

註4:
まともに答えられるような人は最初からこのような無理な論争は挑まないだろうが、万一答えた場合は、下記の点を確認する。 内容はどうせ、受忍限度論のようなものだろうから、詳細に聞いても意味はない。 但し、適当に喋らせておいて相手の見方を覗うのもテクニックとしては良いかもしれない。


自分:
その判例は、健康増進法成立以前のものですね?
健康増進法の施行年月日をご存知ですか?
健康増進法の条文は当然ご存知ですよね。

健康増進法によって受動喫煙による健康被害が公示されているのですから、 この法律の成立以前の古い判例を持ち出されたところで、現在には当てはまりませんよね? 法律の専門家である貴方であれば、その判例を現時点に適用するのが無理であるとはお思いにならないのですか? 時代は変わっているのですよ。

註5:
具体的な法令が施行されれば、当然その法令はそれ以前の判例に優先する。 こんなことは、法律の専門家でなくとも常識だ。 だから、その法律の施行後の確定判決(地裁、高裁などで敗訴した側が控訴しなければ、判決は確定するが、 それが最高裁判決でない場合は将来、最高裁によって同種の訴訟で否定される余地があることには注意する必要がある) でなければ意味はないのだ。 簡単に言うと、煙草の害が明らかでなかった時代の判例など何の意味もないのであって、 害があきらかになれば、過去の事実誤認に基いた判例など何の意味も持たないものなのだ。 平成14年8月2日以降は、健康増進法が成立しているのだから、受動喫煙による被害は、 国会によってお墨付きを与えられた事実だということが重要なのである。

相手方:
健康増進法は義務ではありません。

自分:
義務でないとはどのようなことですか?法律の専門家として素人に分かるように説明して頂けませんか?

註6:
説明の内容などどうでもいいが、多分、"罰則規定がない"ということを前面に押し出してくるだろう。 いや、罰則規定がないから、という回答を引き出すよう努めよう。これは、討論の場合の誘導回答法である。

自分:
なるほど、貴方は、"罰則規定がない"ということは"義務ではない"ということと法的に同義であると主張されているのですね。 私の理解で間違いありません か?

註7:
相手は多分まともに答えられないだろう。 "自称"専門家にとって、法律理論で対抗されることは急所をえぐられるものだからだ。 法律用語を正確に使用することは、専門家と一般人との境界線だ。 正面から切り返されると、似非(えせ)専門家では、対抗できないものだ。
本当に専門家であれば、このような議論には絶対に発展させないはずだ。 ここまで来たら、相手は何も対抗手段を持たないだろう。 それでも諦めずにぐだぐだ云ってきたら更に追い討ちをかけよう。

自分:
例えば、憲法27条1項には、国民の勤労の義務が謳われていますよね?
その他にも、第3章には、国民の権利と義務について細かく記述されているのは、ご存知ですよね?
しかし、貴方もご存知のように憲法には罰則規定がありませんよね?
貴方のその理論をそのまま適用すると、憲法は義務でないから遵守する必要はないということになりますか?

大筋の議論は以上で終了のはずだ。 これ以上に発展した場合は、相手の理論の穴を指摘することに徹しよう。 相手に言わせてから矛盾点を指摘するのが賢明だ。 正当な理由なしに、適用/適用除外といった区分をするのは、専門家にとって恥である。 相手の顔色を見てさっと中止することが重要だ。
何故憲法の条文を覚えているのか、と聞かれたら、 小学校で習ったし、憲法記念日には、新聞ネタになるから覚えてしまった、などと適当にかわすべきだ。 相手の"自称"専門家が小学生未満なのだと、暗に指摘しよう。

最後は、

自分:
これ以上議論しても意味がないですね。 貴方の理論は、残念ながら、素人である私さえも納得させるような整合性を有していませんでした。


註7:
法律論は、まず素人に納得させることができるということが重要だ。 何故なら、法律は、全居住者(国民だけでなく、定住外国人や旅行者も含む)に適用されるのであって、 決して専門家の間だけのルールではないからだ。 専門家にとって素人が納得する説明をできないということは、その自称専門家自身が理解できていないということを意味する。 "一般の人には理解できないでしょうが..."などと誤魔化したら、 法律の提供範囲がその国に居る旅行者を含む全ての人に適用されることを指摘し、 そういう一般人の理解できないような説明では人を裁くことができないのだという、一般的な理解を伝えよう。 周囲に仲間が居れば、同意を求めるのも良いし、本当の専門家がそこに居れば、解説して貰うというのも効果的だろう。


リーガルマインド

2005/05/29
自分は、法律をちゃんと勉強したことはないのだが、自己流で研究したことがある。 元々はエンジニアだが、エンジニア職は、自分が若い頃に将来を思い描いて目指した職という訳ではなく、 これといった目的意識もなく、ただ何となく就いてしまった職業だ。 若いときにちゃんと目的意識を持つことができなかった自分を情けなく思っている。 かといって現在も職業について明確な目標があるわけでもない。 恐らくこういう人も多いのだろうが、このようになってしまった自分は好きになれない。

自己流ではあったが法律を学んでみたときに、思い知らされることがたくさんあった。 法律とは知識ではなく、心構えなんだ。そう思えた自分は、法律に興味を持てた。 然しながら既にエンジニアとして何年も生きてきた自分には、 方向を改めて法律家になろうという信念を持つこともできず、そのままエンジニアを続けることにした。 それでもやはり法律については興味があるので、何か事あるごとに、以前に勉強した本を取出しては開いたりしている。 今も変わらずに思うことは、法律を勉強することは、自分も含め、人を裁くという心構えを構築することなのだということだ。

ところが、先に記述したホテルでの一件によって思うところが出てきた。 自分はもう既に、エンジニアリングで適当なベースを築いてしまったので、 今から法律家を目指そうというのではない。 法律の勉強も細々と続けるにしても、本音は、このページを読んで頂いているもっと若い方に考えて頂きたいということだ。 煙草の問題を解決するというプロセスを通して、法律家になるという選択肢も考えて頂きたいのである。 この一連のページで書いてきていることは、自分なりのリーガルマインドで書いたものである。 知識ではなく、信念に基いて書いているのだ。 だから、目標は、煙草問題の解決であり、自分を含めた被害者の救済なのだ。

先のホテルの係員は、残念ながら筆者の信じるリーガルマインドなど微塵も感じさせない人物だったので、 言っては悪いが、法律家になってくれなくて良かったと思っている。 試験だけを潜り抜けても、マインドができていないような人に人を裁いて欲しくないからだ。 先にも書いたように、単に知識で裁くなら裁判官は要らない。 コンピュータに条件を入力できる程度の法律知識がある人と法令及び判例のデータベースがあれば十分だ。 コンピュータにできないことをするからこそ、裁判官が人を裁く資格が与えられるのだと思う。

その人物を見て分かったことがいくつかある。 その人は、残念ながら成功した人には見えなかったし、今後成功しようという意欲も感じられなかった。 では、何故そのようになってしまったのか。 そのことを分析してみると、自分にも反省すべき点が炙り出されてくる。

まず第一に、情熱が足りないということだ。 職業に対して情熱のない状態で、成功を目指そうとしても必ずボロが出るということをこの人は教えてくれた。 情熱がないからこそ、知識の詰込に頼らなければならないのだ。 司法試験を知識の詰込で切り抜けようと思っても、暗記する量が半端ではないので、相当に難しいことは容易に想像できる。 情熱があれば目的に従った理論を構成できるから、覚える負荷も軽減されるだろう。

情熱があるということは、人を裁ける人になりたいという強い意思をもっているということだ。 これは、マインドそのものなので、常に首尾一貫した理論を構成できる。

そもそも法律を勉強していて感じたのだが、法律は人を裁くためというようりも人を救うためにあるのではないかということだ。 刑法などを勉強していても、総論では、責任が最重要のトピックになっていると思う。 責任が無ければ原則的には刑罰を課すことができない。悪く言えば刑法総論は責任逃れの理論のようでもある。

団藤重光の"死刑廃止論"を読んだときにも考えさせられた。 元々、刑罰は教育刑なので、受刑者の更生を目的にしている。 しかし、死刑は教育刑ではあり得ず応報刑でしかない。 法律家として、受刑者の更生を断念して死刑を宣告するのは如何なる気持ちなのだろうか。 団藤の著書には、矛盾する気持ちが込められていた。

しかし、死刑廃止に反対する学者も少なからず存在する。 筆者の興味を最初に引き付けたのは植松正だった。 植松は著書"刑法教室"の中で、死刑を廃止することは、殺人被害者の人権は回復できないのに、 殺人加害者の人権だけは絶対に保証することだと記している。

注:
植松の"刑法教室"は、大蔵省印刷局から出版されている"時の法令"という雑誌に掲載されていたものを集成したものであり、 かつては、政府刊行物の書店で購入できたが、今は絶版になっている。
既に古くなってしまったが、内容は、筆者の絶対推奨マークが付くものであり、興味のある方は是非読んで頂きたい。 もう20年近くも前に、霞ヶ関の売店で購入したら、夢中になって一気に読んでしまったものである。 同じ内容は、同著"刑法概論"でも読めるが、こちらのほうは法科生向けであり少し難しい。 多分こちらも絶版になっているのではないかと思う。

団藤の"死刑廃止論"は、版を重ねているが、元々完成度が高かったので、さほど内容は変わっていない。 どの版でも十分に読む価値がある。 植松と併せて読めば、より深く考えさせられると思う。

団藤の死刑廃止論は、上記の内容だけでなく、他にも様々なエピソードがあり、専門家ではない素人にも分かりやすく書かれている。 上記のような論争は、深く考えさせられるものだ。 恐らく、本当に専門家になってしまったら、死刑を求刑したり(検察) 宣告する(司法)ことや殺人の被告を弁護することがあるだろう。 このような場合に、リーガルマインドがなければ、唯の、法律論争になってしまう。 人間という、生身の対象を目前にして、生死を預けられるというような圧力に耐えるには、 リーガルマインドが無ければできないことだろう。

長々と書いてきたが、一番云いたかったことは、煙草の問題の法律論争に、 マインドを入れることを頑なに拒否する人は、人間として許されるものではないということだ。 法律論争は、対象の人間が居て初めて可能になるもので、そこを見ないで論争しているような阿呆は、この世から消滅して欲しい。 冗談ではなく本当にそう願っている。


煙草は思考を曲げるのか?

2005/07/03

Yahoo Japanで検索していたら、興味深いサイトに行きあたった。 何が興味深かったのかというと、そのサイトの作者は、煙草以外のことについては、ごくまともな主張をしているのに、 煙草についてだけは支離滅裂な主張をしていたからだ。 その部分のタイトルは"煙草根絶"となっている。 その主張について、私なりにまとめて見た。

煙草根絶(http://www2.plala.or.jp/hachi/doku/stoptabako.htmlの要点)

煙草に対しての排除運動が激しくなっており、殊に健康増進法施行以来規制が増えてきた。

"煙草の税金を上げろ"、とか、"迷惑だ"、とか主張する人と、"これ以上、値上げするな"と主張する人がいる。

これらの言い分を分析した。

1.歩き煙草について

まず、歩き煙草については、人混みに限り危険であるので、包括的な禁止は支持しない。

副流煙・受動喫煙については、喫煙コーナーを道に設ければ済む話だと考えるが、 実際には、一方的に禁煙とされ喫煙場所すら設けないということが 当然のように1行われている。 これは、非発煙者を一方的に保護している。

2.喫煙コーナーについて

会社で採用している全面禁煙や喫煙コーナーといった方式は平等ではない。 「分煙」が平等である。 完全禁煙や喫煙コーナーの設置は、非発煙者よりの意見が採用されたもので、 発煙者の権利は無視されている2

3.ポイ捨てについて

ポイ捨ては悪いことだが、 それは路上に灰皿がないからだ3。 灰皿を廃止しておいて、"ポイ捨てするなは"というのはおかしい。 灰皿の設置・携帯灰皿の義務化を行えば、ある程度はポイ捨てがなくなる。 それでも捨てる人間は、煙草に関係なくその人のマナーの問題である。
自動車の不法廃棄があるから自動車は駄目と言っているのと同じ事だ 4

4.健康について

健康に悪いから煙草は止めろと云うのは、お節介だ。 個人の問題に立ち入るな5

5.税収について

煙草の6割は税金であり、この税金がなくなったら大変だ。 一方でポイ捨てによる清掃費用、肺ガンによる医療費出費を考慮するとむしろマイナスなぐらいだという意見もある。

この判断は避けるが"ポイ捨てによる清掃費用"には、 煙草以外ゴミの清掃も含んでいる6ではないか。
医療費出費増については、認めるが肺ガンにならなくともいずれ人は死ぬのだから 肺ガンがなくなったところで、医療費出費はなくならない7

よって、マイナスと言えない。それに肺ガンがなくなり長生きされると、年金の出費がかさむ。

結論は、非発煙者を保護している。煙草に対してヒステリックになり過ぎている。

煙草を法律で禁止した場合、 煙草の税収はそのまま別の税金として徴収されても良いのか8

このように考えると、煙草を撤廃していくのはかなり危険だ。

それに、煙草を容認し続けた政府に責任がある。

以下省略

Somke Stinks 注
  1. 典型的な発煙者固有の被害者意識を持っている。 発煙者のために、公共の費用を投じるのが当然という考え方だ。 まさしく、発煙者のたかりの構造である。
  2. これも、典型的な発煙者固有の被害者意識による。 発煙者のために、他人に支出させているのに、逆に被害者意識を持っているのだ。 盗人猛々しいという表現が良く似合う。
  3. 典型的な発煙者固有の責任逃れである。
  4. 典型的な発煙者固有のすり替え理論である。しかも、論旨が全く合っていない。
  5. 発煙による加害の問題を個人の問題にすり替える発煙者固有の典型的な意見である。
  6. 道に落ちているゴミを見たことがあるのか?煙草以外に落ちているゴミは何?
  7. 削減することとゼロにすることの区別ができていない。
  8. 煙草の税収を知っているのか?定量的な検証が全くない。


更に付け加えると、発煙者の権利、 といった主張が目につく。 こういった特徴は発煙者固有のものなのだが、普通の人もこういった言葉にだまされていることに気づく必要がある。
元々、発煙者の権利という固有の権利などない。 憲法を良く読めば分かることだが、憲法には、発煙者、非発煙者などという区分けをせずに、 単にすべてを人として扱っているので、発煙者であろうが非発煙者であろうが、 共になのである。 だから、権利と云えば、人としての権利があるだけだ。 どうしても、主張したいのであれば、発煙の権利、大気汚染の権利、他人の健康を侵害する権利、 他人に不快な思いさせる権利などを振りかざせば良いのだが、 いかにも、前述の権利を制限されることが人として不当な差別を受けているかのように主張しているのである。

散々批判してあるのだが、本当に恐ろしいのは、この愚かな主張のことではない。 この人の主張を読んでみると、煙草のこと以外は、ごくまともなのである。 煙草に限ってだけ、思考が狂っているのだ。私には、煙草が、思考を曲げていると思わざるを得ないのである。

以上


敢えて云えば、国民と外国人(皇族も国民ではない)を分けて扱っている位だが、いずれも基本的人権は認められている。


学校の禁煙化

2004/07/03

最近、気になってしょうがないことがある。それは若い世代に煙草がはびこっていることだ。
時に報道されるニュース等によると、高校では数十パーセントの生徒が発煙しているのだという。
それと同時に、年を追うごとに学力も低下しているのだという。 既に別なところで書いたが、日本人の英語の出来はアジア地区で北朝鮮に続いて下から2番めだということだ。
同じようなことでは、日本人の小学生は、30年位前は算数の出来が世界でトップクラスだったのだが、 最近は、低迷しているのだという。
若い発煙者の増加と学力の低下に因果関係があるのかどうかは研究してみないと分からないのだが、 若い発煙者の顔を見るたびに、関係がありそうに感じてしまうのは自分だけではないだろう。 関係があると思うのには理由がある。その理由は、

  1. 違法だと分かっていて敢えて発煙している。即ち、違法なことが悪いことだという判断ができていない。
  2. この情報化時代に、煙草の害毒性を知らない。即ち、勉強していない。
  3. 親が教育していない。即ち、教育された家庭の出身ではない。
まだ、他にもあるのだが、こう考えると、高校生の発煙者などは、やはり知性が足りないと思わざるを得ないのだ。 しかも、発煙高校生も進学して行くので、大学でも発煙者の数はそれなりに居るのではないかと懸念される。

前置きはここまでにして、本論に入る。
未成年の発煙の問題を防ぐための試みということもあるだろうが、最近学校の禁煙化が進み始めている。 私は、学校などとうの昔に去ってしまったので、最近は殆ど学校を訪れることもないのだが、 タバコの問題を解決するには、未成年の発煙者をゼロにするのが現実的な近道だと思うので、 学校の禁煙化を支援するホームページ を訪れてみた。 確かに、素晴らしく禁煙化している学校のリストが見られた。 こんなに素晴らしく禁煙化されているのですよ、という訴えが良く伝わってきた。 これは素晴らしい取り組みだと思う。

さて、自分の母校は、と探してみると、残念なことに出身高校も出身大学も全く出ていない。 どちらも古い体質に嫌気のさす学校だったので、今でも全く愛着が無く、人に聞かれたら、そこだけは止めたほうがいい、 と忠告したくなる学校である。 いずれの学校も未だに禁煙化の流れから遅れてしまっている。

さて、今回書きたいのは、そんな思い出話ではなく、自分の出身校のような、 禁煙化の取組ができていない遅れた学校はどうなのだろうかということだ。 自分の在学中は学校中教室以外どこでも発煙の酷いものだったが、今はどうなのだろう?

禁煙化の進んでいない学校の例として、お勧めリンクにも紹介している、 地球へのLove Letterの中に、 大阪芸術大学の情報を見付けた。同大学の中には56箇所の、発煙場所があるらしい。 本来ならば、排煙場と書きたかったのだが、排煙のための特別な設備が設けられているようでもないので、発煙場所と書いた。 驚かされたのは、56箇所のうち23箇所位は、屋内にあるように見えたことである。 いまどき屋内に発煙場所を作る学校があったのか。 健康増進法の違反は明白なのだが、気になったのはそれだけではない。

この状況を見て、どうしても気になったことがある。それは、本来の勉強、仕事に影響しないのかということだ。 例えば、声楽家には、煙草は厳禁だ。仕事のタネを失ってしまう。 それに、吹奏楽者というのも肺を使うのが仕事なので、煙草は厳禁だ。

音楽の場合、発煙僻があるのは非常に不利である。 まず、臭いので他の楽団員から嫌がられる。 コンサートホールにも楽団員用の発煙場所はあるとは限らない。 私はおよそ10年ほど前に、米国ピッツバーグ市のハインツホールにオスロ交響楽団が客演に来たのを聴いたことがある。 演奏そのものは、特に印象に残っていないのだが、 特に覚えているのが、楽団員用の裏口で、多くの人が発煙していたことである。 私は、このホールでの、ピッツバーグ交響楽団の演奏会の切符を相当買っていたので、 同楽団員に、発煙者が殆んど居ないことを知っていた。 それと比較して、マイナス10度位の屋外で発煙しているオスロ交響楽団の楽団員の姿は異様に見えた。

今後、世界的に発煙の規制が強化されていくのに、芸術大学の学生が発煙僻をもっていてもいいのだろうか?

以上に加えて困るのは、煙草によって害される学生を作り出していることである。 勿論、体質によっては、煙草は生命の危機をもたらすし、また、ストレスを与え、集中力を乱すものでもある。 煙草によって、創作意欲が云々という、妙な説を持つ人も居るが、通常人は、毒に弱い。 また、本当に集中しようと思ったら火のついた煙草など恐ろしくて扱えないはずだ。 絵画の場合など、一瞬にして消失させる虞があるものなのだ。

実は、地球へのLoveLetterの管理人の方は大阪芸術大学の学生で、健康増進法を守るよう学校に何度も訴えかけたのだと云う。 しかし、上のコラムでも書いたような、発煙者の権利のような、誤った説を持ち出して、取り付くしまもないそうだ。 優秀な学生を育成しようと思うなら、学生を煙草から守るのは当然のことではないかと思うのだが、 大学の教員でさえそんな当然のことに気づいていないのだ。


残念ながら、最高学府と呼ばれる大学でも、コンプライアンスを重視していない場合があるということだ。

教育の問題は以前にも触れてきたが、また、いずれ機会を見付けて考えてゆきたい。

以上


母校は禁煙ではなかった!

2005/07/18
先日仕事で母校に行く機会があった。 あまりプライバシーを晒すのは好きではないので、日本の西側の地区のK大学と書いておく。 その地区ではまあまあ名の通った学校ではあるのだが...

禁煙ではなかった。一応歩行放煙は禁止されてはいるようだったが守られている様子もなかった。 ベンチのいたるところには灰皿が装備してあった。 驚いたのは、未だに食堂に灰皿が置いてあることだった。 こんな学校を出たとは!今更恥ずかしくなった。 元々愛校心はなかったが、益々嫌になった。


アスベスト被害の報道に対する疑問

2005/07/25

このところアスベスト被害の報道が白熱してきた。 アスベスト被害と云えば、もう何十年も前から問題になっており、何を今さらという感が強い。 そんなことは、昔から百も承知のことだ。それをマスコミが鬼の首でもとったかのような大騒ぎで、 かつて書いたように、マスコミの低能と欺瞞には呆れるばかりだ。

こんな茶番が何のために行なわれているか、考えてみると、一つの疑問に当たる。 云うまでもなく、煙草の害の論争から遠避けようという狙いだろう。

肺癌原因のチャンピオンは、今も昔も煙草だ。 しかし、そこにアスベストという新参ものを登場させてそこに目を向けるのが狙いだと考えれば、 全てが納得ゆく。アスベストを悪者にして、煙草の議論から目を逸そうという、こういった方法は以前からとられてきたように見える。

さて、このような目的を裏付ける記事として気になるものを見つけた。 今回は、朝日新聞の記事である。下記に記事の一部を記す。

http://www.asahi.com/health/news/TKY200507230338.htmlから

肺がんの建設労働者、7割が石綿被害の症状 NPO調査

2005年07月23日23時43分

 大工や配管工など建設労働者の肺がん患者の約7割に、アスベスト(石綿)を吸ったとみられる症状が出ていることが23日、  NPO法人「職業性疾患・疫学リサーチセンター」(東京都港区)の海老原勇医師の調査で分かった。  東京土建一般労働組合など建設業関連の労組が開いた記者会見で、明らかにした。

 調査は、海老原医師が過去5年間にわたって、肺がんになった建設労働者110人をレントゲン検査やコンピューター断層撮影(CT)などで診断。  その結果、67.2%にあたる74人について、石綿を吸うと特徴的に出る「胸膜肥厚斑」の症状や石綿肺が確認された。

 ほかに、何らかの労災で死亡した疑いがある建設労働者43人(平均年齢60.7歳)を解剖したところ、  36人(83.7%)に胸膜肥厚斑を確認。  また、うち31人はレントゲン検査では異状が分からず、解剖で初めて胸膜肥厚斑が見つかった。

 海老原医師は「石綿被害は呼吸器専門の医師でも見過ごしてしまうことがある。  とくに肺がんは喫煙が原因と診断され、多くの石綿被害が埋もれていた可能性がある」と指摘している。

この記事を読むと、意図的に隠した事実があるのではないかという様々な疑問にぶつかる。疑問は次のようなものである。

  1. 肺がんと胸膜肥厚斑とは、別々な病気なのか、それとも、胸膜肥厚斑は肺がんの中に含まれるのか?
  2. 胸膜肥厚斑は、単独で発症する病気なのか?
  3. 胸膜肥厚斑は、単独で死に至る病なのか?
  4. 胸膜肥厚斑は、アスベストを吸うと特徴的に出るというが、これは、疫学的な研究によって結論付けられたものなのか? どれくらいの割合で発症するものなのか?アスベスト単独で発症するものなのか?
  5. 胸膜肥厚斑は、煙草の吸煙によっては発症しないものなのか?
  6. アスベストと吸煙とを併用すると、胸膜肥厚斑は、発症しやすくならないのか?
  7. 調査した患者の発煙者率はどの程度か?
  8. 同じような環境で仕事していた人のどのくらいの割合が胸膜肥厚斑を患ったのか?
他にも様々な疑問がある。 このような説明を全くせずに、"海老原医師は「石綿被害は呼吸器専門の医師でも見過ごしてしまうことがある。 とくに肺がんは喫煙が原因と診断され、多くの石綿被害が埋もれていた可能性がある」と指摘している。" などと書くと、肺がんの主要因がアスベストであるかのような印象を与えてしまう。このような印象を与えるのがマスコミの目的なのだろう。

煙草による汚染は、人体だけでなく社会全体にも大きく広がってしまったと懸念する。これでは、生活の安全など保たれない。


アスベスト被害の報道に対する疑問(2)

2005/07/31

前回のコラムを読まれた読者の方から、やはり同様な感想を頂いた。 過酸化水素、鳥インフルエンザ、日本国内では使用が許可されていない保存料等、数を上げればきりが無いが、 日本人は、とにかく弱い者苛めの傾向が強いのだ。 本当に悪いやつを叩くべきなのに、本当に悪いやつはいつの時代にものさばっている。 今回のアスベストだって、本当に悪いやつを叩く矛先を他に逸らすための芝居に過ぎないのだろうが、 報道機関自身がその片棒を担いでいるので、そういう本当の話は一切出てこない。
本当に日本はどうなってしまうのだろうか? こんな状態で将来に期待できるはずもない。ウェブを通じて草の根運動で訴えかけていくしかないのだろうか?

さて、読者の方に頂いた感想を元にいくつか調べてみた。 頂いた情報そのものずばりは、地方紙である西日本新聞に出ていた。 全国紙ではないことは問題だろう。 簡単にまとめると、他人にタバコの煙を吸わされると、アスベストを吸い込むより、肺癌にかかる危険性が3.5倍だということである。
その他に米国機関の情報なども調べてみたが、アスベストはタバコに比べると問題の重要性が相当低く扱われていることが分かる。 簡単に書くと、"アスベストに晒された人が肺癌になりたくなければタバコを止めなさい"ということだ。 それほどタバコのほうが危険なのにそんな問題は放置して、アスベストと騒ぎ立てる日本のマスコミは屑だ。

それにしても残る疑問:
中皮腫にかかった人の中に、発煙者でなく、かつ、他人のタバコの煙を吸わされたことのない人がいたのだろうか? 日本でタバコが廃止される頃には報道されるかもしれない。

http://www.nishinippon.co.jp/media/news/news-today/20050730/morning_news014.html
西日本新聞朝刊(2005/7/30)から

石綿労災事業所名公表 厚労省の中央労働衛生専門官 武末文男医師に聞く

(前略)

 ―周辺住民はどうか?

 「通常は石綿被害は考えなくていいと思う。また、リストに掲載されても、建設業なら実際の作業は別の場所というのが普通。  造船業もドックで作業する場合が多い。こうした業種の場合は、リストにあっても神経質になる必要はない」

 ―ただ英国では六五年、石綿吸引が明らかでない中皮腫患者二十五人中、十一人が石綿工場周辺居住者だったという報告もある。

 「確かに詳しいリスクの検討はこれからの部分もある。  従業員の家族で、事業所によく行ったという記憶がある人や、  やはり心配だという人は健康診断を受けることが有益だろう。  ただ、  通常の十倍の濃度の石綿を吸い込んだ人が中皮腫と肺がんにかかるリスクを200とすると、  自分でたばこを吸わない人が喫煙者の煙を吸い込んで肺がんにかかるリスクは700といわれる。  注意はもちろん必要だが、パニックになるほど恐れる必要はない、ということを理解していただきたい」

(以下省略)

http://www.braytonlaw.com/medical/medical_lungcancer.htm から

(米国の法律事務所)
注:日本語部分はSmoke Stinksが付けたものです。内容の一部要約であり翻訳ではありません。

Substances that Lead to Lung Cancer(肺癌の主要因)

Tobacco: Cigarette smoking is the major cause of lung cancer mortality in the United States. Nationwide, smoking results in more than 5.6 million years of potential life lost each year. That translates to about 440,000 people per year who die from tobacco use ( Centers for Disease Control and Prevention (CDC), Tobacco Information and Prevention ).
タバコ: 米国では、タバコ煙の吸引が肺癌の主要因である。 国内では発煙は年間5千6百万人の命を危険に晒しており これは、年間440,000人がタバコの使用によって死んでいるのに相当する。

The harm from cigarettes is not limited to smokers. Due to secondhand smoke, an estimated 3,000 nonsmoking Americans die of lung cancer and 300,000 children suffer from lower respiratory tract infections each year, according to the CDC. These are very sad statistics, made even more compelling by the fact that many cigarette companies knew about the results of tobacco use years ago, but hid the truth from the public. For more information about the politics of tobacco, including recent legal cases, see our section about Tobacco and Cigarette Law.
CDCによると、タバコの害は発煙者だけに留まらず、受動吸煙によって3,000人の非発煙者が死亡、 300,000人の子供が呼吸器官障害にかかっている。

Asbestos: Studies show an increase in lung cancer among workers exposed to asbestos. The substance is now considered a major cause of lung cancer, second only to tobacco. (See Lung Cancers in Workers Exposed to Asbestos for more details about how asbestos lung cancer begins and progresses). 
アスベスト: アスベストに晒される作業員が肺癌にかかるという事例が増えているという研究結果が報告されている。 これは、タバコに次ぐ肺癌の主要因である。

Asbestos exposure combined with smoking greatly multiplies the risk of developing lung cancer. If you inhale both these substances, you run a greater risk of disease than if you were exposed to either substance alone. Because the likelihood of contracting lung cancer is dose-dependent, every exposure to these deadly substances increases your disease potential.
アスベストに晒されている人が、発煙者であると、相乗効果によって、肺癌の危険が大きく高まる。 これらの要因が両方ともあてはまる人は、それぞれを単独で吸引するよりもリスクが大きくなる。

http://www.atsdr.cdc.gov/tfacts61.htmlから
(米国政府の主要機関である、CDC(Center of Desease Contron and Prevention)のサイト)
注:日本語部分はSmoke Stinksが付けたものです。内容の一部要約であり翻訳ではありません。

How likely is asbestos to cause cancer?
アスベストで癌になる可能性は?

The Department of Health and Human Services (DHHS), the World Health Organization (WHO), and the EPA have determined that asbestos is a human carcinogen.

It is known that breathing asbestos can increase the risk of cancer in people. There are two types of cancer caused by exposure to asbestos: lung cancer and mesothelioma. Mesothelioma(中皮腫) is a cancer of the thin lining surrounding the lung (pleural membrane) or abdominal cavity (the peritoneum). Cancer from asbestos does not develop immediately, but shows up after a number of years. Studies of workers also suggest that breathing asbestos can increase chances of getting cancer in other parts of the body (stomach, intestines, esophagus, pancreas, and kidneys), but this is less certain. Early identification and treatment of any cancer can increase an individual's quality of life and survival.
アスベストに曝露することにより発生する癌には、肺癌と中皮腫がある。 その他の癌も発生しうるが確かではない。早期発見し治療すれば寿命は延びる。

Cigarette smoke and asbestos together significantly increase your chances of getting lung cancer. Therefore, if you have been exposed to asbestos you should stop smoking. This may be the most important action that you can take to improve your health and decrease your risk of cancer.
アスベストとタバコ煙吸引を併用すると、肺癌の危険が著しく高まる。 したがって、アスベスト雰囲気に曝露されてきた人は、タバコを止めるべきである。 癌の危険性を減らすにはこれが一番重要である。

以上


アスベスト被害の報道に対する疑問(3)

いま、武田美通氏の作品展が、文京区のシビックセンターで開かれている。 "戦死者たちからのメッセージ"というタイトルの、鉄製の造形作品の展示会である。 NHKのニュースで知ったので、昨日訪れてみた。
一瞬見ただけで体全体が凍りつくような、戦慄に襲われる作品たちだ。 この作品は、戦争が人殺しであるという本質を教えてくれる。 文字のメッセージもあるが、文字よりも、むしろその作品を見ただけで、言葉を失うほどの迫力のあるものだ。 もう二度と戦争の過ちを起こしてはいけない。

明日は、終戦記念日になる。 自分は戦争を体験した世代ではないが、戦争はもう二度と起こすべきではないと思っている。 戦争の本質は人殺しだからだ。 いつの時代にも正義を掲げて国家主導で人殺しを推進していたが、そんな騙しはもう御免だ。 どのような理由があろうとも自主的な人殺しを正当化すべきではない。

それなのに、また、日本は戦争への道を歩み始めているように感じるし、 それに、未だ一部の人の私利私欲を満たすために、煙草を売って人を殺しているのだ。 こんな人殺しの世の中はもう御免だ。

さて、またもアスベストに関する怪しい報道を発見した。先ず、下記の記事を読んでいただきたい。

http://www.asahi.com/life/update/0812/007.htmlから

労災以外の中皮腫、肺がん145件 石綿被害の健康相談

2005年08月12日20時15分

 全国の保健所が7月中に受けたアスベスト(石綿)被害に関する健康相談のうち、    直接石綿を扱うような仕事に就いていたわけではないのに中皮腫(ちゅうひしゅ)  や肺がんになったというケースが145件あった(1)  と、環境省が12日発表した。石綿工場の近くに住んでいた例もあり、  同省は労災以外の環境による被害があるとみて、この145件についてさらに詳しく調べる方針。

 7月に全国にあった相談から、職場で石綿を扱っていたことが確かな場合を除いた。    中皮腫にかかったり、家族が死亡したりしたという相談は116件。  肺がんは29件だった。(2)  双方を合わせた男女別では、男性87人、女性50人、不明8人だった。

   地域別では、クボタの神崎工場があった兵庫県尼崎市が突出しており(3)、  中皮腫で80件、肺がんで21件あった。神戸市(中皮腫7件、肺がん2件)、奈良県(中皮腫4件)、  大阪府(中皮腫2件、肺がん1件)、愛知県(中皮腫3件)、滋賀県(同)が続く。

 環境省は「労災の可能性のある人も含まれており、すべてが周辺の環境によるものかどうかは検討が必要。  とくに尼崎市については地元とも協力して詳しく調査していく」と話している。

先ず、下線を引いた(1)の記述を読むと、疑問に感じるのは、何故か肺癌を含んでいることだ。 日本人の最多の癌は、肺癌であり、その最大要因は、タバコである。 それを、全てアスベストに結びつけようという意図を感じる。

下線の(2)も同様で、何故か肺癌を含めて論じている。

さて(3)については、どのように考えられるだろうか? どうしてこの地域にこのような相談が多かったかというと、 その工場のことが報道されていたために、心配になった人が多かったというだけだろう。 自己申告によれば常にこのようなことが起こり得る。本当に多かったという証拠は何一つないのだ。 この会社のこの工場は、タバコ会社よりも報道機関に貢献する割合が低かったので、 悪者にされたと考えるのが自然だろう。

そして、読者の皆様もお気付きの通り、 これらの患者の中にどれだけの発煙者が居たかということは、全く報道されていない。 日本のこの世の中で、高年者には、自身が発煙者でないか、または、煙害を受けていない人など皆無に等しいのである。 それなのに、そのようなことは全く報道せずに、別な原因を押し付けようとする、 まさに弱い者苛めの社会を象徴しているのである。 これでは、世の中、悪くなる一方だろう。

しかし、この報道は、煙草会社にとっても諸刃の剣である。 何故、煙草のことを報じないのか、という疑問が当然湧きあがるからである。 そのような疑問を行間に込めたのであれば良心的な報道であるとも云えるし、 そうでなければ人殺しの片棒を担いでいるとも云える。判断は難しい。

こうした不可思議な報道が、政府主導によるものか、報道機関がタバコ会社に操られているのか定かではないが、 国民が無知だとこのように馬鹿にされるのだ。 馬鹿にされていることに気付かない国民を育てている教育が問題なのかもしれないし、 本当に愚かな国民が中心な国なのかもしれない。いずれにしても浄化が必要だ。 先ずは、マスコミを全て潰して出直すことが必要なのだろう。

馬鹿にされていて本当に良いのか、何故黙っているのか?


中華人民共和国旅行記

2005/10/30

このところ更新が途絶えてしまっている。 折角読んで頂いている方に申し訳ないとは思っているが、実際のところ、仕事が酷かったのでどうしようもなかった。 また、以前から書き溜めているスケッチのようなものもあるが、 どうも未だアップロードしようという気にもなれず放っておいてしまった。

さて今回は偶々仕事で中華人民共和国(以下中国)を訪れる機会があったので、書き記してみようと思う。 今回の出張は日々の喧騒から逃れるいい機会だったので久しぶりに気を緩めて、外国人の同僚たちと会議を行った。

出張先は、上海の近郊の杭州という都市であった。 人口は600万人程というので、巨大な都市だと思ったら中国では大したことがない規模らしい。 それでも、人口は、上海の1/3位あるのだから、中国の人民の数は、 数字が示すごとく凄いものだということが改めて分かった。

杭州に行くまでに、都合により上海を経由した。 自分の勤める会社の事務所が上海にあるので、一旦そこに立ち寄り、3時間ほどかけて車で移動した。

自分にとって、中華人民共和国は初めての訪問だった。 古くは20年位前に、香港に行ったことがあるが当時は英国領だったし、台北にも行ったことがあるが、 台湾は中国のようなそうでないようなところなので、今回の訪問は、初の中華人民共和国だった。 いまでも、香港では、中国とは別の国のような扱いになっているということだ。

自分の乗った飛行機は、日本航空機で、乗客の殆どは、日本人のようだった。 自分の周りの乗客達は、スーツを着ていながら、添乗員のようなものが付いている不思議な団体だったのだが、 これが臭くてたまらなかった。 乗機前に、散々発煙したらしく、酷いニオイで吐き気がしてしまった。 そうは云ってもどうにもならないのでとりあえず我慢していたら2時間ほど経過したころには、慣れていた。 そして、3時間経過して降りるときに気付いたのだが、 今度は酷く酒臭くなっていた。 確かに、飲み屋の客なんか、発煙者ばっかりだな、とか考えながら臭いのを我慢していた。

話は逸れるが、自分は酒が嫌いなわけではないが、飲み屋には殆ど行かない。 煙草が嫌だからだ。それで、嫌々ながら飲み会に行くときには周囲の発煙者率を数える習慣がついていた。 自分とそのグループを除いて数えると、大抵、8割前後が発煙者であると認められる。 発煙者でない人が、煙草を嫌っているという裏付けでもあるのだが、 煙草が嫌いな人と酒が嫌いな人が同じグループではないということははっきりしている。 飲み屋で煙草を解放するおかげで、多くの潜在客を逃がしているということだ。 全く、煙草は頭を悪くする薬だ。

上海空港に着くと、中国は、日本と同じように鼻で分かる煙草の国であった。 どこに行っても灰皿が置いてあることが最初に気になった。 ホテルのロビー、待合室、レストラン、どこに行っても発煙場所だらけだ。 きちんとした排煙場になっているところなど全く見なかった。 やはり自分はこういう国を信頼することはできない。 日本を信頼していないのと同じく中国も信頼できないのだ。

何故だろう、と考えてみると、煙草の問題を放置しているということは、 人の命を軽視しているのと同じだということに気付いた。 人の命が大切なら煙草のような毒をカネのためにばら撒くことは有り得ない。 煙草に騙される阿呆など死んでも良いのだと思わなければできないし、 無関係の人が巻添えになっても意に介さないというのでなければ、 煙草でカネを儲けようなどということは出来ないはずだ。 これを放置している国のひとつに日本があるのだが、中国は更に酷い。 今後、中国が世界の頂点に立つことは十分に有り得るが、 その前には、中国では煙草が禁制品になっていると予言しておく。 逆に云えば、煙草を放置している間は中国が世界の頂点に立つことはないというのが筆者の予想である。 多分、こういう国はやるときには必要なことをやるだろう。 煙草でカネを儲けるといことが、ラクしてカネを儲けることだということに気付いたときに、 一気に変わるだろう。 ラクして国家が繁栄するということなど有り得ないからだ。

さて、杭州のホテルに着くと、その部屋はNo smoking roomだと確認してチェックインしたのにもかかわらず、 中には、灰皿が置いてあった。 禁煙ルームだと云いながら、発煙者を平気で泊めてしまう日本のホテルに似ている。 どことは書かないが今回利用した航空会社の系列のホテルでそういうことがあった(別のところに書いてあります)。 幸い、部屋は臭くなかったが、寝ている間に空調から紛れ込んできたニオイで何度か目が覚めた。 煙草は、ニオイでも他人の健康を害するのである。

さて、街を歩いてみると、放煙者が結構鼻に付いた。 日本では、最近減ってきた放煙族であるが、中国ではまだまだ放煙者が目につき鼻に付く。 放煙者が、そこらに煙草の燃え殻を捨てるというのは世界共通である。
しかし、日本の放煙族とは、イメージが違った。 どこが違うのかというと、日本の放煙族は、悪いことが分かっていながら、 他人に害を与えても意に介さない、あるいは、分かっていながら、自分だけに通用する"自称マナー"を標榜している場合が多い。 それに大して中国の放煙族は、それが悪いことであるという認識が感じられないのだ。 日本も数十年前は同じような感じだった。中国の放煙者を見ると、情報に取り残されているという感じがした。

今回の旅行で感じたことは、日本以上に遅れた国があるということだ。 しかし、イタリアが発煙禁止法でやってくれたように、中国もやってくれるのではないかと思う。 トップを目指す中国にとって、怠け病の原因となる、煙草細菌は早いうちに撲滅してておく必要があるのではないかと思う。
日本が煙草対策の最後進国だという訳ではないが、 既に騙しのテクニックの項などで書いたように、悪質さにおいては、 世界のトップに君臨するのではないかと思う。 こんなことを続けていたら、ますます競争力がなくなっていくだけだ。

以上


煙草問題の議論

2006/03/08

先日のことだったが、疲れる一件があった。 仕事で、機械の修理を実施したのであるが、顧客があれこれ文句をつけて一向に代金を支払わない。 修理そのものに文句があるのかと云えばそうではなく、金額を値引けとも直接は言わない。 金額を下げさせるのが目的というのは、こちらから見れば明白なのだが、やり方は暴力団の恐喝と同じで、 自分からは絶対に値引きの要求はしないのだ。 その代わりに詳しい資料を出せとか別のやり方をしたらどうだったのか等、 終わったことに対して延々とけちをつけて来たのであった。 それも一度や二度ではなく何度も呼びつけて説明させるという状態だ。 この会社、実を云うとその産業では日本を代表すると云っても過言ではないような大会社だ。 こんなことを平然とやってのける恐ろしい会社があったのか、とにかく参った。

さて、前置きが長くなってしまったが、上記のやりとりを通して煙草の問題の議論と似ていることに気がついた。 煙草擁護者の議論の仕方と非常に良く似ているのである。どの点が似ているかというと、

(1)本質を議論しない
方法論とか意味のない厳密性など、本質から離れた部分で議論する。 上記の例では、細かいことひとつひとつに、資料を出せ、という要求であったし、 煙草擁護者の場合は、煙草の害を厳密に証明しろ、という。
(2)具体的な話をしない
上記の例では、"ではお客様で査定してください"というと、"そちらで出せ"の一点張りであった。 そんなものは何度も出しているのだ。 煙草擁護者の場合は、反対派の意見の一部にだけけちを付けるが、 "煙草に害が無い"とは決して云わない。 現実に被害が出ており公的に認められているのに決して認めない。 そして煙草の害を認めない根拠も示さない

煙草事業が超法規的なやくざ稼業ということは考えてみれば分かることだ。 本来、人に不幸を売りつけ利益を得るなどということがあってはならないのだ。

この他にもうひとつ書いておきたい内容がある。 それは、"煙草合法論"で書いた読者(以下A)とのやり取りである。 私信ではあるが筆者(以下B)が最後に回答したのが2月23日だったので、既に約2週間が過ぎたが、 それに対するコメントも無いので、この場に纏めることにした。 こういう場に私信の内容を引用することには、筆者自身のためらいもあるのだが、 その読者Aは、内容を公開しても問題が無いという解釈だったので、 以下に、具体的な議論として紹介する。 "煙草合法論"と部分的に重複するが、最初から内容を以下に纏める。 詳細は、煙草合法論をご参照ください。

A:"煙草の問題を考えよう"では、合法な煙草と違法な殴打とを同等に扱っており明白な誤りである。
B:(Aに簡単なメールを返した後に"煙草合法論"をアップロードした内容のまとめ。この後、Aにメールで連絡した。)
Aは、煙草合法論に騙されている。 合法というのは、無制限で主張できる権利ではなく、単に、明示的に禁止する法令が無いというだけのことだけだ。 煙草の販売や消費には制約が付されており、制約に違反したものが取り締まられないからと云って、 無制限に主張することは間違っている。

以下はその後のメールでの遣り取りのまとめである。

A:自分が煙草合法論で騙しているとはよくも云ってくれた。 Bは、煙草合法論の中で、尤もらしいことを書いているが、結局それは関係がなく、それこそ騙しのテクニックだ。
B:自分は煙草合法論の中で、Aが騙されていると書いているのであって、騙しているとは書いていない。 また、尤もらしいが関係がないというのはどの部分を指しているのか具体的に指摘して欲しい。

遣り取りはここまでで、その後は、前述した通り返答はない。

Aの議論で一番問題なのは、筆者の書いた内容をよく読んでいないことである。 だから、騙し扱いされたと勝手に解釈している訳であるし、また、具体的にどの部分がそうなのかと訊いても答えがない。 恐らく秒単位の斜め読みだったのだろう。 筆者は、煙草の問題について真面目に取り組んで問題を提起しているので、中には斜め読みが難しい部分があることは間違いない。 議論する際には、難しい説明も必要だからだ。 勿論、誰もが勘違いなく完璧に解釈できるような文章を書くのが理想ではあるが、 どうやっても説明の難しい相手だって居るのは確かだ。 であるから、Aに対しては、具体的な指摘を要望し、おかしい部分は改めると約束したのだが、残念ながらここで終わっている。

煙草の議論では、煙草の矛盾を指摘する論者に反対の立場のものが出てくるのだが、 いずれも、"お前は間違っている"などと、書き逃げし、具体的な議論には絶対に入らないのだ。

(ちょっと休憩:メールの引用)
A氏が下記のようにメールで明言しているので(筆者は私信に適用できないと考えているが) 本質的な部分を引用する。注記や下線は、Stinksが付けたものなのでご注意願います。

(引用1)ちなみに本人の了解を得ていない「引用」は著作権法上は「適法」です。

(引用2)
ご丁寧な返信ありがとうございます。
序段で脱法とか合法と正当な権利の境がどうのとか1 色々といってますが、結局提示したのは最後の表ですよね2
一見尤もそうな関係ありそうな話をして 実際は余り関係無い3と言うのもあなたが言う所の「騙しのテクニック」の1つで、 まさに感心させられた次第です。
私は「2番と6番(個人的には7番だと思いますが。)をごちゃ混ぜにして考えるのは余りにも強引じゃないですか?」 と言う話をしただけなんです。
公共の福祉の問題や権利の濫用云々は関係ありません4
まさにあなたが提示したように個人の行動が法律上どう関わってくるかの問題で 分類した際に余りにかけ離れているので一緒にするのは変じゃないですか5? と言う話です。
それだけです。
そんな丁寧な分類資料まで持ち出して なぜ「騙しのテクニック」などと言われなければならないのか非常に心外です6
さて、上記のA氏の問題を整理する。 あくまでもお断りしておくが、A氏が悪い、と書いているのではなく、議論の際の、問題点を具体的に示すのが目的である。

1:"脱法"という用語は使用していない。A氏がちゃんと読んでいないことが示されている。 まず読まなければ議論はできない。

2:全く筆者の意図と違う解釈をしている。筆者は下記のように、明記している。
"以上でこの項を終了しようと思ったが、これを書いているうちに、法解釈で重要な問題に気付いたので、以下にまとめた。"

3:筆者の意図とまるで違う解釈なので、どこの部分がそのようになっているのか具体的な指摘をお願いしたが、回答はない。

4:公共の福祉や権利の濫用の議論をしているのに何故このようなことを書いているのか、議論が噛合っていない。 こういう議論をしなければ、煙草の問題を議論することはできないのに、あっさりと明快に否定されても、 何のための議論か?となってしまう。

5:元の文を良く読んで頂ければわかるはずだが、筆者の分類表の2にある権利の制約を無視した場合に、 同じ行為が4から6になるのだ。しかし、罰則規定のないことが、権利を保障されていると勘違いしている人が少なくない。 だから、権利の濫用などが議論になるのである。

6:A氏が騙しているなどとどこにも書いていない。 "煙草合法論"という騙しのテクニックにA氏が騙されていると書いているのである。



筆者の意見に対して、反対があれば、具体的な理由を挙げて反論して頂きたいし、 また、誤っているというのであれば、具体的な場所とそれが誤っているという根拠を明示して指摘して頂きたい。 そういう議論を通して本質に迫ることができるからである。

以上、筆者からのお願いです。


英国での禁煙法制化に向けての議論

2006/03/20
BBCのサイトを見ていたら、英国で2007年の夏からパブやクラブを含めた飲食店が全面禁煙になるというニュースがあった。 良いことだと感心しながら読んでいたら、面白い話題があったので2例紹介したい。
どちらも、記事を読んでの私の感想ですので、興味のある方は原文をお読みください。

Smoke ban 'threatens environment'(発煙禁止法は環境を脅かす)
参照元 http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk_politics/4719654.stm

発煙禁止法は環境を脅かすという。 何だか逆ではないか、と良く読んでみると、これは、 筆者が喫煙によるエネルギの浪費について-1という話題で既に取り上げていた内容であった。

要約すると、アイルランドで室内での発煙が禁止されてから、発煙者たちが、店の外で発煙するようになった。 しかし、アイルランドは気候が変わりやすく、また、厳しいので、屋外の客をもてなすには相当なエネルギを消費するというものだった。

申し訳ないがやはりこういう議論をする発煙者は頭がいかれているとしか思えない。 このような問題があるのなら、煙草を禁止するのが通常の考え方であろう。 元々、煙草に問題がなければこのような措置は必要なかったということにも気付かない。 哀れと言うのはこういう人たちを形容する言葉だろう。

Smokers' emotional reaction to ban(発煙禁止法に対する発煙者達の感情的な反応)
参照元 http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk_politics/4714410.stm

どこの国も発煙者も同じようだ。 発煙禁止の動きに対しては、感情的に反応している。
このページを見ると、冒頭に発煙する中年の婦人が映っている。 記事を良く読むと、名前まで書いてあって、驚いたことに、年齢は僅か20歳、発煙暦は既に5年という。 そして、発煙禁止法によっても、発煙者たちは、煙草を止めないのだと言っている。
驚いたのは、実年齢と見かけとのギャップもあるが、それ以上にこういう恥ずかしい主張にに体を張っていることだ。 メディアに顔と名前を晒して煙草を擁護する、そして、リラックスするために発煙するのだと、 医学的にも誤ったことを言い張るのだ。 残念ながら、こういう人を見ると、やはり煙草は頭をいかれさせるクスリなのかと考えさせられてしまう。

この記事の別のところには、ロンドンでのアイルランド人発煙者の談があり、 "自分は、アイルランドで発煙禁止法が施行されたのでアイルランドを離れた。 ここでも発煙禁止法が施行されたら別なところに行く"と書いてある。 どうやら、煙草のほうが生活よりも大事なのだ。


これらの記事を読んで感じたことは、煙草擁護する発煙者の思考は万国共通、 カルト教団のように洗脳されているということだ。 やはり、煙草は色々な意味で恐ろしい。

以上


ある読者との通信

2006/04/23

久しぶりにメールを開けたら、例の読者Aからメールが届いていた。 回答すべきかどうか迷ったのだが、これ以上議論しても実が無いので、この場にこの読者とのメールの交信の全文を紹介し、 これで打ち切ることにした。うんざり続きなので、愚痴も兼ねて全文公開することにしたのである。 筆者は、私信を全文公開する気は全くなかったが、この読者が了解していることなので、 個人を特定できる部分をを除いて(メールのアドレスと差出人位ではあるが)全文公開に踏み切ったのである。
全文を紹介するのは、公平を期するためである。 一応、話を見やすくするために、色分けを実施した。 また、全文を公開するので引用部分も全て入っている。 ビジネスの世界では、全文引用が常識(言った/言わないなどの議論を避け、履歴を明らかにするため)なので、 筆者は全文引用しているが、この読者は、自分に都合のいい部分だけを引用している。 したがって、全文を紹介するためには引用部分も繰り返し表示しなければならない。 従って下記のように分類しているので、その点注意してお読みください。 また、予断を避けるため、ここでは結論めいたことを書かずに最後に纏めるので、筆者の結論は最後をご参照ください。

読者A
Smoke Stinks
本文(議論のための部分引用を含む)
本文
全文引用の部分はありません。
引用部分
どちらが正しい・正しくないという暗示を避けるために、敢えて似たような色調にしてあります。

From:      "Reader A"
Subject:      「煙草の問題を考 えよう」について
Date:      Fri, 10 Feb 2006 09:18:48 +0900
Files:    

  煙草が百害あって一利無しと言う点については概ね賛同できますし、 また愛煙家がよく言い訳として使う経済効果や税収に関しても、 喫煙によるマイナス経済効果の方が高いと考えていますので賛同できます。

ただ一点だけ明らかにおかしな箇所があったので指摘させて頂きます。
「他人の喫煙を我慢出来ないのは我儘だ」と言う主張は「殴られても我慢出来ないのは我儘だ」 と主張しているのに等しい、との論調です。
現行法上は正当な権利として認められている喫煙を違法行為である殴打と同等に扱うのは明らかに間違いです。
「体罰盛んな時期云々」とのくだりもありますが、現代社会においても喫煙は合法であり一方の体罰は違法行為です。 もう少し冷静になることをおすすめいたします。
違法合法をごちゃ混ぜにして「嫌なものはいやだ」と言う姿勢は感情的であるとしか言いようがありません。
この様な非論理的反論の形を取りながら「共有財産である〜効果があるのだろうか?」と言うのは、 非論理的な感情的姿勢に輪をかけているようにしか見えません。

「煙草の煙を我慢できないのは我儘だ」
と言う論調を正当化するつもりもありませんが、
「煙草の煙を我慢できないのは殴れらるのを我慢できないのと一緒」と言うことも間違っていると思います。
From:      SmokeStinks
Subject:      Re: 「煙草の問題を考 えよう」 について
Date:      Fri, 10 Feb 2006 10:31:20 -0500

主義信条の自由もあり、言論の自由もあるので、私の書いたことを否定するのも肯定するのも自由ではありますが、 言い尽くされてきた議論を貴方が理解しているとは思えないので一言だけ書きます。

合法というのは、違法ではないというだけのことで、正当に認められた権利ではありません。 煙草を本人が吸うのは正当に認められた権利でしょうが、 嫌がる他人に無理やり吸わせるのが正当に認められた権利であるというのが貴方の考えなのでしょうか?
私には貴方が合法の意味を理解しているとは思えません。

-----Original Message-----
From: "Reader A"
To: "Smoke Stinks"
Sent: Fri, 10 Feb 2006 09:18:48 +0900
Subject: 「煙草の問題を考えよう」について

  煙草が百害あって一利無しと言う点については概ね賛同できますし、 また愛煙家がよく言い訳として使う経済効果や税収に関しても、 喫煙によるマイナス経済効果の方が高いと考えていますので賛同できます。

  ただ一点だけ明らかにおかしな箇所があったので指摘させて頂きます。 「他人の喫煙を我慢出来ないのは我儘だ」と言う主張は
 「殴られても我慢出来ないのは我儘だ」と主張しているのに等しい、 との論調です。 現行法上は正当な権利として認められている喫煙を違法行為である殴打と同等に扱うのは明らかに間違いです。
 「体罰盛んな時期云々」とのくだりもありますが、 現代社会においても喫煙は合法であり一方の体罰は違法行為です。
  もう少し冷静になることをおすすめいたします。
  違法合法をごちゃ混ぜにして「嫌なものはいやだ」と言う姿勢は感情的であるとしか言いようがありません。
  この様な非論理的反論の形を取りながら「共有財産である〜効果があるのだろうか?」と言うのは、 非論理的な感情的姿勢に輪をかけているようにしか見えません。

 「煙草の煙を我慢できないのは我儘だ」
 と言う論調を正当化するつもりもありませんが、
  「煙草の煙を我慢できないのは殴れらるのを我慢できないのと一緒」と言うことも間違っていると思います。
From:       SmokeStinks
Subject:      Re: 「煙草の問題を考 えよ う」について
Date:      Sun, 12 Feb 2006 12:46:28 +0900

貴方への回答を書いておきましたので宜しければお読みください。

http://www.geocities.com/smoke_stinks/cheating.html#legal

 wrote:

> 煙草が百害あって一利無しと言う点については概ね賛同できますし、
> また愛煙家がよく言い訳として使う経済効果や税収に関しても、
> 喫煙によるマイナス経済効果の方が高いと考えていますので賛同できます。
> ただ一点だけ明らかにおかしな箇所があったので指摘させて頂きます。
> 「他人の喫煙を我慢出来ないのは我儘だ」と言う主張は
> 「殴られても我慢出来ないのは我儘だ」と主張しているのに等しい、との論調
> です。
> 現行法上は正当な権利として認められている喫煙を違法行為である殴打と同等
> に扱うのは明らかに間違いです。
> 「体罰盛んな時期云々」とのくだりもありますが、
> 現代社会においても喫煙は合法であり一方の体罰は違法行為です。
> もう少し冷静になることをおすすめいたします。
> 違法合法をごちゃ混ぜにして「嫌なものはいやだ」と言う姿勢は感情的である
> としか言いようがありません。
> この様な非論理的反論の形を取りながら「共有財産である〜効果があるのだろ
> うか?」と言うのは、
> 非論理的な感情的姿勢に輪をかけているようにしか見えません。
> 「煙草の煙を我慢できないのは我儘だ」
> と言う論調を正当化するつもりもありませんが、
> 「煙草の煙を我慢できないのは殴れらるのを我慢できないのと一緒」と言うこ
> とも間違っていると思います。

From:       "Reader A"
To:      Smoke Stinks
Subject:      Re: 「煙草の問題 を考 えよう」について
Date:      Thu, 23 Feb 2006 15:10:13 +0900

ご丁寧な返信ありがとうございます。
序段で脱法とか合法と正当な権利の境がどうのとか色々といってますが、結局提示したのは最後の表ですよね?
一見尤もそうな関係ありそうな話をして実際は余り関係無いと言うのもあなたが言う所の「騙しのテクニック」の1つで、まさに感心させられた次第です。
私は「2番と6番(個人的には7番だと思いますが。)をごちゃ混ぜにして考えるのは余りにも強引じゃないですか?」と言う話をしただけなんです。
公共の福祉の問題や権利の濫用云々は関係ありません。
まさにあなたが提示したように個人の行動が法律上どう関わってくるかの問題で分類した際に余りにかけ離れているので一緒にするのは変じゃないですか? と言う 話です。
それだけです。
そんな丁寧な分類資料まで持ち出してなぜ「騙しのテクニック」などと言われなければならないのか非常に心外です。
ご理解頂けずに残念ですが、あなたの言わんとすることにはむしろ賛同できる部分が多いですので、それだけは誤解の無いようにお願い致します。

ちなみに本人の了解を得ていない「引用」は著作権法上は「適法」です。
From:       SmokeStinks
Subject:      Re: 「煙草の問題 を考 え よう」について
Date:      Thu, 23 Feb 2006 09:25:06 -0500

"Reader A"様

ご返信有難う御座いました。貴方の考えることをもう少し知りたいのでできれば教えてください。 先ず、私は、貴方が騙されていると書いたのであり、騙しているとは書いていません。冒頭の部分をお読みください。

それと、貴方が書かれている、" 一見尤もそうな関係ありそうな話をして実際は余り関係無い"という部分がどこなのか教えてください。 私は全て関係のあることを書いているつもりです。
誤解を招く表現があるのであれば改めます。 自分の書いた内容がどのように理解されているのかは非常に興味があります。

貴方の考えが私と全く違っているのは1点です。 貴方には、"煙草を吸うこと=発煙行為"という認識がありません。 どうやらそこが全ての違いの出発点のように思います。 発煙行為という認識で考えれば、その後の解釈が全く変わるのではありませんか? できましたら、
http://www.geocities.com/smoke_stinks/Terms_be_corrected.pdf
をお読みください。 煙草を個人の問題に転化するのが問題だというのがかねてからの私の主張です。

私は、煙草を"消費する"権利という用語を使用して、2番に入れましたが、 公共の場所で発煙する権利、ということであれば、直ちに否定します。 分類としては、法解釈の仕方によって、5番か6番或いは傷害未遂や放火未遂として扱うこともできるでしょう。 しかし、現実には野放しになっているものです。 公共の場所での発煙が適法であることの根拠を貴方が持っているのであれば教えてください。

因みに、公開された文書の部分引用は適法ですが、それが私信に適用できるとは考えていません。

Smoke Stinks

-----Original Message-----
From: "Reader A"
To: Smoke Stinks <"Smoke Stinks">
Sent: Thu, 23 Feb 2006 15:10:13 +0900
Subject: Re: 「煙草の問題 を考 えよう」について

 ご丁寧な返信ありがとうござ います。
序段で脱法とか合法と正当な権利の境がど うのとか色々といってますが、結局提示したのは最後の表ですよね?
一見尤もそうな関係ありそうな話をして実 際は余り関係無いと言うのもあなたが言う所の「騙しのテクニック」の1つで、まさに感心させられた次第です。
私は「2番と6番(個人的には7番だと思 いますが。)をごちゃ混ぜにして考えるのは余りにも強引じゃないですか?」と言う話をしただけなんです。
公共の福祉の問題や権利の濫用云々は関係 ありません。
  まさにあなたが提示したように個人の行動が法律上どう関わってくるかの問題で分類した際に余りにかけ離れているので一緒にするのは変じゃないですか?と言 う話です。
それだけです。
そんな丁寧な分類資料まで持ち出してなぜ 「騙しのテクニック」などと言われなければならないのか非常に心外です。
ご理解頂けずに残念ですが、あなたの言わ んとすることにはむしろ賛同できる部分が多いですので、それだけは誤解の無いようにお願い致します。

ちなみに本人の了解を得ていない「引用」 は著作権法上は「適法」です。

From:       "Reader A"
To:      "Smoke Stinks"
Subject:      Re: 「煙草の問題 を考 えよう」について
Date:      Wed, 15 Mar 2006 12:16:21 +0900

度々ご丁寧な返信ありがとうございました。
付け加えまして、私の返信が毎回遅れていますことをお詫びいたします。

>ご返信有難う御座いました。貴方の考えることをもう少し知りたいのでできれば教えてください。
>先ず、私は、貴方が騙されていると書いたのであり、騙しているとは書いていません。
>冒頭の部分をお読みください。

私も「(私が)騙している」と書いた覚えはありません。
今一度確認を願います。
私の方でもwebページを確認しましたが、冒頭で「騙されてる」と書いてはありますが、 以降についてあなたは「実はこの『誤解が騙しの手法として使用されている』のだ。」とも書いています。
私は誤解しているとは思いませんが(むしろ適法、合法、違法、不法について誤解しているのはあなただと思いますが本筋から外れますので割愛します) 百歩譲って誤解してるものとして、そこで言う「誤解」とは明らかに私の論法を指し、 「騙しの手法として使用されている」と書いています。
これでは、見る方の中には私が騙しのテクニックを用いて詭弁を弄していると思われる方もいるかと思います。
それを指しての「心外」と言うことでご理解をお願いしたいと思います。

>私は、煙草を"消費する"権利という用語を使用して、2番に入れましたが、公共の場所で発煙する権利、ということであれば、直ちに否定します。
>分類としては、法解釈の仕方によって、5番か6番或いは傷害未遂や放火未遂として扱うこともできるでしょう。
>しかし、現実には野放しになっているものです。
>公共の場所での発煙が適法であることの根拠を貴方が持っているのであれば教えてください。

刑法第38条1項にあります通り、特別な規程が無い場合は犯罪として認識されるためには犯罪意思が必要とされます。
だからこそ逆に「過失罪」が存在しているわけです。
例えばタバコを吸わない人に対してイタズラする目的で煙を吹きかけて、 その煙でめまいがして倒れてしまった場合は暴行致傷→傷害として認識されるでしょう。

しかし、通常、喫煙を目的として発煙している場合には暴行、傷害の意思が無いわけですから傷害未遂にはならないでしょう。
では未必の故意には問えないか?過失傷害になるのではないか?と言う問題も生じてきますが、 「不特定多数の人間が集まる公共施設」において健康被害に対して
の因果関係を特定することが非常に困難であることを考えれば、これも無理だと考えます。
「法解釈の仕方によっては」とおっしゃってますが、現実離れした勝手な解釈で「こう捉えれば傷害未遂になる」と言っても無意味でしょう。

上記が最初に主張した私の考えの全てです。
そう言った見地から、「公共施設での喫煙行為」については2番以外にはなり得ないとの考えです。
発煙行為の認識云々と言うことではなく、あくまでルール上の整合性の問題だけです。

公共の場所での発煙が「適法」な根拠を示せ、とのことですが私としてはその必要性を感じません。
「合法」の範囲内で行動するのが当然とされるのが現代社会であり、 「他人の権利を侵害しない」様に務めるのは適法云々ではなくて管理者のローカルルールによる裁量 (極端なことを言えば国内法も世界規模見ればこの「ローカルルールの裁量」に含まれます)であると考えています。
敢えて言えば喫煙所(席)、灰皿の設置を以って管理者によって認められているという考え方です。
喫煙所や灰皿設置箇所で煙草を吸うことは施設管理上(もちろん不法行為排除も入ります)認められたことであり、 それに対して不法行為を主張するのであれば、喫煙者ではなく施設管理者がその責を問われるべきことでしょう。

もちろん、禁煙席や禁煙区域、或いは灰皿を設置していない箇所については上記の限りではありません。 「公共施設での喫煙行為」はあくまで喫煙席や喫煙車、或いは灰皿の置いてある場所での喫煙のことです。
また、5番類型で実際に例示されている路上喫煙も私の理解する中での「公共施設での喫煙」には該当しないことも付け加えさせて頂きます。

From:       SmokeStinks
To:  "Reader A"
Subject:      Re: 「煙草の問題 を考 えよう」について
Date:      Sat, 18 Mar 2006 20:08:47 -0500

いろいろと誤解があるようですが、最初にお断りしておきます。私は勝った負けたの議論に付き合いする気持ちはありません。
あなたが省略した部分は、勝った、負けたの話ではなく、本質的に重要だと私が考えている部分なので、 そこを勝手に省略する貴方の議論には興味がありません。

貴方は、勝った、負けたの世界に勝手に浸かっているのがよく分かります。 例えば、"不法"など理由があって私が使用しなかった用語も並べたてて、"間違っているのはお前だ"と理由なく書いています。 メールを拝見すると貴方は、法学部の学生か卒業生かだと思いますが、議論の仕方を見ると、しっかりした成書は読んでいないようです。
しっかりと勉強すれば分かることですが、法律は、結果が合っているか合っていないかは重要ではなく、 その結論を導き出す思考のプロセスが最重要であることは、ちゃんとした成書を読めば分かることです。 理由なく"お前は間違っている"といった程度の勉強では、残念ながらお話になりません。
試験に通る・通らない、といった勉強の仕方では、煙草問題の本質が見えるようにはなりません。

私にとって勝った負けたはどうでも良いことで、煙草の問題の本質に迫れてそこで議論できればそれで良いのです。 個人の沽券にかかわるとかそういうことはどうでも良いのです。

また、今回のメールを頂いて、貴方が私のページを全く読んでいないことも分かりましたので、 このメールに返信頂く必要もありません。気が変わって私のページを読むようなことがあったらまたごお便りください。

貴方のメールの最後の部分に一所懸命書いていることは、とっくの昔に"歩き煙草に一言言いたい"などの掲示板で議論され尽くしたことです。

繰り返しますが、煙草の問題の本質にかかわる部分の議論がしたいだけであって、 勝った、負けた、沽券にかかわる、といったことには全く興味がありません。


-----Original Message-----
From: "Reader A"
To: "Smoke Stinks" <"Smoke Stinks">
Sent: Wed, 15 Mar 2006 12:16:21 +0900
Subject: Re: 「煙草の問題 を考 えよう」について

 度々ご丁寧な返信ありがとう ございました。
付け加えまして、私の返信が毎回遅れてい ますことをお詫びいたします。

>ご返信有難う御座いました。貴方 の考えることをもう少し知りたいのでできれば教えてください。
>先ず、私は、貴方が騙されている と書いたのであり、騙しているとは書いていません。
>冒頭の部分をお読みください。

私も「(私が)騙している」と書いた覚え はありません。
今一度確認を願います。
  私の方でもwebページを確認しましたが、冒頭で「騙されてる」と書いてはありますが、以降についてあなたは「実はこの『誤解が騙しの手法として使用され ている』のだ。」とも書いています。
  私は誤解しているとは思いませんが(むしろ適法、合法、違法、不法について誤解しているのはあなただと思いますが本筋から外れますので割愛します)百歩 譲って誤解してるものとして、そこで言う「誤解」とは明らかに私の論法を指し、「騙しの手法として使用されている」と書いています。
これでは、見る方の中には私が騙しのテク ニックを用いて詭弁を弄していると思われる方もいるかと思います。
それを指しての「心外」と言うことでご理 解をお願いしたいと思います。

>私は、煙草を"消費する"権利と いう用語を使用して、2番に入れましたが、公共の場所で発煙する権利、ということであれば、直ちに否定します。
>分類としては、法解釈の仕方に よって、5番か6番或いは傷害未遂や放火未遂として扱うこともできるでしょう。
>しかし、現実には野放しになって いるものです。
>公共の場所での発煙が適法である ことの根拠を貴方が持っているのであれば教えてください。

刑法第38条1項にあります通り、特別な 規程が無い場合は犯罪として認識されるためには犯罪意思が必要とされます。
だからこそ逆に「過失罪」が存在している わけです。
  例えばタバコを吸わない人に対してイタズラする目的で煙を吹きかけて、その煙でめまいがして倒れてしまった場合は暴行致傷→傷害として認識されるでしょう

しかし、通常、喫煙を目的として発煙して いる場合には暴行、傷害の意思が無いわけですから傷害未遂にはならないでしょう。
  では未必の故意には問えないか?過失傷害になるのではないか?と言う問題も生じてきますが、「不特定多数の人間が集まる公共施設」において健康被害に対し ての因果関係を特定することが非常に困難であることを考えれば、これも無理だと考えます。
「法解釈の仕方によっては」とおっしゃっ てますが、現実離れした勝手な解釈で「こう捉えれば傷害未遂になる」と言っても無意味でしょう。

上記が最初に主張した私の考えの全てで す。
そう言った見地から、「公共施設での喫煙 行為」については2番以外にはなり得ないとの考えです。
発煙行為の認識云々と言うことではなく、 あくまでルール上の整合性の問題だけです。

公共の場所での発煙が「適法」な根拠を示 せ、とのことですが私としてはその必要性を感じません。
  「合法」の範囲内で行動するのが当然とされるのが現代社会であり、「他人の権利を侵害しない」様に務めるのは適法云々ではなくて管理者のローカルルールに よる裁量(極端なことを言えば国内法も世界規模見ればこの「ローカルルールの裁量」に含まれます)であると考えています。
敢えて言えば喫煙所(席)、灰皿の設置を 以って管理者によって認められているという考え方です。
  喫煙所や灰皿設置箇所で煙草を吸うことは施設管理上(もちろん不法行為排除も入ります)認められたことであり、それに対して不法行為を主張するのであれ ば、喫煙者ではなく施設管理者がその責を問われるべきことでしょう。

もちろん、禁煙席や禁煙区域、或いは灰皿 を設置していない箇所については上記の限りではありません「公共施設での喫煙行為」はあくまで喫煙席や喫煙車、或いは灰皿の置いてある場所での喫煙のこと です。
また、5番類型で実際に例示されている路 上喫煙も私の理解する中での「公共施設での喫煙」には該当しないことも付け加えさせて頂きます。

From:       "Reader A"
To:      "Smoke Stinks"
Subject:      Re: 「煙草の問題 を考 えよう」について
Date:      Wed, 19 Apr 2006 17:21:23 +0900

激しく誤解があるようですが、私自身勝った負けたにこだわっているつもりはありません。
私が結果のみを重視しているとのことですが、 法の体系の中での大枠としての法の在り方とそれに伴う法治国家としての統治論からアプローチしているのであって、 結果が合っているいないを前提に話をしたつもりは一切ありません。

どうもあなたは何でも勝手に自分の都合に合わせて決め付けてそれを前提に話を進めたがるように私からは見受けられます。
一体あなたは何がしたいのですか?
煙草の問題の本質的なことについて語りたい「だけ」なのか、 煙草の本質的な問題について語って様々な人に理解を深めて欲しいのか。
前者の様に井戸端会議宜しく仲間内で喋っていればそれでいい、というのであれば私も別にどうこう言うつもりは全くありません。
私はあなたが後者の人間だと思えばこそメールを送らさせて頂いたのですが、どうやらあなたは違ったようです。

「とりあえず全部読め」
まあ、普通の人、特に煙草の問題に関心の無い喫煙者でしたらまず見ないでしょうね。
「そんなことはとっくに言い尽くされた」
言い尽くされた結果どうなったのでしょうかね。

あなたは結局は勝ち負けや個人の沽券はどうでも言いといいながら、煩わしいことを避けて自分中心に話を通したいだけなのではないですか?
特に「私にとって勝った負けたはどうでも良いことで、 煙草の問題の本質に迫れてそこで議論できればそれで良い」と言いながら、「勝ち負けにこだわっている」 「まともに法律の勉強をしたとは思えない」と本筋から離れた部分に多く力を割いている点によく表れています。
勝ち負けにこだわらずに理解を深めさせることを目的とするならば、淡々と与えられた論点についてのみ反論すればいいだけのことですし、 そもそも「あなたじゃお話にならないからこれ以上は議論は無駄」
「返信を必要としない」などというメールを送り付ける必要は無いはずですから。
そう思ってるなら最初からあなた自身がメールを返信しなければ済む話です。

私は20歳のときに先輩に1日10本の煙草を10日ほど強制されて以来しばらく煙草が止められませんでした。
結核を患って煙草が減った時期はありましたが、結果的に止められませんでした。
それどころか結核が治ってからはまた煙草の量が増えました。
しかし、半年前にあることをきっかけに煙草を止めました。
その「あること」が私の心に非常に響いたからです。
元喫煙者(あなたに言わせれば発煙者でしょうか?)の立場から言わせてもらえば、
あなたのやり方ではほとんどの発煙者に発煙被害の理解を得ることは難しいでしょうね。
あなたの様にそもそも根本的に理解を得ようとする姿勢が全く欠けているようでは。

とりあえず、私が以前送ったメールにあなたが取り合わない以上はこれ以上は何も進まないですので、
私自身としてもこれ以上話を強引に進めようとは思いません。
あなた自身が早くその独りよがりな勝ち負けにこだわる姿勢を捨てて、 より広く理解を求める姿勢に転換されることを望んで今回のメールを送信させて頂きまし た。
当方の失礼な遅筆にもかかわらず毎回丁寧な返信を頂きましてありがとうございました。


さて、以上がこの読者との交信の全文である。

発端は、Fri, 10 Feb 2006 09:18:48 +0900の読者からのメールで、筆者に対し、"非論理的だ"と批判したことである。

筆者は、本分で"煙草合法論"と題して主張し、この読者の批判に対して回答している。
読者は、Thu, 23 Feb 2006 15:10:13 +0900で"筆者の論調は、関係の無いことを書いて読者を騙している"と再び批判している。

筆者は、Thu, 23 Feb 2006 09:25:06 -0500で"誤解を招いている部分はどこか教えヲて欲しい"と尋ねている。 実はこのことが一番重要な部分である。ウェブで、不特定多数の人々に対して主張する以上、 できるだけ読者からのフィードバックが欲しいし、誤りがあれば修正しなければならないと思っているからだ。 好き嫌いの類の中傷については、この限りではない。

暫く何もこの読者からの交信がなかったので、3月8日に煙草問題の議論と いう主張でこのやり取りについて主張している。

この読者からWed, 15 Mar 2006 12:16:21 +0900に久しぶりに交信があった。学校で習ったような法律的なことをいろいろと書いてあるのだが、 筆者に挑戦することが目的のように読めたし、そもそも、3月8日の 煙草問題の議論も読んでいる気配が無かった。

従って、Sat, 18 Mar 2006 20:08:47-0500に、この読者に対して失礼ながら、 "もっと勉強したらどうか"という内容の批判のメッセージを返した。 正直言って、ちゃんと読みもせずに細かな批判を繰り返されても答えるのは時間の無駄だし、 何より細かなことには興味がないのである。煙草の問題についてあまり法律的な議論をしても、 "自分の(生理的でない)欲求のために他人に嫌な思いをさせる権利、 他人を不幸にする権利、地球を汚す権利の根拠は何か"と聞けばそれで全ては終わるのだが、 煙草擁護派は、関係の無い詳細の議論に巻き込んで煙に巻くのが常套手段である。 だから、法律的な議論をしても実が無いのである。 であるから、Thu, 23Feb 2006 09:25:06-0500のメールで、 "公共の場所での発煙が適法であることの根拠を貴方が持っているのであれば教えてください" と問いかけているのでもある。 この質問も上記のものと同じく非常に重要である。それに対して、
"公共の場所での発煙が「適法」な根拠を示せ、とのことですが私としてはその必要性を感じません。"
と答えるような人と議論しても無駄なのである。

恐れながら筆者も唯のちっぽけな人間であるので、批判だけが目的のような読者から、 自分がウェブ等で調べれば分かるものを、筆者にいちいち聞かれても、回答する気にはならないのである。
従って、"筆者のページを読む気がないならこれ以上メールをよこさないでくれ"というメッセージを伝えた。 もういい加減うんざりしていたのである。

ところが、Wed, 19 Apr 2006 17:21:23+0900に全く望んでいないメッセージを受取ってしまった。 うんざり続きなので、愚痴も兼ねて全文公開することにしたのである。 筆者は、私信を全文公開する気は全くなかったが、この読者が了解していることなので、 個人を特定できる部分をを除いて(メールのアドレスと差出人位ではあるが)全文公開に踏み切ったのである。
最後のメッセージの目的を、筆者は汲み取ることができない。 しかし、このメッセージに対する回答を含めて、以下に記述する。

読者A:
法の体系の中での大枠としての法の在り方とそれに伴う法治国家としての統治論からアプローチしているのであって...

筆者:
ごたいそうな表記ではあるが、アプローチした結果、煙草問題をどうしたいのか、どこにも結論が見えない。 本来の目的がなく、議論が目的になってしまっている。

読者A:
どうもあなたは何でも勝手に自分の都合に合わせて決め付けてそれを前提に話を進めたがるように私からは見受けられます。

筆者:
批判は甘んじて受けるが、敢えて言えば、学者の書いている論説文、裁判所の判決など、何でもそうではないのか? 自分の考えを展開することの何が悪いのか?そんな批判をしている読者Aは、全知全能の神か聖人君子なのか?

読者A:
特に「私にとって勝った負けたはどうでも良いことで、煙草の問題の本質に迫れてそこで議論できればそれで良い」 と言いながら、「勝ち負けにこだわっている」「まともに法律の勉強をしたとは思えない」 と本筋から離れた部分に多く力を割いている点によく表れています。

筆者:
つまらない議論したくないので、力を使わないために、そのようなことを書いたつもりだったのだが...
解釈は勝手ではあるが... くだらないと考えている質問にいちいち答えるのとどちらが力を使わないのか、考えれば分かるだろうに...

読者A:
一体あなたは何がしたいのですか?
煙草の問題の本質的なことについて語りたい「だけ」なのか、煙草の本質的な問題について語って様々な人に理解を深めて欲しいのか。
前者の様に井戸端会議宜しく仲間内で喋っていればそれでいい、というのであれば私も別にどうこう言うつもりは全くありません。
私はあなたが後者の人間だと思えばこそメールを送らさせて頂いたのですが、どうやらあなたは違ったようです。

筆者:
筆者の人格批判はいい加減にしてください。 あれこれ喧嘩を売る前に、筆者からの質問に答えてくださいね。そもそも貴方から喧嘩を売ってきた訳ですから。

読者A:
「とりあえず全部読め」
まあ、普通の人、特に煙草の問題に関心の無い喫煙者でしたらまず見ないでしょうね。

筆者:
そんなこと当たり前でしょ! 全ての発煙者が筆者の主張をちゃんと読めるくらいなら、初めから煙草の問題など存在しないよ! 全ての書物に、読者の対象があるように、筆者の主張も読者の対象を想定しているのであって、 初めから読む気のない人など来て頂かなくて結構!いい加減にしてくれ!

読者A:
「そんなことはとっくに言い尽くされた」
言い尽くされた結果どうなったのでしょうかね。

筆者:
自分で調べられること位、調べてからそう言ってくれ。筆者は貴方の家庭教師じゃないよ。

読者A:
「返信を必要としない」などというメールを送り付ける必要は無いはずですから。
そう思ってるなら最初からあなた自身がメールを返信しなければ済む話です。

筆者:
もうメールをよこさないでくれ、って書いているのに、どうしてワザワザ返信するんだよ!

読者A:
私は20歳のときに先輩に1日10本の煙草を10日ほど強制されて以来し ばらく煙草が止められませんでした。
結核を患って煙草が減った時期はありましたが、結果的に止められませんでした。
それどころか結核が治ってからはまた煙草の量が増えました。
しかし、半年前にあることをきっかけに煙草を止めました。
その「あること」が私の心に非常に響いたからです。
元喫煙者(あなたに言わせれば発煙者でしょうか?)の立場から言わせてもらえば、
あなたのやり方ではほとんどの発煙者に発煙被害の理解を得ることは難しいでしょうね。
あなたの様にそもそも根本的に理解を得ようとする姿勢が全く欠けているようでは。

筆者:
相手の知らない特定の「あること」を持ち出して説明抜きに相手を批判するとはどういうつもりか? 少しは常識的に考えてくれ。
煙草の問題に対する回答を持っているなら、他人を批判する前に、自分ならどうするか示したらどうか!
いい加減にしてくれ!

折角お便りを下さった方には申し訳ないが、こういう議論では時間の無駄なのだ。 人格批判ではなく、内容について議論したいのである。究極の目的は煙草問題を無くすことだが、それまでには時間がかかるだろう。

以上


煙草による思考の異常化と洗脳効果

2006/05/05

さて、今日は子供の日だ。 子供の日が金曜だったので、5連休になって嬉しい限りだ。子供達のためにも、煙草のような悪習は一刻も早く排除すべきだと思う。 度々具体的に書いてきたように、煙草は身体を害するだけでなく、精神も害する恐ろしい毒なのである。

前回は、読者Aからの便りで疲れた、という記事を書いた。 疲れたと一言で云えばそれだけになってしまうのだが、何か最初から違和感を覚えていた。 その違和感こそは、世の中の騙しに遭わないようにするための重要な感覚ではないかと思うので書くことにした。 世の中に騙しは多いが、騙しには、ある共通のパターンがある。 今回のAからのメールも騙しのパターンにぴたりとはまっている。 最初はAは善意で、騙されているのだと思っていたが、何度か読み直しているうちに、 A本人が自覚しているかどうかは別として、筆者を騙そうとしていたことに気付いた。 筆者も騙されやすい性格なのだと反省しきりである。

読者Aからのメールとそれに回答した筆者のメールの全文は、 ある読者からの通信に記したので、それをお読みになっていない方は、ご参照ください。

まず、最初の違和感は何だったのか。
最初のメールで読者Aは、筆者の考え方に賛同すると装いながら、 忠告するかのように、筆者の論調を批判している。違和感はそういった批判そのものではなく、 Aが自分の立場を明かさないでいたことである。 このページを開いて以来、何度か読者からメールを頂戴している。 それらのメールには、まず最初に、その方々の立場を書いて頂いていた。 考えてみれば、見ず知らずの人に便りを出すのに、 自己紹介くらいするのが礼儀なのである。 そのうえで、筆者に対して、意見を述べるというのが社会常識である。 Aは、この社会常識を守らずに、いきなり親しそうに近づいてきた。 これが第一の違和感である。

筆者自身もこの違和感があったからこそ丁寧に返信するのではなく、要点だけを返した。 また、Aのメールを読んで、煙草合法論という騙しのテクニックがあることに気付いたので、 それを記事にした。この時点では、Aは、煙草合法論に知らずのうちに騙されているのだと考えていた。

しかし、その後、Aからのメールは、おかしな方向に突っ走っていった。 Aの論点の矛盾点について質問しても回答を勝手に省略するし、 Aの自説は、煙草合法論を展開するだけで何の進展もなかった。 結局、煙草問題を解決する意図は感じさせず、煙草問題に悩んでいる人を押し込める論調になっていた。 また、同時に徹底して筆者の人格批判に走っていった。 この人格批判が第二の違和感である。

それで愛想をつかして、ちゃんと勉強すべし、というメッセージを返し、終了宣言を出したつもりでいた。 その後、相当期間経過してからAからメッセージがを頂戴した。 そこで筆者もさすがにブチ切れて、メールの全文を公開したのである。 全文を公開した理由は、云うまでもなく、 外部に評価して頂くためであった。

ここで、社会に蔓延る洗脳のテクニックについて紹介しておきたい。 洗脳と聞けば、最初に思い起こすのは、オウム真理教の事件だろう。 オウム真理教の洗脳については、テレビ番組で、詳細に紹介されていたので、 ここでは触れないが、自分の知っている一般的な洗脳の手法について以下にまとめる。

洗脳の手法(薬剤によるものを除く)

  1. 心の隙間につけ込む。 学校を卒業した間近など、急激な環境の変化があり、本人に悩みがある、また、新しい環境で冒険してみたい、というような隙間を狙う。
  2. 自分の正体を明かさず親しそうに近付いてくる。 "あなたの悩みを共有したい"というのが手口である。目的は悩みを共有するのではなく、騙すことなのである。 電話勧誘の押売りなども、この手が多い。社名を名乗らず、自分の名前だけを伝える。 電話勧誘だって、正体を最初に明かしてくれれば良心的である。
  3. 本人に対して近付いてゆくが、本格的な洗脳は、第三者の手の及ばない場所で実施する。 例えば、カルト教団の説教室などを使う。 外部と遮断するのが目的である。外部と遮断し、思考が正常に働かない状態にして、 本人の過去や常識を否定し、教義を教え込む。


上記については、ガイドラインに過ぎないが、この筋書きが分かっていれば (魔手が忍び寄ってきた時点で、正常な判断ができる精神状態であれば)騙されることはない。 何故なら、相手は、第三者から遮断する状況を作らない限り、本格的な洗脳活動ができないからである。

さて、ある読者からの通信を書いて、 しばらくし、Aの手法が洗脳の手法に似ていることに気付いた。 Aは、煙草による洗脳が解けていなかったのである( タバコと没個性をご参照ください)。 最後のメールではじめて知ったことは、Aと煙草との関わり合いだった。 Aのメッセージを信じれば、Aは、嫌々ながら他人に煙草を強制されてニコチン中毒になり、 その後、結核を煩っても禁煙できない重度のニコチン中毒患者であったが、 何かの出来事をきっかけとして現在は煙草を止めている、ということだ。 その出来事はAしか知らないことだが、 Aは筆者に知りようもないその出来事を引き合いに出して筆者の人格批判を繰り広げている。 どうしてこのような非常識なことができる理由は、A自身が非常識の中で生きてきたからだろう。 知らないし、調べようもないことを引き合いに出してケチをつけられても、"あ、そうですか"としか言いようがない。 常識人であれば決してそのような真似はしないものだ。

しかし、なぜそのような馬鹿なことができるのかというと、それは、Aの心が未だに発煙者のままだからだろう。 身が発煙者でなくなっても、心が発煙者のままという人は相当数居るだろう。 こういう元発煙者でかつ発煙者予備軍の人は、煙草問題の解決を遅らせる原因にもなっている。 何度も書いているのだが、自分のために禁煙しただけの人など、 煙草の問題の解決には全く役立っていない。 煙草を吸うことが発煙行為であり、 他人に影響を及ぼしていることを知って初めて煙草の問題を知る。 Aは、洗脳の解けていない状態であり、再び発煙者に戻る可能性が極めて高い。 だから、煙草の問題を認識し、啓蒙する筆者に対して噛み付き人格批判を繰り広げたのだろう。 実は、このような発煙者予備軍や、煙草問題を認識していない無知な非発煙者は、煙草問題の解決を遅らせる。 発煙者よりもむしろ却って厄介な存在なのだ。

現役の発煙者の多くは洗脳にかかっており、物理的な中毒症以上に危険な常態になっている。 通常は正常な思考を持っていても煙草のことになると異常者になってしまったりする。 その一例が、"煙草は思考を曲げるのか"で紹介した人である。 恐らく、Aがその主張を読んでもその異常さには気付かないのではないかと思うが、 Aのように、他人にけちをつけるだけの人よりは、このように主張を公に展開する人のほうが正々堂々としていて良い。

こうやって見てゆくと、やはり、煙草には洗脳効果があるのではないかと考えさせられる。

以上


煙草が犯罪になる日

2006/05/22

少し刺激の強いタイトルであるが、これは、日本語版Newsweek誌2006年5月24日号の記事のタイトルである。 筆者は2003年8月27日付で、"煙草が無くなる日" という記事を書いている。そこでは、煙草が無くなる理由として、

  1. 人々が煙草の臭さ、不快さに気付いてきた
  2. 国家が煙草による損失に気付いてきた
  3. 正しい情報が得やすくなってきた
  4. 上記の相乗効果で絶滅への道に向かう
というものであった。そして、2020年に煙草がほぼ絶滅するだろうと予言している。

さて、今回はNewsweek誌の内容について紹介しておきたい。 その記事の概要は概ね下記の通りである。

(a)英医学誌ランセットが、2003年12月にブレア首相に対してタバコそのものを非合法化することを提案した。 その後煙草を非合法化した国はまだないが、アメリカ、アイルランドなどで、公共の場所の禁煙化が進み、 その流れが止まらない。

(b)ノルウェーの煙草事業者は、発煙者の利便のために、屋外にガスヒータを無償で設置するなどの対策を実施している。 また、米ニューハンプシャーでは、RJレイノルズや市民団体などのロビイ活動によって、 バーとレストランを禁煙にする法案を僅差で否決とした。

(c)その一方禁煙法に反発しながらも受容れる人も少なくない。

(d)反煙草派でも煙草の非合法化を支持するのは少数派に過ぎない。

(e)煙草を非合法化しても闇で売買されるため根本策にならないと主張する人々が多い。

(f)しかし、煙草を非合法化しなくても煙草文化は崩壊し、実質的に煙草は無くなると考える論客も存在する。

(g)その他に資料や、米国人煙草擁護派や日本人嫌煙権の市民運動家などの話を紹介している。

Newsweek誌は、毎号読んでいる訳ではないので、どのようなスポンサーが付いているのか分からないが、 今回の号には煙草会社の広告は見つからなかった。 この特集は、煙草の撲滅を主張する訳ではなく、現状を淡々と書いているものである。 だから、煙草擁護派の主張も載せてあるし結論も載せていない。 しかし、煙草の絶滅状態の到来を予測するように読めた。

以上だけでは面白くないので、筆者のコメントを以下に付ける。

まず第一に、筆者の予想は、(f)に近い。 このままの流れを継続すれば、人々が煙草の不快感に気付くようになり、煙草がどんどん嫌われていく。 これは、空調の必要ない国以外では特に加速してゆくだろう。 重要なのは、多くの人々が煙草の不快感を認識するようになるということだ。

(b)は筆者が既に指摘しているように煙草は、省エネに反する環境破壊の産物なのだという事実であり、 また、煙草会社は自らの利益のために積極的に環境破壊活動を行っているという証明でもある。

(e)には全く反対だ。 非合法化した場合には、罰則を現在の麻薬と同等にしてしまえば、 余程末端価格が高くならない限り煙草で儲けようという輩は出てこないだろう。 (e)は、煙草を非合法化させないための利権者の作戦である。 要は、危険を冒しても良い程度の儲けがあるかどうかだ。 日本の現在の禁煙関連の法令は、犯しても危険が少ないから守られないのだ。 例えば駐車違反などもその程度の危険なので無くならないのだ。 6月から多少厳しくなるらしいが、その程度では大きな効果はないだろう。 駐車違反を無くそうと思えば、漏らさず取り締まる以外に方法はないだろう。

(c)の禁煙政策に反発しながらも受容れるというのは恐らく多数派だろう。 煙草の保護にそこまでむきになっても、殆どの人にとって得られるものは無きに等しいだろう。 それに引き換え、禁煙の社会になると発煙者にとって得るものは大きい。このようになるのは自然の流れだ。 しかも、一旦煙草を止めてしまうと、その不快感を認識せざるを得なくなるのだ。

(g)の日本の嫌煙権の市民運動家は、煙草の廃絶は今世紀中は無理だろう、 と書いていたが、そんなことはないだろう。 煙草が今の状況から盛り返すことがないかぎりあと95年も生き永らえるとはとても思えない。 生き永らえるとしたら、筆者が、"煙草が無くなる日" で主張したような大胆な政策をとった場合に限るだろう。
また、(g)の米国人煙草擁護派は、ご多分に漏れず、見かけより若かった。 そして、"禁煙の場所では、周囲からやめて欲しいと言われればやめる。 禁煙でない場所であれば止めない。 そして、自分たちは吸い続ける(発煙を続ける)"という幼稚な主張を繰り返している。 何度も書いたように煙草擁護派は万国共通、カルト教団と同じなのだ。 興味のある方は読んで頂ければ良いと思うが、筆者が書いたこと以上の発見はないと思う。

Newsweekは、どちらかというと知識層をターゲットにしている。 何も考えずに発煙を続ける人には読んでも理解できないと思うし、 そういう人が買うとも考えていないのだろう。 そうでなければこのような特集記事は中々掲載できないのではないだろうか。

全体を通してみると、Newsweekの特集は、資料の分を除くと筆者が書き続けている内容とあまり差がある訳ではなかった。 冷静に考えれば、煙草は絶滅以外の道をとる可能性などないということだ。

以上


Newsweek記事の補足

2006年5月28日
煙草が犯罪になる日を書いた後で一つ気になることがあった。 書いてみてどうもすっきりしなかった部分なので補足することにした。
Newsweekの記事は、タイトルが刺激的な割には、中身は殆どない。 既知の事実を纏めただけで記事を構成してあり、肝心の主張はゼロだった。 何故、そのように主張を空白にしたのかというと、煙草会社に気を使ったと考えられなくもなかった。 筆者が自分の記事を書くときに特に留意していることは、自分の主張を入れることだ。 新聞などは、主張を入れないのが原則ではあるが、実際には主張が入っている。 大新聞だって、新聞社の主張が随所に入っているし、報道したくない事実を無視するというのも主張の一部だ。 週刊誌などは、一般に主張だらけで、通常はある特定の目的を以って出版している。 Newsweekの、その記事は、殆ど無主張だったが、他の記事は主張ばかりだった。

このようなどこか気持ちの悪さを残した記事を忘れかけていたが、その次の週の記事に目を引くものがあったので、 2週続けてNewsweekを買ってみた。 気になった記事は、"世界遺産が危ない"というものだった。 これは一応参考にはなる記事だった。 また、ダビンチ・コードに関する記事も見付かったので興味を持って読んでみた。 その内容は、ダビンチ・コードは、嘘八百、全くの出鱈目、でっち上げ、というものだった。 自分は、特に宗教の縛りがないので、ダビンチ・コードが正しくても正しくなくても影響がないのだが、 そこまで書くか、というほどのこき下ろしようであった。
その前の号では、主張を明確にしない、と思っていたが、この号では非常に偏った論調だと感じた。 結局、煙草の問題については、煙草会社に遠慮しているのか、と思ったところで、煙草の広告を見つけた。 目立たない広告ではあったが煙草の広告だった。
やはり、煙草会社はどこにも影響を持っている。 もろに煙草を否定する記事など書けないのだ。

すっきりしない1週間ではあったが、謎が解けて良かった。 煙草会社は、新聞・雑誌を全て読み漁り、煙草に否定的な記事が出ないようお金で決着しているのだろう。

以上


Infoseekの掲示板を閉鎖

2006年5月28日

既に伝言板に書いてきたとおり、Infoseekの掲示板には、悪質なスパムが多く困っていた。 スパムが酷いので、サポートに相談したが、対策はとれない、嫌なら閉鎖しろ、の一点張りで埒が明かなかった。 そこで、スパムの無い掲示板を探していたら、せっかく掲示板で、筆者の希望に近いシステムを見つけたので、 そちらに掲示板を引っ越した。 せっかく掲示板では、ロボットによる投稿を排除しており、 また、キーワードを設定して書込みを禁止できるようになっているという。 実際に、試してみたら、キーワードによる防禦は完璧だったし、ロボットによるスパム投稿も見付からなかったので 早速、伝言板を開いた。今のところ非常によく機能している。 問題は、出会い系の広告が出ることだけだが、これは、筆者が有償サービスに切り替えれば無くなるし、 Infoseekのスパム投稿に比べると可愛いものである。 それに、その伝言板から出会い系の広告を辿る読者は皆無だろうという前提で、無償のサービスを使用している。
このページを含め、無償のサービスに拘る原因は、何らかの都合で、管理できない場合にも、そのまま継続できるからだ。 また、もうひとつは、システムに対して個人情報を開示したくない、というのもある。 従って、今後も有償のシステムを利用する気はない。 しかし、せっかく掲示板に対しては、なんらかのお返しをしたいという気もあるので、いずれは自分が広告を出そうかと考えている。 広告するのは、営利のものではなく、このページである。掲示板からこのページに来て下さる方が増えればそれでまた嬉しいのだ。

さて、本日、Infoseekの掲示板をやっと閉鎖した。 閉鎖まで時間を置いていた理由は、Infoseek以外の 検索エンジンに引っかかるからである。 何故かInfoseekだけは検索にかからなかった。 Infoseekなのに何故?煙草会社がスポンサーなのか、と疑ってしまった。 興味のある方は、"煙草の問題"というキーワードを使って、いくつかの検索エンジンで検索してみると面白い。 このページは、Yahoo、Google、MSNのいずれでも引っかかる。 それも殆どの場合一番最初のページで見付かる。 Infoseekだけは、そうではなかった。また、検索にかかるページの内容も"??"という ものが結構多い。Infoseekと煙草会社の関係を疑ってしまう。

スパム投稿を削除するのに手間がかかるので、止む無く閉鎖した。Infoseekとは今後お付き合いする気がない。

Infoseekでスパム投稿に悩んでおられたピエール松尾さんから伝言板に早速投稿頂いた。 筆者も同じ掲示板を利用されている仲間としてピエールさんの動向を見守っていた。 筆者の伝言板にスパムが出ると、ピエールさんの掲示板にもほぼ時を同じくしてスパムが出たのである。 だからピエールさんも筆者と同じくスパム投稿を人力で削除していたということだ。 また、同じように、Infoseekには改善を申し入れていた同胞でもある。そしてピエールさんもInfoseekを断念して、 掲示板を引越しされた。

ピエールさんの掲示板は、筆者の伝言板にあるような、革命活動のような暗さはない。 煙草の問題を扱ってはいてもそれが主流という訳ではない。 ワインを中心とした食の問題(というより楽しみ)を扱っておられる。 従って、話題にも華があり、拝見していても楽しい。 筆者のページは、煙草を許容する社会に対して真っ向から挑戦する形なので、華は全くないし、おそらく疲れるだろうと思う。 だから、この長さにお付き合い頂ける方は少ないのではないかと思う。

ピエールさんに投稿頂いた内容は、Infoseekの問題と煙草の問題を対比するもので、非常に良くまとまっている。 本当は自分で書きたかった内容である。 Infoseekに改善を申し入れたときのサポートの対応には筆者も呆れてかつ憤慨もしたのである。 Infoseekの対応は本当に煙草社会で狂った人々と似ているのであった。

以上


読売新聞社の変化

2006年7月3日

7月1日に橋本龍太郎元首相が亡くなった。 橋本氏と云えば傍若無人な発煙者ぶりが有名だった。 日米の重要な会議で禁煙の会場に灰皿を運ばせ只一人発煙したという有名なエピソードも残っている。 心臓を患ってからは、禁煙をしたという報道があったが、少し遅過ぎた感がある。 煙草を止めてからどのような変化があったのか興味があったし、既に引退していたとはいえ、 肝心の政治のほうも、もう少し頑張って頂きたかったので残念だ。享年68歳。

さて、7月1日から煙草税の微妙な増税があった。 これに先立ち6月30日付けで、読売新聞に興味深い社説を見つけた。 今までは、煙草会社に都合の悪い報道や主張は控えるという印象があったので、意外だった。 今回の主張は以前よりも進歩していると思うので、紹介したい。

6月30日付・読売社説(2)から

 [たばこ値上げ]「日本の価格はまだ安すぎる」

 日本のたばこはまだ安い。さらに大きく、値段を上げてもいいのではないか。

(中略)

 日本たばこ産業の製品は、多くが1箱300円になる。しかし、それでも欧米に比べると格段に安い。

 各国の代表的な銘柄1箱の小売価格は、今年1月現在、イギリスが1045円、米国(ニューヨーク市)が774円、  フランスが630円、ドイツは506円となっている。

 欧米が高いのは、各国とも、たばこに超高率の税を課しているからだ。

 イギリスは、価格のうち797円が税金だ。比較的安いドイツも税が390円を占める。  これに対して日本は、増税後でも、300円の銘柄でたばこ税と消費税の合計が189円にしかならない。

   増税をこれで終わらせず、ドイツ並みの1箱500円を目指してはどうか1

 仮に、たばこの消費量が現状のままなら、国と地方を合わせて年間2兆円以上もの増収となる。

 一方で、  禁煙運動団体のアンケートに喫煙者のほぼ半数が「1箱500円まで上がれば禁煙する」と答えている2。  そうなった場合、税収は増えないものの、たばこが原因の肺気腫(きしゅ)や心筋梗塞(こうそく)などが減り、  医療費の節減につながる。いずれにせよ悪くない話だ。

 たばこ増税は、この10年間で3回目だが、いずれも1本1円程度の小幅な引き上げにとどまってきた。  この間、税収はほぼ横ばいで推移し、たばこ消費量もさほど減ってはいない。

 大幅な値上げは、未成年者の喫煙防止にもつながる。

 たばこ業界は、未成年者が買えない自販機システムの開発に約800億円を投じる、という。  成人には識別カードを発行し、全国の自販機を2008年までにカードが無いと動かないものにする。  さらに  1箱500円なら、未成年者は今より手を出しにくくなるだろう3

 歳出・歳入一体改革では、医療など社会保障費をどう抑制するか、それでも伸びる分の財源をどう確保するか、  という点が難問として横たわっている。

 たばこ税の大胆な引き上げは、医療費抑制の面からも、財源確保の面からも、得るものが大きい。
(2006年6月30日2時14分  読売新聞)

さて、以上の中で、3箇所に傍線を引いた部分に注目した。 1〜3は一箱500円論を説いたものだ。 ところで個人的な話であるが、筆者は、先月オーストリアに旅行してきた。 仕事ではなく、純粋に、個人(家族)の楽しみとしてである。 このところ年に1回位のペースで欧州への旅行をしている。 そこで、欧州の煙草事情を横目で観察してきた。自分の観察結果を元に、一箱500円論の妥当性を考えてみたい。
現在の為替レートだと日によって変動があるが、概ね145円/ユーロとなっている。 1ユーロというのは、チップに相当する額であり、日本の金銭感覚だと、国によって異るが100円前後の感じだろうか。 個人的な実感だと、0.5ユーロ硬貨は、日本の50円玉よりも有り難味が少い感じがする。 現在の日本の煙草の価格は一箱およそ2ユーロだから、欧州では2ユーロコイン1枚で買える金額になる。 2ユーロはトイレチップの3〜4回分程度である。 現在日本の煙草は、そのような金額で買えてしまうのだから桁外れに安い感じである。

さて、日本の金銭感覚で比較してみても、300円は異常に安い。 これが500円になっても安さに変わりはない。 二十数年前に500円硬貨が出現したときに、ワンコイン価格のようなものが出現し、 今でも物価はそうは上がっていないので、相変わらずワンコインという言葉を聞く。

東京で食事をしようと思うと、一番安いハンバーガーセットでもワンコインで買えるかどうかといったところであるし、 その他の立ち食い蕎麦屋でも、一番安いかけそばでワンコインの半分位、 立って食わないところでは最低でもワンコインを超えるところが多い。 ワンコインで食事を/しようと思うとかなりの制限を受けてしまう。

傍線2の部分では、タバコが一箱500円になったら、発煙者の半数が禁煙する、という調査結果を紹介している。 しかし、筆者は上記のようにこの説に疑問を感じている。 本当に半数の発煙者が、一箱500円になったら止めるのか、とても信じられない。 精々本数を減らすだけではないだろうか。 何故なら、500円という金額は、1回の食事の金額より低い金額なのである。 300円なら買って500円なら買わない、そんな差ではないのではないかと思う。

発煙者を減らそうという目的からすると、ワンコイン価格では十分とは云えないだろう。 今後、煙草税の増税は続くだろうが、ワンコインあたりが当面の攻防戦になるだろう。 ワンコインで20本から始まり、これが18本、16本、12本...と次第に減ってくる。 最後は3本位だろう。本当に発煙者を減らそうと思えば、ワンコインを大きく超える必要がある。 読売新聞の書くような、医療費削減効果を考えるのであれば、 人々が滅多に手を出さなくなる2,000円程度が現実的な発煙者低減価格になるのではないだろうか。 そうでなければ、単なる税収増政策にしかなりえないのではないだろうか。

何よりも、煙草の値上げが増税の結果だけになるのは、市場原理に反している。 増税によって売上が落ちれば、製造販売コスト比が相対的に上昇するので、本体も上げなければならないはずである。
そもそも常識を守って煙草を消費する限り、廃煙を処理するのは当然のことだから、 廃煙処理に投入する資金がない人が消費できるような商品ではないはずだ。 たばこが安いこと自体が異常なのである。

以上
注:
通常使用される用語の"排煙"ではなく、"廃煙"という表記をわざわざ用いたのは、 ただ排出するだけでなく、その後の処理が必要であることを強調したかったためである。 筆者はエンジニアの職歴が長いため、このような工業用語には敏感である。 工業的には、排ガスや廃ガスなどと表記し、どちらも使用される。廃の表記の方が汚いイメージが強い。 排水処理、廃水処理という用語も通常用いられるが、廃水のほうが毒性が強く処理が大がかりなイメージが強い。 但し、これは受け取る人のイメージの問題なので、どちらでも大差はない(2006/09/03読者の方からの指摘を受けて)。

/追伸:
読売の社説が、タバコの値上げを500円までに食い止めたいという主張でないことを期待したい。


朝日新聞の記事から

2006/07/24
朝日新聞の記事をウェブで読んでいたらいくつかの記事が目に留まった。 たばこの都合の悪い部分を隠していた新聞社だったが、少し前進が見られたので紹介したい。 最初は、書評である。週刊朝日の記事である。

悪魔のマーケティング タバコ産業が語った真実 [編]ASH
http://book.asahi.com/topics/TKY200602130107.htmlから

[掲載]週刊朝日2006年2月17日号
[評者]永江朗

 1月26日、たばこ訴訟で患者の敗訴が確定した。  たばこ訴訟というのは、肺ガンなどを患う元喫煙者らが、JTと国に損害賠償を求めていたものだ。  たばこが有害だと知っていながら売ってきた責任、規制をしていない責任があるだろう、というのが患者らの主張。  東京地裁では、たばこの害は認めたけれども、原告個人の病気との因果関係は認めなかった。  また、吸う吸わないは個人の意思、というのが裁判所の判断だ。  高裁もこれを支持し、今回、最高裁も上告を棄却した。

 有害性を認めながら、販売は認めるというのは、  なんだか変な話だ。  もしBSE(狂牛病)の問題で、「牛肉を食べる、食べないは個人の意思だから、国にも輸入会社にも責任はない」  といったら、大騒ぎになるだろうに1

(中略)

 たばこ業者の発言を時系列で見ていくと、早いうちから有害性や依存性に気づきながらも、消費者に向けては、  それを否定するのに躍起になっているのがよくわかる。  有害性を隠せなくなると、こんどは子供や女性がたばこを吸うようにイメージ操作していく。  「タバコを吸う権利なんざ、ガキや貧乏人、黒人、それからその他のおバカな方々に謹んでさしあげますよ」  という発言が強烈だ。  たばこのCMに出演した俳優が、たばこ会社の役員に、「なぜあなたはタバコを吸わないのですか?」  と質問したときの返答だそうだ。  金儲けのためなら何だってやるさ、というのは、ライブドアもヒューザーも東横インもみんな同じ2

   もっとも、自動車なんて毎年何千人もの人が死ぬことがわかっていながら売られ続けている。  CMもばんばん流れる。たばこ産業だけが悪いわけでもないか3


この記事を読むとたばこ行政を批判しているように読める。 例えば、下線1の部分は、まさしくその通りで、たばこ行政の矛盾を端的に否定したものだ。

ところが、その後の下線2になると、少し妙な表現になってきている。 確かに、金儲けのためなら...というのは、そこに挙がっている会社に当てはまるのだが、 彼らは、人の命や健康までは犠牲にしていない。

下線3になると、更に可笑しい。 社会貢献している自動車と社会悪しかないたばことを比較するというのはたばこ擁護者の論法そのままだ。 正しい使い方をすれば有益な自動車と、どのような使い方をしても有害なたばことでは元々比較の対象にならない。 この評者は、いいことは書いているようだが、知性が今ひとつだ。 こういうところが朝日らしい。

次は、タバコの有害性に関する記事だ。

たばこの毒、細胞内ではダイオキシン並み 山梨大研究
2006年07月13日12時31分
http://www.asahi.com/life/update/0713/007.htmlから

 たばこを吸うと、猛毒ダイオキシンが大量に体内に入った時と同じ反応が細胞内で起こる――。  こんな報告を、山梨大医学工学総合研究部の北村正敬教授(分子情報伝達学)らが、  米学術誌「キャンサー・リサーチ」15日号に発表する。

 ダイオキシンはヒトの体内に入ると、細胞にある受容体(カギ穴)にカギが入るように結びついて細胞を活性化させ、  毒性を発揮する。国は健康に影響しない1日の摂取量を、  体重1キロ当たり4ピコグラム(ピコは1兆分の1)と示している。

 北村さんらは、たばこの煙とこのダイオキシンの受容体とのかかわりに着目。  市販されているたばこ1本分の煙を溶かした液体を使い、マウスの細胞の反応を調べた。  国の基準の164〜656倍のダイオキシンが受容体に結びついた状態にあたる活性がみられ、  タール量が多いと活性も高くなる傾向が出た。

 さらに、受容体に結合すると血中に特殊な酵素が出るように遺伝子を操作したマウスに、  たばこの煙を吸わせると、24時間後に酵素の量が約5倍に増えた。

 北村さんは「たばことかかわっていると見られる発がんや妊娠異常などはダイオキシンの健康被害と似ており、  同じメカニズムが関与している可能性がある」と話す。

   

 〈キーワード:受容体〉 細胞や細胞膜に存在し、ホルモンや化学物質などと結合して細胞内に反応を起こすたんぱく質。  ダイオキシンはAh受容体(芳香族炭化水素受容体)と結合し、毒性を発揮する。


タバコの毒は、ダイオキシン並だという記事であるが、タバコにはダイオキシンが含まれているのだから、 タバコのダイオキシンの効果ではないかと疑いたくなる。 筆者も、既にタバコとダイオキシンについて、2004年3月13日に 煙草とダイオキシン、2004年9月9日に もはや最大のダイオキシン発生源はタバコかという記事を書いている。 これらを簡単にまとめると、環境省の資料にある、煙草によるダイオキシンの排出量(平岡報告)、 読売新聞の記事にある、煙草を除いたダイオキシンの発生源の排出量とを組み合わせて読むと、現在では既に煙草が、 ダイオキシン排出量のチャンピオンになっているということだ。 平岡報告の時点では、ダイオキシン排出源のチャンピオンは、ごみ焼却場であったが、 その後改善されて、煙草よりも発生が少なくなってしまっている。
朝日新聞も少なくともこの程度は、書かなければ、知性の高い読者に対しては、行き詰まるというものだろう。 いや、もはや、誰もその程度にしか見ていないか。

読売新聞もそうだが、朝日新聞も少しは煙草賊に都合の悪い記事を書くようになってきた。 テレビ局も追随すれば、もう少しまともな社会になるだろう。

以上


最近のドラマから

2006年8月20日

最近のドラマも少し変化が見られるようだ。 煙草の問題に関心のない人には誰も気付かぬような変化であるが、大きな一歩かもしれない。

"結婚できない男"。関西テレビで製作しているドラマだ。

番組の内容を少しだけ紹介しておくと、主人公は40歳独身男性。 建築設計事務所を経営している。 また、清潔好き、高収入、物知りでこだわりが強く、自分を貫き通すので、外部からは少し敬遠されている。 この主人公の周りに独身女性が数人、皆、この主人公のことが気になっているのだが、 強面のこの主人公は苦手だ。 この状況での日常をコミカルに描いている。 最後は結婚するのか、さて誰とするのか(候補は複数出てくる)、或いは、最後まで結婚しないのか、 結末は知らないが、いずれの結末であっても楽しめる内容になっている。 因みに、この主人公のような、冷静で博学のタイプは、発煙者ではないだろう。 たばこについての知識があれば、そんなものは、"ふん!"と馬鹿にするだろう。 そんなタイプだ、我が家でも夫婦で見始めたのだが、この主人公のキャラクターは好評だ。" 結婚できない"男ではないというのが我が家での批評だ。

ところで、何故タバコの問題と関係があるかというと、それは、登場人物が、全く発煙しない、 更に、番組を通して発煙シーンが全く無いのだ。 最初の数回は見逃しているので断言はできないのだが、ここ数回見た限りでは全く発煙シーンが無かった。 見ていて非常に気持ちが良いのだ。発煙場面がないと、画面全体が清清しい。 花火の場面では、中継よりも美しく、また、生々しい映像と音声を楽しむことができた。 地上波デジタルで見ると、映像も音声も飛び切り素晴らしい。

最近は、テレビでも飲食店などを紹介する番組が多いのだが、発煙シーンや灰皿を隠すことが多くなってきたと思う。 見ていて不愉快だと云われることが多いのだろう。 実際に不愉快だ。しかしながら、禁煙のマークは注意していないと分からないことが殆どだ。 今でもタバコ会社の圧力があるということだろうか。

ニュースを見ていても不思議なのは、国会議員や内閣の会議の場面だ。 会議の席上には必ず"空の"灰皿が置いてある。 何故か使用中のものは見ない。 発煙場面や吸殻は見苦しいが、クリスタルの灰皿だけならイメージダウンせずに、 視聴者の意識にタバコの存在を摺りこめるのだろうか。 タバコ会社からの献金の為せる業だろうか。 或いは、財務省からの要請によるものなのか。 結局は、煙草という、ナンセンスなものの存在は、説明の仕様が無いということなのだろう。

しかし、上記のドラマは、発煙シーンを無くしたのが画期的だ。 マスコミにも正しい理解が拡がりつつあることを期待したい。



間違いの修正

2006/09/03

読者の方から間違いの指摘を頂いた。 筆者も読み返していて気付くことがあるのだが、不精な性格のためついつい先延ばしになっていた。 この方は、修正すべき点のリストも付けて下さったので、リストに従って修正することができ、 今朝は3時近くまでかかり、また、日中も2時間以上費した結果、何とか修正することができた。 このような指摘は大変有難く、改めて御礼申し上げたい。

間違いの多くは、変換ミスでその他に、脱字もあれば、意味不明なミスもあった。 但し、送り仮名については、正誤の判断が難しい部分があったので、 一部は、御指摘に従わずそのままの部分がある。例えば、

少い(元の表記)
これは、MSIMEでは"少ない"と変換されるので、このように表記されるのが普通である。 辞書を引くと、例えば新明解国語辞典(三省堂)では、"少(な)い"とある。 筆者も小学校のときに、このように教わった。
このような表記は、度々政府の表記方法が変わるので何が正しいのか良く分からない。 多分どちらでも良いのだと思うが、パソコンで文書を書くことが多くなった現在では、 Microsoftの変換が標準になったのではないかと思う。 このような変換には間違いもある。 例えば、目処という用語がある。これは、"目途"と変換されるが、正しくは"目処"である。
余り拘る訳ではないが、Microsoftの標準変換機能が気に入らないときは、敢えて変えることがある。 今日は、Anthyという変換ソフトを使用しているので、"少い"と変換することができるし、"目処"も正しく変換される。
しかし、通じればどちらでもいいかとも思うし、Microsoft嫌いの気持ちもあるし、 正直云えば、なるべく気にしないようにしているので、"少ない"と表記されている部分もあると思う。

また、"廃煙"など敢えてそのように表記していた部分は、注釈を付けた。 このような部分は、ご指摘を頂かないと気付かないことでもある。

また、ブラックジョークとして掲載していた、"煙草擁護者のプロファイル"も見苦しいとの指摘を頂いたので、削除した。

御指摘下さった読者の方は、教養も素晴らしく、知的な職業に就いておられると思う。 変換ミスなども気になってしまうそうだ。不精な筆者とは、相当に違う。

ご指摘頂きまして有難うございました。

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