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読みやすさも増したと思います。
一度読まれた方も是非ともお読みください。

序言

2004/11/09
今まで散々予告しておいて、なかなか進まなかったシリーズをついに開幕することにした。 進まなかった理由は、考えすぎたことであり、文筆家ではない自分の限界を痛切に感じた。 詐欺による被害は、こうしている間にも増え続けており、一刻も早く食い止めるべきだと思う。

さて第1回目はオープニングということで、前置である。 タイトルもいろいろ考えていたが、あまり刺激の大きくないタイトルにすることにした。 題して、"煙草問題に学ぶ騙しのテクニック"ということで、煙草会社に限らず、 政府ぐるみの騙しも含めて考えてゆくことにした。それと同時に、一般の騙しについても比較しながら進めてみたいと思う。

一般に騙しで問題になるのは、積極的な詐欺であろう。積極的な詐欺というのは、 言葉巧みに被害者をいいくるめて金品を奪うというものだ。 ここで巧みに使用する言葉は、全部または殆どが嘘である。 これらは明白な嘘なので、犯罪として認定される行為になる。 しかしながら、実質的には犯罪行為でありながら、敢えて違法性をはぐらかしたり、 違法性があっても犯罪としての立証を難しくするような騙しの方法もある。 これらの騙しが最も厄介なのだ。 こうした騙しの方法は、煙草問題を研究すれば明確に見えてくるようになる。 こうした手口を学ぶことによって、騙されないようにしようというのがこのシリーズの目的である。

政府ぐるみの騙し(1)

まず第一 回は、政府ぐるみの騙しについて論じる。
政府ぐるみの騙しというのは、おなじみの問題ばかりだ。 騙しや横領などの犯罪行為は、大人数で実行すれば大して罰せられることが無い。 例えば、某県警が架空の出張旅費を別の自分たちの飲食費を含む別の用途に使っていたという事件もあったが、 大したお咎めもなく記憶から薄らいでいる。 こんなのは、国家予算を騙し取った訳だから、普通だったら全員共犯で罰金以上懲役以下の罰則が適用されるべきだろう。 そうなると、公務員としての地位も剥奪され、そこの県警全員を入れ替えなければならないなどの事態が起きて当然のことだ。 特に、人々に規範を示すべき警察なのだから道義的責任も含め、厳しく処断することは当然のことだろう。 しかしながら、そんな犯罪行為も"みんなでやれば怖くない"のだ。

同様に、他の公務員(またはそれに準じる団体職員)の騙しも目に余るものがある。 例えば、数年前に散々議論された、採算性の合わない高速道路の建設などもその類だ。 この場合は、誰にでも分かるようなデタラメの交通量予測を作ってそれに基いて採算性をでっち上げるような手法を使っている。 この他にも、作ったが使われていないダムとか、目的不明の護岸工事とか、赤字年金の予算で作った公務員の保養施設とか、 数を上げればきりがない。 郵便貯金の民営化なんていうのも、まだ、小泉現首相が小渕、梶山に挑んだときには、"郵便貯金が財政投融資に使われ、 無駄な公共投資の財源になっている"と極めてまともな主張をしていたのだが、 今は、議論が逸らされてきている。 郵政公社は、ゆうパックの値下げで民間の宅配事業を潰しにかかっている。 我々が騙されてはいけないのは、郵政公社のゆうパックは、行政上の優遇措置を受けた、特別団体の事業であるということだ。 だから、民間企業と直接コストで対決するというのは、不公正なことで、民間を撤退させた後に殿様商売に戻るか、 或いは、ダンピングで痛手を受けた後に撤退するという事態が予想される。 こんなのも、行政をバックに付けた阿漕なやりかたである。

また、既に別な話題で書いた内容も含むが、競馬や競輪などのギャンブルも国家ぐるみの騙しである。 もともとは国家がギャンブルなど望ましくないと考えていたので賭博は禁じられている(刑法185条、同186条)。 また、同様に富くじも禁止されている(刑法187条)。だからこれらの賭博行為は包括的に禁じ られているのだが、特別法を作って、公共賭博を合法にしている。 つまり、一般人の儲けは許さないが、自分たちだけは独占的に賭博で収益を上げようという考え方だ。

こうした延長線上にあるのが煙草の製造・販売という極めて違法性の強い事業である。 こうした背景を知らずに、自分は己の意思で楽しむために吸っているのだと信じ込んでいる人が大勢居るのが実態だ。

さて、今回は前置きということでこのくらいにしておいて、次からはこうした騙しがどのように効果を上げているか論じてゆきたい。

続く

政府ぐるみの騙し(2)‐集団洗脳

この世で最も効果的な騙しの手法は集団心理を利用することだろう。
集団心理というのは怖いもので、それがたとえ間違ったものであろうとも、他の人々が大勢信じているという事実によって、 嘘も真実であるかのように誤解し、虚構の世界をつくってしまう。 このような心理は国家統制にはうってつけだ。 特に言論の自由も無く、情報統制されているような国家では、国民が盲目的に、 国家の方針に従ってしまう。 日本のような情報統制が少い国でも、かなりの国民に対しては、騙しが通用する。

こうした騙しによる最も重大な結果は、"戦争=集団での殺人"である。 某国を悪から救うなどともっともらしい理由を付け、国民に宣伝し続けることによって洗脳し、 集団で人殺しをさせてしまうのが戦争だ。 一対一で人を殺す者は少ないが、集団だと平気で殺してしまう。 このような例は現在までに起こっている戦争やテロを見れば明らかだ。 国家単位のように大袈裟ではなくとも、もっと身近な例では、 日本の若者の集団暴行による致死事件なども頻繁に耳にする事件の例だ。 集団暴走行為などというのも同種の例だろう。 冷静に考えれば分かることでも、集団での行動になると分からなくなってしまうということだ。

では、こうした集団心理をどのように扇動するのことができるのか。いろいろな方法はあるが、幾つか挙げてみる。

(1) 公的機関等による宣伝
 政府機関や学校等で宣伝する。政府保証の安心感をでっちあげる手法である。 日本では昔からお役所志向の習慣が染み付いているらしく、 お役所のすることは正しいと信じて疑わない人が多いのが実情だ。 だから、お役所が宣伝すれば絶大な効果を上げる。

(2) 学者や知識人を利用する宣伝
 学者や知識人に宣伝させる。学者や知識人は、正しいことを言うと信じている人が大勢居るからだ。 学者だろうが知識人だろうが、カネで動く者は幾らでもいるのだ。そんなことが分からない人は多い。

(3) 有名人による宣伝
 芸能人、スポーツ選手や芸術家などに、宣伝させる。悲しいことだがこれに騙される人は多すぎる。

そしてこれらの方法を実行するには騙されやすいターゲットを定めるというのも有効だ。 ターゲットを定めてそれに適した宣伝用人材を登用し効果を上げる。 こういうのは簡単なことだ。

では、どのような手法で虚構を信じ込ませるのだろうか。虚構には様々な特徴がある。これらを下記に列挙する。

(1)イメージを作り上げる
イメージは実態を伴わない仮想の世界にある。だから、全体として何となくそれらしければ良く、理論の完全性は必要ない。 騙すのが目的なので、相手を論破する必要はないのである。 こういうものに登場する学者の理論など穴だらけである。 学者として恥ずかしくないのか?と思ってしまうが、騙される人が大勢居るので、こんなペテン学者でも生き残れるのだ。

(2)連想を誘導する
直接的にイメージ(下記参照)を作り出すのは必ずしも簡単ではないかもしれない。 しかし、相手に対してイメージを連想させれば、何か非常にもっともらしく感じられる。 相手が勝手に作り出すイメージに対しては責任を負う必要が無いので、騙しにはうってつけの手法である。

(3)習俗や文化だと云う
これも古典的な騙しの手法である。人殺しや奴隷制度も文化であったので間違いではないが、 文化というともっと良いイメージを連想する場合が多いので、 その心理を利用した騙しの手法である。習俗というのも同じことである。

以上のように、手間隙を掛けじわじわと騙されている場合は多い。

続く

政府ぐるみの騙し(3)‐不作為

不作為というのは、最も巧妙な騙し方である。 不作為は、かなり法律的な用語であり、実際の会話で使用されることは少ないだろう。 簡単に表現すると、"(何かをする必要があるなしにかかわらず、あることを)しないこと"である。
不作為が何故問題になるかというと、何もしないことに対して、責任をとる必要があるかどうかが議論の対象になるからである。 具体的な義務に対して義務を履行しない場合は不作為の責任を取らなければならないが、その他の場合は微妙である。 要するに、現行法の体系では、不作為は具体的な作為義務違反としてしか責任 取らせることが難しいのである。 実際には全ての作為義務を法令化しておくことは難しい。だから、不作為は、人を騙すのに有効な手法なのである。

今までだって、薬害エイズのように、重大な結果を認識していながら、一部の利権のために、重要な措置を取らなかった、 というような無法を度々経験している。 こういった無法は、役所が通常行っていることであって、例えば、年金の議論などは、重要な事実は全て隠されていると考えて良い。 この場合、最も隠されている事実は、日本国破産の可能性だろう。 まさか国が破産すると考えている人は少ないだろうが、報道されている数字だけを見れば、既に破産しているとしか考えられない。 国債を購入するというのは、破産者にカネを貸すのと同等のことではないのか。 もっと問題意識を強く持たなければならない。

不作為による騙しというのは、ユーザに都合の悪い事実を告げない ということだ。
具体的には、健康被害の事実が未だに煙草の外箱に正しく表示されないといったことである。 将来にわたっても正しく表示されることはないだろう。 正しい表示を煙草の外箱に書こうと思ったら、米粒に書くような小さな字で外箱を多い尽くしても無理だろう。 寧ろ、そのほうが煙草会社には都合が良いのかもしれない。 "当社は煙草が健康に与える影響について、外箱全体に表示しました"などと云って、 実態は、外箱が灰色とか薄緑色とかに見えるだけ...などということもありそうだ。

また、煙草会社が不作為によってどのようにユーザを騙しているかということについては、"
都合の悪い事実を隠す煙草会社"というコラムをお読み頂きたい。 そのコラムのポイントは、(1)都合の悪い事実は書かない、(2)都合の悪い事実は誤っているかのようなイメージを与える、 の二段構成の騙し手法について解説したものだ。具体的な文書を挙げて論じているので、未だお読みでない方は、是非ご参照頂きたい。

騙しに抵抗力を付けようと思ったら、重要なのは、先ず、"行間を読む=書かれていない事実を推測する"ということである。

以上

ショートコラム‐最近見つけた面白い広告

ある不動産屋の新築共同住宅のチラシが自宅に届けられた(郵便受けに勝手に突っ込まれた)。 この住宅のイメージとして「住んで良し、貸して良し」という言葉が見える。その下に、

お住まいの場合

«=»
貸した場合
月々返済
63,232円
保証
10.3万円
ボーナス時0円
空室借上保証で安心経営

という表が見えた。"見つけた!騙し広告!"と喜んでしまった(不謹慎だが)。

さて、この中でどこが怪しいかお分かりだろうか。恐らく"保証"という用語に目を留められたに違いない。
ということで、この保証という用語が何を保証するものか考えてみた。
自分は直感的に、

(1) "貸した場合は、この金額を保証します。"

(2) "借り手がつかない場合は知りません"

(3) "これより低い金額で貸す場合はどうぞご自由に"

(4) "何も保証しません"
という図式を思い浮かべた。
どこが不自然かというと、"貸した場合"と"空室借上"とが同義かどうか分からないことだ。 借り手がついた場合の保証など必要はない。 問題なのは借り手がつかない場合だろう。 だから、"貸した場合"="空室をその業者が借上げる場合"ということかどうかはこれでは分からない。 明確にしたいならば、"購入後 XXヶ月間は、当社が上記金額で借り受けることを保証します。" と書くべきところが、曖昧な表現になっている。

もしも、この広告を見て、"保証してもらえるのか"と思われた方は、かなり危ないので、 この一連のシリーズとその他の関連文書を熟読されることをお勧めする。

さて、この広告をよく読むと、裏面に小さな字で書いてあった。傍線は筆者が引いたものであり、 元の広告には引いていない。

ご希望に応じ
空室時でも家賃が保証される
家賃保証システムがご利用できます
初めての方でも安心
オーナーの皆様に代わって
マンション経営の管理・運営を行い
安定した家賃収入をお届けします
(株)xxxxxxxの100%出資子会社
(株)yyyyyyy
TEL 03-xxxx-xxxx
※月額家賃収入とは、(株)yyyyyyの査定による賃貸家賃(122,000円〜295,000円)の85%に設定された金額であり、 2年毎に更新するもので、 月額家賃及び入居者を将来にわたって保証するものではありません。
(註:この枠内は特に小さな字で書いてある)
中略
(必要経費は持ち主負担だとか、礼金は仲介業者が独り占めとか、敷金は仲介業者が預かる、 といった内容が書いてある)
詳しくは係員にお尋ねください。

上記のように、最初の2年間は、"表示金額の85%"で保証するが、その他の経費は、所有者負担となるらしい。 但し、2年経過後については何も保障しないとはっきり書いてある。 但し、"最初の2年間は、入居者なしでも保証する"のかどうかは、微妙なところだ。 保証する空室期間の上限が明示されてないからだ。 24ヶ月空室でも全額保証するのかどうか、 この文書では明確になっていない。 1ヶ月しか保証しないのかもしれないし、仲介業者が全然仕事をしないので自分で営業するために解約すれば、 相当額の違約金を取るのかもしれない。 このような提案をしたいのであれば、この業者が自分で借上げて、それを又貸しすれば良い (すなわち、所有者は、業者に対して賃貸するだけなので、借り手不在の場合のリスクは業者が負う)のだが、そのような内容ではない。 これを読む限り単に仲介する場合の初期保証をつけるだけのようだ。 自分には、とても魅力的な提案とは思えない。

いずれにしても、自分はとても契約する気にはなれない。自分でリスクを負担して、 それでも納得できる場合でなければ、投資などするべきではないと思う。
ショートコラム‐以上

煙草会社による騙し(1) - 煙草文化論

"煙草は文化だ"とか"煙草という文化を守ろう"と云う人が居る(このような主張を以下、"煙草文化論"と呼んでおく)。 こういう言葉を聞いて変だと思わないだろうか?そもそも文化とは何なのか?
文化の定義は簡単なものではなく、国語辞典による定義だけではいささか不完全だが、国語辞典による定義の抜粋を、一応下の枠内に示す。

ぶんか(‥クヮ)【文化】
? 
(1) 権力や刑罰を用いないで導き教えること。文徳により教化すること。
(2) 世の中が開け進んで、生活内容が高まること。文明開花。
(3) 自然に対して、学問・芸術・道徳・宗教など、人間の精神の働きによってつくり出され、 人間生活を高めてゆく上の新しい価値を生み出してゆくもの。
(4) (他の語の上に付いて)便利である、ハイカラ・モダンである、新式であるの意を表す語。「文化竈」「文化住宅」など。

Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988

文化という概念の、本質はさておいて、国語辞典レベルの定義で考えると、上記の煙草文化論はあまりに不自然なことに気付くだろう。
まず、常習性のある薬物中毒に陥れる煙草に定義の(1)を適用することはできない。導き教えているのではないからだ。
次に、人々を不健康に陥れ、生活レベルを下げさせる煙草の性質から定義の(2)、(3)についても当てはまらない。
(4)については、日本への輸入当初には当てはまっただろうが、現在は全く当てはまらない。かつてハイカラだった煙草は既に時代遅れになっている。

少し考えただけで、煙草文化論など幼稚な騙しであることは直に分かることなのだ。 こんな愚かな主張の背景は、煙草利権者が自らの利権を文化と称し、人々を騙しているのであって、それ以上でも以下でもない。

文化というのは、必ずしも良いことばかりではなく、かつては、切捨て御免のような人殺し文化もあった。 煙草文化は、まさしく人殺しの文化であり、このような悪の文化を残そうなどと真顔で主張する人は、麻薬文化を残そうと主張しているのと同じことだ。

何かおかしいなと感じたら、先ずは、基本に戻って考えることだ。

煙草会社による騙し(2) - スポンサー行為による報道の操作

2004/12/19

2004/12/14(火)夕方のテレビのニュース番組で、隠れ脳梗塞の恐ろしさについて特集として報道していた。 隠れ脳梗塞とは、脳梗塞初期の軽度の症状であり40代に脳梗塞予備軍が相当数存在するのだという。 詳細は失念したが、40台で数人に一人という数字も出しており、真偽はともかくとして、かなり深刻な状態であるのは間違いないらしい。

脳梗塞を引き起こす原因と推定されるものが、いくつか挙げられていた。
肉などの高脂質の食物、塩分の濃い食物、アルコールの摂取といった、いわゆる食習慣に関するもの、 運動不足などの生活習慣や生活上のストレスに関するものの他に、 誰もが予想する通り、煙草の使用が原因として挙げられていた。特に、煙草の使用による危険だけは、(うろ覚えだが1.5〜2.5倍という)定量的に説明されていた。

ところが、対策としてその番組で説明したのは、食習慣によるものが中心で、"煙草を止めましょう"とは、一切云わない。 局全体のスポンサーに気を使ったのが明白だった。

こんな報道を見ていると、現代の報道そのものの信頼性を損なってしまう。

煙草は、健康だけでなく、人々の良心や文化も破壊しているのだ。

以上

偽物好きの日本人

2005/02/27

煙草の問題を通して日本人はどうして騙されやすいのかと考えていたら、あることに気付いた。

日本人は偽物好きなのだ。

日本には昔からコピー商品が多くある。しかも、コピー商品は結構好まれているようだ。 自分が最初に挙げるコピー商品の代表は、化学調味料である。 最近は、化学調味料という呼び方が否定的な響きを与えるということで、旨み調味料などと呼んでいる。 それ以前には風味調味料とかいう用語もあったが、こちらはあまり普及してはいないようだ。 しかし、自分はこれを敢えて旧来からの化学調味料と呼んでいる。

化学調味料は、云ってみれば、魚や昆布などに含まれるグルタミン酸やアミノ酸のような旨み成分を化学的に調合した粉末である。 天然の旨みには、こういった純粋な化学物質だけでなく、他の成分も含まれており、そうした調和が、自然の旨みを生み出しているのだが、 化学調味料は、純粋な化学物質の味なので、天然の旨みとは味が全然違うのだ。 しかし、多くの日本人は、そういった不自然な味を気にせず、むしろそれが旨いと感じているように思える。

何年か前に、料理の鉄人というヤラセ番組が流行っており、自分もたまにそれを見ていた。 インチキなのは分かっていたが、偶に、参考になることもあったからだ。 しかし、いつも自分が驚いたのは、鉄人と名付けられている料理人が平然と化学調味料を使うことだった。 番組プロデューサに良心があるのかと疑ってしまった。しかも、食通とされる採点者もそのことを全く指摘しなかった。 化学調味料の他にも、レモンの代わりに、瓶詰めのレモンエキスを使うものが居たりで、番組そのものが全くのおちゃらけで、 料理に対する愛情などかけらも感じられないと思ったものだ。

こんなアホな番組が平然と成り立っていたというのは、日本人の多くがニセモノやコピー商品を平然と受容れるというという事実を示したものだろう。

コピー商品には他にもいろいろある。 例えばニセモノのイクラ、こんなの一口食べればニセモノだと直ちに分かるが、平然と出す店もある。 それと、カニのニセモノである蒲鉾なんていうものもある。 こういうニセモノしか食べたことの無い子供は、本物を食べると旨くないと言ったりするそうだ。

先日、テレビを見ていたら、回転寿司がニセモノのネタを使っているという話をやっていた。 それによると、悪質な店では、テラピアを鯛と偽っていたりするそうだ。 別に、普通の回転寿司の店でも、アワビなんて大抵ニセモノだし、つぶ貝なんていうのもニセモノだとすぐに分かる。 問題なのはそれらを食わせることで はなく、ウソの表示をしてることだ。JAS法などでは、店頭で売るときの表示は細かく決められているが、 飲食店では、偽表示をしても取り締まることができないのだという。 いわば、国家公認でニセモノを販売しているわけで、国家公認で煙草という毒物を売っているのと良く似ている。

こういった状況で最も問題なのは、ウソ偽りを許してしまうという文化が形成されることである。 こんな文化ができるから、偽物がまかり通ってしまうのである。 このように、嘘偽りに寛大な世の中では、重大な犯罪を未然に防ぐことができない。

今回の話題は、騙しのテクニックということではなく、騙される側の問題点を考えたものである。 こうした問題について少しでも多くの人が考えるようになれ ば、騙しはずっと減ってゆくのである。

この項以上

マナー

2005/03/05

先日は、イタリアでの発煙禁止法の成立についてメディアが紹介しなかったということをお知らせした。
伝言板で頂いた情報では、やはり、読者の皆さんはご存じなかったようだ。 自分にしたって何も知らなかったというのは同じで、家族がたまたま見た番組でそのようなことを報道していただけだった。 やはり、必要な情報は自分から取りに行くしかないのだということが良く分かった。

さて、今回の話題はマナーという言葉だ。
この話題は既に、"マナーって何だろう?"というコラムで取り上げてはある。 そこでは、マナーとは、見た目が格好悪いかどうか、本人が気にしなければ意味が無く、 マナーを振りかざして現状を改善することはできないのだということを書いた。 今回は、マナーという言葉がどのように騙しに使われているかというこ とを考える。

煙草はマナーを守って吸いましょう。

このような標語は良く見る。煙草会社の広告に出てくるのもこのような言い回しだ。 大抵の人は、この標語を見ても特に何も感じないと思うが、実際にはこの標語には、 発煙者がどこでも発煙することができるようにして販売本数を増やそう願いが含まれている。 いわば販売促進のための謳い文句なのだ。ロジックは以下の通りだ。

マナー
格好悪いことをしない。もっと云えば、"マナーを守る人"="格好いい人"という潜在意識を植え付けている。

考えてみれば、煙草を消費していること自体が、日本の国に莫大な損害を与えているし、 世界銀行などでは、世界の木の2割弱は、煙草の葉の乾燥に使用されている と書いている。即ち、どれだけマナーを守ったとしても、発煙者が煙草を消費しない人以上になれるわけがないのだ。
しかし、マナーという用語を使用することで、そういう否定的な印象を肯定的な印象に転化させることができる。 これは、非常に巧妙なテクニックだ。

正しくは、"煙草は他人に迷惑をかけないように吸いましょう"と書くべきところだが、 こうすると、"煙草"="迷惑"という印象を与えてしまうのでこのような言い換えはできないのだ。

こういった騙しは身近なところに多数隠れているものと考えられるが、自分も含めてなかなか思いつかない。 今後、更に気をつけて考えて行きたい。

以上
注:この部分は、6本に1本という数字を知っていたのだが、情報源を確認しようと思って忘れていたところ、読者の方に御指摘頂いた。 燃料用に伐採される樹木なのか、全ての木材なのか確認が必要だが、本日時点で未確認であり、お詫び申し上げたい。

喫煙者

2005/07/18

"喫煙"という言葉は、既に否定済みである。 しかし、こういう言葉がだましのために使われているのだから、その言葉を使うしかしょうがない。 本来なら発煙者と言えば良く、喫煙者などという言葉は使いたくなかった。

今回の議論はそれではない。実は、喫煙者という言葉そのものがだましなのである。
何がだましになるのかは分かりにくいので説明が必要になる。 実は、"..者"という言葉自体が使い方によってだましになる表現なのである。 良く似た表現に"..人"や"..人種"という表現がある。 ここまで書くと、お読みの方はお気づきに違いない。 筆者が何度も書いてきているように、憲法では、人種や職業などに関わりなく、人は人として同じように扱っている。 違うのは、日本国籍があるかないか程度の差である。 この差は時として大きいが、基本的人権は、すべての人に対して保障されている。

だから、発煙者であろうがなかろうが、人は等しく人であり、人としての権利、義務が与えられている。 ところが、"喫煙者"などという特殊用語を使用すると、あたかも、人種差別のような不当な先入観を与えてしまうのである。 即ち、"喫煙者の権利"だとか、"喫煙者が不当に差別されている"、といった、意味 のない議論を作り出すのである。
単に人としての義務、人としての権利、こういったものを、喫煙者という用語を使って表現すると、 上記のようにあたかも特定のグループに属する人が不当に差別されているかのように聞こえてしまうのである。
正しく言えば、"喫煙者の権利"ではなく、"発煙する権利"であり、更に、声高に叫ぶなら、 "自分が満足するために、他人に我慢させる権利、他人を不健康にする権利、環境を汚染する権利"と主張すれば良いものを、 そのようにしないのは、だます以外の目的の何ものでもない。 人としての義務を、特定の目的のための逃れさせようという主張なのだ。

しかし、この喫煙者という言葉、よくわからない。 誰が作ったものなのか?専売公社(=日本国)なのか、マスコミなのか、元々だますために作った言葉だとすれば脱帽ものだ。

以上

煙草合法論

2006年2月12日

最近ある方からメールを頂戴した。その方はどのようなプロファイルの方は不明なのだが、メールの中で、私の主張は間違っている、冷静になれとあっ た。それを読んでみてなるほどと気付くことがあった。まさしくここで論じている騙しのテクニックにこの方もやられているという典型例だし、今まで書いてい ないことだった。それについて、この例を元に論じることにした。本人の了解を得ているわけではないので、引用せずに、主張を以下にまとめた。

ある読者からのメー ルの骨子
(要点1)
煙草の害や経済的マイナス効果については概ね賛成。

(要点2)
「他人の喫煙を我慢出来ないのは我儘だ」と言う主張は「殴られても我慢出来ないのは我儘だ」と主張しているのに等しいと Smoke Stinksは書いている。 しかし、現行法上は 正当な権利として認められている喫煙を違法行為である殴打と同等に扱うのは明白な間違いである。 違法合法をごちゃ混ぜにして「嫌なものはいやだ」と言う姿勢は非論理的かつ感情的である。

(要点1)はさておくとして、(要点2)には下記の違いがある。

(A:この読者の理解)
合法=現行法上は正当な権利として認められていること

(B:Smoke Stinksの理解)
合法=ある行為を禁じる明示的な法令がないこと

上記のAとBとでは、明白な違いがある。実はこの誤解が騙しの手法として使用されているのだ。
合法という用語をAのように解釈すれば、法令に違反しなければ何をしてもそれは正当な権利だ、ということになる。 所謂”法律の抜け穴”というのはこのようなことを指している。 法令で人々が行うことを許可する内容を全て規定していた場合は、Aのような理解が正しい。 しかし、現行法体系では、人々の行為は原則自由とし、特定の行為を禁止している。 このような体系は今後も変わることはないと思う。 このような場合は、本来禁止すべき行為も法令で明示的に禁止されるまでの間は、”合法”ということになってしまう。 人々が全て常識的に行動するのであれば、現在のような複雑な法令は必要ないはずだ。 残念ながら、抜け穴を利用して非難されるべきことを平然と行う人がいるのだ。
因みに、民法総則では、下記の条文がある。

(基本原則)
第一条 私権は、公共の福祉に適合しなければならない。
2 権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。
3 権利の濫用は、これを許さない。

この条文は、 明示的に権利として規定されている場合であっても、権利の行使には制限が付く ということをはっきりと記したものである。 まして、公共の場所の発煙のような、 明示的に権利と規定されていないものを、正当な権利として解釈するAは基本的に間違っていることが分かる。

実は、人々にAのような誤解をさせることが、騙しのテクニックになっているのだ。
”煙草=合法”→”何故合法なものにけちをつけるのだ!”
このような思考に導くのがこの言葉の目的だ。 法令に関して争いが生じた場合は、司法の場に議論を持ち込むしかない現行の体系では、 誤解派が多数であれば、実質的には、誤りが正論であるのと等価なことになってしまう。
筆者も何度も書いているように、 他人に迷惑をかけずに一人で煙草を楽しむ人にけちをつけたことはない (
本物の愛煙家登場等参照)。 このような発煙行為が、 正当な権利として認められているという主張は否定したことがないし、今後も否定するつもりはない。

その読者が意図した内容ではないと考えるが、 偶然にも結果としてこのような騙しのテクニックのロジックを教えて頂くことになった。

以上でこの項を終了しようと思ったが、これを書いているうちに、法解釈で重要な問題に気付いたので、以下にまとめた。 この内容は、一部、法律の話あれこれ という項に書いた内容と重複しているのでそちらも併せてお読みください。

法律的に程度を論ずる場合には、以下のような違いに注意しなければならない。


分類
備考
1
正当に認められた権利であり、何人もそれを侵害することができないもの
憲法97条に規定される基本的人権など
2
法的に認められた権利であるが、行使にあたって制限の付くもの
飲酒する権利、自動車を運転する権利など。煙草を販売、消費する権利もこれに含まれる。
3
明確な法令がなく、結果として合法になっているもの
合法ドラッグを販売する権利など
4
法令で明示的に規定されているが、罰則規定のないもの
NHKの受信料不払いや健康増進法に違反して営業することなど。 権利はないが罰則がないので、野放しになっている。
5
法令で明示的に規定されており、罰則もあるが、実質的に取締りがないもの
千代田区の生活環境条例に違反する歩き煙草など、ほぼ野放しになっている
6
法令で明示的に規定されており、罰則もあるが、取締りが恣意的で、法的規制が緩いもの
スピード違反など(”時速60kmの道路で時速66,7kmで走ったようなもの”という東横イン社長の言動は記憶に新しい)。
暴行なども取締りは恣意的になっており、かなり野放しに近い。
証券取引法違反の取締りなども相当に恣意的に見える。 余程運が悪いか、目立つことをしないと捕まらないのではないだろうか。 建築基準法などもこのような範疇に入っていたようだ。
7
法律で明示的に規定されておりそれなりに取締りもするが、取締りの優先度が後回しにされるもの
窃盗などは、一応取り締まっている態度はとっているが決して力を入れているようには見えない。
8
法律で明示的に規定されており、最優先で取締るもの
殺人や放火など。

上記の1〜3が合法の範疇に入り、その他は、違法の範疇に入る。 合法と云っても、実は、条件抜きで正当な権利として主張できる(または、主張する必要もないほど明白)なのは、 1だけだが、2のように、制限が付くものを、無制限に主張しようという向きは多い。 4〜6は、違反して当然と勘違いしている人も多数派ではないかと思えるくらいだ。 以前にも罰則規定がないことと違法でないことの区別が出来ていない自称法律専門家の話を書いている (法律の話あれこれ参照)。

よくよく考えてみると、”合法”という言葉は、社会通念上は悪いことなのだが、 法令で明示的に禁止されていないときに使うことが多いようだ。 合法ドラッグなどというのは、本質的には麻薬だが、法令で麻薬に含まれていないので、麻薬として扱うことができず、 結果として合法になったものだ。 医療で使うモルヒネなどは麻薬なのだが、法令上特別に規定されているので、 適法として使用することができる。 手術なども、形式上は傷害に該当するが正当医療行為として適法である。 こういうものは合法とは云わない。 煙草の販売などは、何故か、適法という表現をせずに、合法と云う。 社会通念上は、合法ドラッグの一種として捕らえられているのだろうか?

情けないのだが、明示的に禁止し、実質的に取締らなければ何をやってもいい、という人に付ける薬はない。 こうして、法令がどんどん増えていくのだが、煙草擁護論者は、制限の多い世の中は住みにくいと主張する。 制限を増やす原因を作っているのは誰なのか、決して論じないのである。

以上

番外編−怪しいメールにご注意を

2006/04/16

煙草の問題とは離れてしまうが、最近ものすごく怪しいメールを受け取ったので、被害が出る前に皆様に注意を喚起したい。 メールの内容は下記の通りである。 そこにアクセスして嫌な思いをする方がいらっしゃると宜しくないので、ドメイン名は隠してある。 中に示したマークは騙しの部分を示すために、筆者がつけたものである。

From: admin@○○××.org
To: smokestinks@netscape.net
Sent: 14 Apr 2006 03:35:41 -0000
Subject: Re: Re: unknown1

  From: admin@○○××.org
Subject: 時間外自動応答メール2

お問合せありがとうございます。 このメールは時間外のメールに対して
自動的に返信するものです。 恐れ入りますが、このメールへ返信されて
もお返事はできません3。 弊社の営業時間は平日09:00〜17:00迄です。
時間外のお問合せは翌営業日より準次ご連絡させていただきます。

今後とも宜しくお願い申し上げます。
必ず規約をお読みください。
※催告表示による支障・不具合等につきましては一切責任は負いません。
(会員規約 第7条・第12条・14条参照 http://www.○○××.org/kiyaku.htm)

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
http://www.○○××.org/top.htm4
NNS co.,lid
メール連絡[平日09:00〜17:00土日祝休日]
E-mail admin@○○××.org5
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■


参考資料6
■電子商取引における消費者の操作ミスの救済
これまでの電子商取引では、消費者の操作ミスで申込の意思表示をしても消費者に「重大な過失」があるので、 錯誤無効は主張できないと指摘されていました。
今回の電子消費者契約法の成立により、民法95条但書が適用されなくなりました。 しかしながら、事業者が消費者の申込または承諾の意思の有無を確認する措置を講じている場合には、 元に戻って民法95条但書が適用されます(電子消費者契約法3条但書)。 例えば、事業者が「入会意思の有無を確認するボタン」が設けている場合に、 「入会意思が有る」旨のボタンを押すまたはそれに準ずる方法により入会手続まで進んだ場合には、 消費者に重大な過失(操作ミス)があることになりミスの救済の限りではなくなります。

注)錯誤とは、これを主張する者に立証責任があり、錯誤無効を認めるかどうかは最終的に裁判所での判断となります。 消費者センターなどで、「錯誤になるから無視して下さい。」と言われた、 とのお問い合わせ頂きますが、 弊社は全てホームページ画面上で登録に関する一切についてお客様にご確認事項を記載致しております。
トップページから料金の確認及び入会方法の確認、延滞に関する確認に対する同意・ 不同意事項消費者契約に関する注意事項及び弊社会員規約の確認に対する同意・ 不同意事項コンテンツページにて次ページが登録ページである旨の概要と留意事項登録ページにて 再度規約と料金及び消費者契約の注意の確認事項登録時のセキュリティ警告における[はい][いいえ] の選択事項全て確認を行いその上でのご入会。
更に、弊社サイトは、コンテンツの性質上及び運営方針上、アダルト動画
及び静止画を別ページ(メンバーページ)での閲覧(入室用ID及びPASS)
の発行に対し有料(対価)料金が発生し、入会の確認はお客様の氏名・住
所・電話番号をその風俗性から匿名性を重視し必要としません7
したがいましてご入会登録に対するミスについては消費者に確認事項の怠
りが重大な過失にあるため錯誤主張は認められない事になります8
-------- Original Message --------

> in your mind?
>9
注意事項

  1. 1と2で表題が違っている。インチキメールを送りつけた証拠である。
  2. 同上
  3. 善良なメールであると勘違いさせている。 しかし、後述するように、”お返事はできません”と安心させておきながら、返信すると、罠に嵌ることになる。 筆者自身、最初は、自分のメールアドレスを誰かが悪用したのかと勘違いしてしまった。
  4. ウェブのページが記載されている。これ自体変ではないのだが、 自分の潔白を証明しようとして中を見る人を陥れるのが目的である。 3に”お返事はできません”と書いてあるので、これ以外の情報はないということになる。 絶対に見てはいけない。 今回は、相手が自分のメールアドレスを知っているので、クリックさえもしなかった。
  5. ”お返事はできません”と書いていながら、同じアドレスである。 返信することにより自分の存在を知らせてしまうので要注意。
  6. 参考資料として尤もらしい法律の説明をしている。 相手を心配にさせるためである。 元々何もしていないのだからどんな法律も適用されない。
  7. ようやく本性を現した。しかし、こんなので本人確認ができるのか?矛盾というしかない。
  8. これもただの脅かしの文句である。何もしていないのだから気にする必要はない。
  9. 意味不明のオリジナルメッセージは、でっちあげを自ら暴露していることになる。

インターネットを使用して、活動を続けていると、このような悪質なスパムが相当届くことになる。 筆者もそろそろメールアドレスを変更して表示方法を変えなければならないと感じている。
何もしていないので恐れることはないのだが不愉快なのである。
読者の皆様も是非ともお気をつけください。

以上

消費者金融と煙草

2006/06/03

先日大手消費者金融であるアイフルが行政処分を受けた。 違法な取立てや貸付があったように報道されている。 それに伴いそのアイフルはCMを自粛するようになり、テレビからは一旦消えている。 しかし、その他の消費者金融、特に、銀行系のものは相変わらず根強くCMを続けている。
以前から、消費者金融は怪しい業界だと思っていた。 また、煙草会社と同じような悪質さも感じていた。今回はそのような内容について触れることにした。

まず両者の戦略は共通、どちらも蟻地獄式集金法だ。
煙草は薬物中毒によってカネを巻き上げる。 消費者金融は、高金利によって返済を遅らせ、借金漬けの生活を持続させる。 どちらも一度足を踏み入れると容易に抜け出せない恐ろしい世界だ。

また、煙草の広告と消費者金融の広告には次のような共通点がある。 (あ)は煙草業界、(い)は消費者金融業界とする。

(あ) ”健康のため吸い過ぎに注意しましょう”−かなり以前の煙草の警告メッセージ
(い) ”ご利用は計画的に”−消費者金融のメッセージ

両者とも、何となく警告のように見えて実際は警告になっていない。何故なら、実際は下記のような状況だからだ。

(あ) 健康に気遣う人は初めから煙草など吸わない。
(い) 計画的な人間は消費者金融から借金などしない。

このような事実はどちらも公然のことであり、どちらも、問題意識の低い人をターゲットにして市場展開を図っていることがわかる。 問題意識のある人ならこういうだろう。

(あ) 煙草の消費量に適量はあるのですか?
(い) 計画的な利用はどのようにすればいいのですか?

正しい答えは、
(あ) 煙草は少量でも毒であり健康を損ねます(しかも周囲の人を巻添えにします)
(い) 計画的に金銭を消費すれば、消費者金融から借金する必要はありません

となる。どちらも、このようなものの道理が理解できない人を対象にした売り文句なのだ。
また、同時に、次のような誤解を意図的に与えている。

(あ) 吸い過ぎないあなたは健康を守る人だ
(い) 借りるあなたは計画的な人だ

どちらも、アホか?と思うが、刷り込み広告とはこのようなものなのだ。

この他にも共通点はあるのだが、代表的なのはこれらの点だろう。

また、これとは別な議論だが、消費者金融に嵌まる人は、発煙者が多いのではないかという推定ができる。 上記のように、同種の悪質企業にかかるという類似の性格によるので当然そのように推測することには一定の合理性がある。 また、同様に、これらにかかる人々には下記のような共通点があると考えられる。

(1)刹那の快楽を求める
(2)計画性がない(後先考えない)

例えば、自立して仕事ができ、また、収入の高い人で消費者金融に嵌まった人をご存知だろうか? 筆者には、そんな人が居るとはとても思えない。
また、巷で発煙している人のうち、職業が明確に推定できる人は多い。 例によって差別だ、偏見だと云われるので敢えて書かないが、特殊な技術がなくてもできる、賃金の低い職業の人が目に付く。 また、定職についていないと外見から判断できる人も多い。 大抵の場合、計画性がないから定職に付けないということは少なくないし、だからこそ収入も低くなりがちになる。 そして、収入が低いということは、消費者金融を利用する状況になりやすいことを意味する。このように考える と、消費者金融に嵌まる人には発煙者が多いと推定できるのである。

では、このような負の連鎖から抜けるにはどうしたらいいのか、というと簡単な解決策がある。 それは、煙草を止めることだ。煙草を止めればその分の消費が確実に減り、別の目的に使えるようになる。 高利貸しの一番恐ろしいことは、借金が指数関数的に広がっていくことなので、 煙草1箱分を高利貸しから借りると、あっという間に10箱分の借金になる。 違法な高利貸しだったら、1年以内に100箱分にもなるだろう。 このような小さな節約を積み重ねることで、借金への道を閉ざすことができるのである。 また、煙草を我慢できるということは、何かに依存する弱い心を強くすることでもあり、同時に他のことにも我慢できるようになる。

このようにいいことは、ちっとも論じられずに、前期のような阿呆な広告が蔓延るのである。 いずれにしても、煙草を無くせばそれによって生じる禍袷の連鎖を断ち切ることができるのだ。

共存

2006/08/26

共存”この言葉については既に議論済みだと考えていた。 しかし、読み返してみると未だ議論されていないことに気付いたので、 今回はこの用語について書いてみることにした。

たばこの問題で、発煙者側からよく主張されるのが、”喫煙者と非喫煙者との共存”という言葉だ。 これだけ聞くと、前向きな議論を展開しているかのような錯覚を受ける。 しかし、これは、とんでもない騙しの手法だ。

すでに、”喫煙者”という用語そのものが騙しの手法であることを論じている。簡単にまとめると、次のようになる。

  • 日本国憲法では、発煙癖の有無にかかわらず、人を人として権利、義務を規定しているのであって、 発煙者だろうが、なかろうが、等しい権利を保障している。
  • ところが、発煙者のような分類を作ることで、特定のグループに属する人の権利を侵害し、 差別しているかのような印象を演出している。

今回話題にする、”共存”というのも同じようなロジックで騙しの手法に使用されているのだ。
  • 人は既に全員共存している。
  • 発煙者とそれ以外の共存というのは議論する必要も無く上記のように元から共存が成立している。
  • 共存という用語を使用することによって、特定のグループに属する人を差別しているかのよな印象を演出している。

この用語を良くみると、”発煙者が自由に発煙できるよう他の人は我慢しろ”と主張していることが分かる。

発煙者の発煙は、限られた条件で許可されている。限られた条件を遵守すれば、少なくとも法的に罰せられることはない。 しかし、現在は、限られた場所の定義が曖昧で、発煙の自由の制限が十分ではない。 従って、煙害に遭う立場の人からは文句が出る。 当然のことだ。しかし、このように文句が出ると、煙草の販売に影響が出るので、それを排除するために考えられたのが、 ”共存”というロジックだ。

煙草利害関係者は、あの手この手で、人々を不幸せにし、その分自分の利益を得ようとする。こういった誤った社会に早く気付くべきだ。 騙されていることに気付かぬのが幸せと云えなくも無いが、それは本当の幸せとはかけはなれている。

本当に騙されているのは発煙者自身なのだということに気付かなければ社会は良くならない。 このように騙される人を養成している社会は、騙す者を創り出し、騙しを奨励しているのだ。


以上

まずは騙しに気付くこと

2007/12/30

このところ、騙しのテクニックについては更新が止まっていた。 何故なら、かなりの部分について書き尽くしたと考えていたからだ。
このページでもリンクを張っているFAQさんのページを改めて読んだら、たばこ会社の騙しについて克明に暴かれていた。 それはその通りなのだが、何か釈然としない。 FAQさんの内容がおかしいのではなく、ここまでしなければ暴けないほどの巧妙なインチキではないのではないか、と感じたのだ。
先にも書いたように騙 しには、理論的な厳密性は必要ない。全体が何となくそれらしく見えれば良く、更に云えば、騙される者だけ騙せば良いとも云える。 その意味で、騙しの手法を克明に暴くより以前に、”これは騙しだ”と直感的に気付くほうが身を守るためには必要なことなのだと考える。

 今回は、同じ例を用いて、これがおかしいこと に 直感的に気付くということを紹介したい。 騙す方に厳密性が必要ないのと同様、騙されないためにも厳密性は必要ない。どこかおかしいと思えばそれで十分なのだ。

http://www.jti.co.jp/sstyle/think/basic/01_02.html
から内容を以下に一部抜粋した。

喫煙と健康

わが国における男女別の肺がん死亡率と喫煙者率の推移をみると、最近40年間で男性喫煙者率は明らかに低下し、性喫煙者率はほぼ横ばいであるのに対し、 死亡率は男女ともに顕著に増加しているという事実がみられます。 喫煙の影響が現れるには20-30年程度のタイムラグをみる必要があると言われていますが、 タイムラグを考慮しても肺がん死亡率の動向は喫煙者率の推移とは多くの点で一致しません。

日本における喫煙者率と肺がん死亡率の推移
(中略)
Fifure1

また、世界各国を男女別に比較すると、喫煙率と肺がんによる死亡率との間には必ずしも相関関係がありません。

各国の喫煙者率と肺がん死亡率の関係

(中略)
figure-2
これらのことから、私たちは、喫煙の健康への影響については今後の更なる研究が必要と考えています。

まず、最初に見るべきものは、タイトルである。 タイトルは、”喫煙と健康”となっている。 ところが、内容を見ると、肺がんばかりである。 健康と肺がんとの関係は何か、信頼すべき情報であれば、タイトルに、肺がんを明示すべきであろう。 煙草病は、肺がんだけではないのだ。それを肺がんだけ例に取り出して健康を論じようとするところに、裏側の意図を感じる。 これが怪しさの第一である。

次に、最初の項の”日本における喫煙者率と肺がん死亡率の推移”では、1950年から2000年までの時間を横軸とし、 縦軸には、人口10万人あたりの(肺がんによる)死亡者数と、男女別喫煙者率をとったグラフを載せている。 男性の喫煙者率は1950〜1965年はほぼ80%前後で横ばい、それ以降は、漸減傾向で、2000年には53%となっている。 女性の喫煙者率は、期間を通して15%前後となっている。また、死亡率については、男性の場合、1950年の5人程度から漸増し、 1995年には46人程度、2000年はやや下がって45人程度となっている。 女性の場合は、1955年では1〜2人だったのが徐々に上がり、2000年では10人程度になっている。

実は、データを吟味する前に、ここから読み取らなければならないことがある。 その部分は、この会社にとって都合が悪いので当然書いていないことだ。まず第一に、社会的状況の変化である。
第二次世界大戦の終戦は1945年であり、戦争中から日本は貧困だった。 食事も十分に採れなければ、医療も十分に受けられなかった人が居た。肺がんになるまで生きていられたのは、 相当に幸運な人だったろう。 戦争のダメージが続いたその後も程度の差はあれ、同様の傾向が続く。 特に、貧しい時期に幼少期を過ごした人は、健全な発育を妨げられており、病気にかかりやすかったり、早死にする要因が大きい。 肺がんで死ぬまで生きていられた人は幸運だったのだ。 社会の安定しない時期のデータを持ち出していること自体が、極めて怪しいことにまず気付く必要がある。

次に問題なのは、他の要因による死亡である。医療が不十分な体制では、幼児の死亡率が高くなる。 また、高度経済成長期から現在に掛けては、産業安全の対策が強められており、事故死は減る傾向にある。 すなわち、平均寿命が上がれば肺がんにかかる可能性が高くなることには一切触れていない。 書いていないことは読む人が気付かない限りそれで終わりだ。

下の各国別グラフでは、各国ごとに男性、女性のグループに分けそれぞれを囲っている。 そのグループで男だけを見ると、ヨーロッパ各国は、喫煙者率が低い割に肺がん死亡者数が高いように見えるが 日本がその逆であるかのように見る人の視線を誘導している。 これに女性を加えると、明確に右上がり(正の相関)に見える。 ところが、喫煙者率の低いグループと高いグループの色を分け、更に、夫々を楕円で囲むことによって、 正の相関を隠そうとする意図が読み取れる。

また、日本の男だけ明らかに外れた点にあるところも疑ってみなければならない。 統計データを読む際に、このように特別外れた点があるときは、生データに戻って検証することが定石である。 外れた点は、同じ条件で比較すれば、実は外れていなかったというのは良くある話である。 統計の取り方はどうだったのだろうか。 国際規格でもなければ、各国同じ方法でデータを取ることはできないので、 データの質には相当なばらつきがあるはずであるが、そのようなことには一切触れていない。

良く見るとグラフの下に、”肺がん死亡率は世界人口を基準とした年齢調整死亡率”と書いてある。 ここは、あまり着目しない部分だが、こういう部分に秘密が隠されているのだ。 そこで更に詳しく見ると、各国別に、データ採取の時期が違っていることに気付く。 データの採取時期は、1992年から2000年の間にあり、日本は、2000年のデータとなっている。 そこで、上のグラフと比較すると、2000年の日本の値が一致していない。 上のグラフでは、男が45人程度、女が10人程度のところ、下のグラフでは、夫々38人程度、8人程度となっている。 そこで、よく見ると最初の図には、”昭和60年モデル人口を基準とした年齢調整死亡率”と書いてあることに気付く。 このことは、全体としてデータの質にばらつきがあり、また、夫々を違う条件で表示していることを意味する。 すなわち、この会社は、様々な資料から、都合の良い部分を抜き出し、それを都合よく加工していると考えられる。 上記の、”年齢調整死亡率”のような定義不明の用語は、この文書の信頼性を自ら下げていることにも気付くべきである。

締めくくりの言葉である”これらのことから、私たちは、喫煙の健康への影響については今後の更なる研究が必要と考えています” というのを、背景を知って解釈すると、”上記の内容は、不完全で正当性の裏付のないものであり、 危険性を認識した上で、自己責任で煙草を吸ってください”と読むことができる。

上記のように、専門知識を持って、分析しなくても、注意すれば騙しには気付くことが可能なのである。 身を守るために最も大切なことは、騙し理論を論破することではなく、怪しさに気付くことなのである。

以上

怪しい広告

2008/02/23

先日NHKのニュースを見ていたら、最大規模のマルチ商法の会社が摘発されたと報道していた。 それを見ていて、ずいぶん前に書き溜めていた原稿の存在を思い出した。日付を見ると2006年11月6日になっていた。 忘れてお蔵入りになるところだったが、 今読んでみても、重要なことが書かれていたので遅まきながら公開することにした。 怪しいブログの話題である。当時の原稿そのままではなく、多少修正してある。

アクセス数の多いブログの主催者に対し、商品の製造メーカーが、金品を提供し、特定商品の販売促進記事を書いてもらうシステムがあるという。 ブログから発信された情報は、口コミとして拡がり、売上に相当貢献するのだという。 ブログの発信元は、若い女性が多いらしい。

筆者は、既にこのページを開いてからもうすぐ5年になろうとしているが、金品を受取ったことは一度もないし、 今後アクセス数が相当に増えたとしても、そのようなことをする気はない。 自分のポリシーとして、社会問題を扱うことを商売にする気がないからだ(社会学者になるとか、出版するとかいうことであれば別ですが)。 このページでは、何度かに亘って情報を選別するよう呼びかけている。 情報を選別するということは、騙しから身を守ることだからだ。 本当の口コミと金品を受取ったコマーシャルとの選別が出来ないようでは、騙されて無一文になる運命が待っていると考えてしまう。

ウェブを使用した情報発信については、 特定のサーバに自分で作成したHTML文書を保存してそこにアクセスした人に対して情報を公開するのが一般的だった。 最近はブログという、HTMLの雛形が流行りだして、それを利用する人が増えた。 ブログは、更新が簡単なので、個人の日記帳を一般公開するように利用されている。 そこで、いかにも普通の人の普通の情報であるかのように偽装されたインチキ情報が蔓延るということになってしまった。 これを利用する側としてはうまく利用しているという訳ではあるがどうも納得できない。

元々、新聞や雑誌の広告については、"広告企画"などと明示してある場合が多い。 広告と報道は混同させてはならないからだ。 実際には、広告であってもそのように明示していない場合も多く、消費者を混乱させる場合もある。 一例を挙げると、既に書いた、"
騙された!新手の広告"という記事だ。 これは、煙草会社がテレビのドキュメンタリー番組に見せかけて実態は煙草のイメージ広告を放送したものを取上げたものだ。 ブログを通じた広告というのは、このようなイメージ広告であり、金品を受取っていることを明示しなければ、ならないもののはずだ。 しかし、実際には、このような裏広告が蔓延ってしまう。前期の煙草のイメージ広告にしたって、 スポンサーを明示すれば視聴者の判断材料は提供されるのだ。
調査できている訳ではないが、ブログを利用した煙草のイメージ広告は相当数存在するのではないだろうか。

筆者の話に戻ると、"禁煙スポットを応援しよう"というコーナーを設けていて、特定の事業者を応援している。 しかし、これはあくまでも任意で応援しているのであって、金品を受取ったことはないし今後受取るつもりもない。 何より、文中に明記してある1件を除き、他の全てについては、事業者に通知もしていない。 通知し、話し合うことにより、事業者の意向が反映されてしまうと広告になってしまうからだ。 全ては、筆者の判断により、任意に情報と意見を伝えているのであって、それをどのように読むかも読者の任意である。 事業を妨害する内容は一切書いていない。 推薦を取りやめた残念な記事もあるが、その理由も明示してあるし、筆者の推薦しないというのは、その他多数の普通の事業者と同じ、 というレベルに過ぎないのである。 例えば、"この店は禁煙でなくなったので推薦しません"というのは、妨害ではない。 禁煙でなくしたのは店の判断であり、禁煙でなければ行かないという人に対して情報を与えているのにすぎない。 そもそもかなりの人が禁煙でないことを気にしていない。だからこそ、未だに、非禁煙の店が無くならないのだ。

さて、怪しい情報に騙されないようにするにはどうするか、既出の内容ではあるが、下記に気をつければ良いだろう。

(1)事実と意見を書き分けているかどうか。事実とは、その物自身、文献や出版物などで得られる公知の情報であり、 意見というのは、筆者の感想やコメントである。これが明確に書き分けられていない場合は、情報の信頼性が疑わしい。
(2)イメージ広告になっているか。 例えば、"○○って格好いい!"というのは、イメージ広告の場合が多い。意見として書きたいのであれば、具体的に書くべきなのだ。 例えば、特定メーカーのメガネフレームが格好いいと書きたいのであれば、"××製のメガネフレームは横長で、 六角形を基調にしたデザインを採用しており、面積を少くまた、フレームには形状記憶合金を採用するなど、 機能性に優れるものだと考える。"のように、イメージだけでなく何故自分がそのように評価するかの理由を明記する必要がある。
(3)前後の脈絡が明確であるか。 何の脈絡もなく、突然特定商品のイメージの刷込みの表現が出てきても違和感のない人が多いというのは困ったことだ。
(4)具体性があるか。話の内容に具体性がない場合、具体性のない理由を明示していないものは疑うべきだろう。

お断りしておくが、特定のブログを取上げて批評している訳ではない。読者の方に教えて頂ければ、熟読してコメントしてみたい。

以上

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