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アーカイブ:その他の主張集(4)

このサイトの公開を始めてからいつの間にか2年が経過してしまった。
最初は何とか読者を増やそうと頑張っていたのだが、最近は、あまり気にしないようになってしまった。 何故なら他にある立派な主張のサイトのカウンタを見てもこのサイトと大差ないことに気付いたからだ。 しかし、大したことない(といっては失礼だが)サイトでも妙にアクセス数が多いものもある。

このサイトもできるだけ多くの方に読んで頂きたいので、できるだけ頑張って続けたいと思います。

正しい喫煙マナー"掲示板の閉鎖

2006/09/20

このページでも紹介していた、同ページの掲示板が閉鎖してしまった。 閉鎖前にNさんから荒し対策の相談を頂いていたのだが、お力になることができず、改めてお詫び申し上げたい。 荒しの張本人は、煙草擁護者のプロファイルで筆者がおちょくって書いた、Kであったらしい(この記事は、既に抹消している)。 Nさんから頂戴したメールには、Kの本名らしいものも記載してあった。 Nさんは、この件をハイテク警察に通報されたということなので、そのうち逮捕されるなどということもあるかもしれない。

喫煙は、筆者が既に否定している用語であるが、Nさんのページのタイトルはそれ以前に出来ていたものである。

同ページは、話題を集め、アクセス数が相当にあったらしい。 特に掲示板は大賑いだった。 掲示板の盛況ぶりは、歩タバ掲示板閉鎖以降は、最大だったのではないだろうか。 しかし、掲示板運営の方法には疑問が残る。 真っ当な意見が出ると、荒しが意味の無い否定行為を繰り返し、度重なる警告も無視して暴走していた。 Nさんが筆者のような強い態度に出ていれば、閉鎖する前に、荒しを除外できたかもしれない。 このあたりは、Nさんは、筆者とは考え方が異るので単純に否定することはできないが、 もっと積極的に主張を貫いて頂きたかったというのが筆者の本音である。

さて、同ページには下記のような本質的な問題があったと思う。

  1. 管理人は、ニコチン中毒では無く、常習性がないという稀な存在であった。 煙草利害関係者にとって、常習性がなく、正論を主張する煙草ユーザは最も厄介な存在であったと考えられる。 煙草ユーザの正論は、煙草販売の妨げになるからだ。
  2. 読者のかなりの部分を非発煙者が占めていたと推測される。 投稿の殆どが、煙草利害関係者にとって都合の悪い意見であった。 しかも、的を得た真っ当な意見が目に付いた。 煙草のマナーの問題を考えると、煙草利害関係者に都合の悪い結論にならざるを得ないという、 煙草社会の矛盾を指摘する結果となった。
以上のように、Nさんの存在は、煙草利害関係者から見ると正しく危険な存在であった。 Stinksのような、非発煙者の主張であれば、煙草利害関係者にとっては、"嫌煙者が何を云うか!" で済ませられてしまうものが、喫煙者の主張になると、真っ当であるだけに余計に都合が悪い。 攻撃される運命の元に誕生したページだったのだ。

"正しい喫煙マナー"掲示板の過去ログ

さて、Nさんは、これから傷が癒えたら掲示板も再開する予定だそうです。 筆者は、Nさんに、正しい喫煙マナー掲示板の過去ログを公開して良いという条件で頂戴したので、このサイトのサーバスペースに圧縮して置きました。 興味のある方は、ダウンロードしてご参照ください。 掲示板のHTML部分だけをtgz形式に圧縮して置いたので、解凍してから各ファイルを適当なブラウザでお読み下さい。 tgz形式のファイルの解凍には適当なツールがありますが、Lhazのようなものが適当で使いやすいと思います。 Linuxを使用している方は、
$ tar xvf manner-BBS.tgz
を実行すれば、そのフォルダに、10のhtmlファイルが出来るので、それらをブラウザで閲覧することができます。

Kのうんこが並んでいます。うんこ以外をお読み下さい。

何はともあれ、Nさんの心の傷が癒え、再び活躍されることを期待しましょう。

対立の構図−煙草利害関係者の策略

2006/09/26

 上述の正しい喫煙マナーの掲示板は、いろいろな意味で勉強になった。 主催者のNさんも、勉強になったというのは同様だったそうだ。 このページも書き始めてから色々なことに気付いて書き足してきた。 それは、煙草商人が絶滅するまで続くのではないかと思う。 煙草商人の絶滅は、煙草の絶滅とは同じにならないかもしれない。 既に書いたように、煙草商人が今のあくどい販売方法を止めて、 煙草を本来の意味での嗜好品に変えてゆく戦略をとる事によって、 絶滅は回避されるかもしれないからだ。 しかし、今後も相変わらず今のような死の商法を続けてゆくのであれば煙草は絶滅する道しかとれない。 人々は、いつまでも阿呆ではないからだ。 多くの民衆が、煙草の問題の本質を知ったとき、政府や煙草会社は大きな非難を受けるだろう。 その非難の中で、生き延びてゆくのは簡単ではない。 そうなれば既に予告したように、煙草は絶滅状態になる。

 さて、今回書くことは、自分が、騙しのテクニックを書きながら考えてきたこと、また、 正しい喫煙マナーの掲示板を読んで、教わったことを含めて書く。 正しい喫煙マナーの掲示板の過去ログはこのページの中にもあるので、そこも合わせてお読み頂ください。 その中のハマリ王さんの意見はいつも参考になり、啓蒙されている。

 今回議論するのは、対立の構図である。 煙草利害関係者にとって、"喫煙者"対"嫌煙者"という構図を作ることは、煙草の販売に有利である。 "喫煙者"及び"嫌煙者"という用語は、既に否定済みであるので、ここでは使用したくなかったが、 実際に利害関係者にそのように利用されているので、仕方が無い。
本来は、このような単純な構図はない。 何故なら、本当の構図は、"煙草利害関係者"対"煙草問題に関心のある人"だからだ。 これらのグループのどちらにも、発煙者、非発煙者が含まれるだろう。 そして、これらのグループ外側には、"煙草の問題に無関心な人"というグループがある。 現在は、この3つ目のグループの人が多数派であると考えられる。 このグループにも同様に発煙者、非発煙者の両方が含まれていることに注意すべきである。

 煙草利害関係者が、上記のような、"喫煙者"対"嫌煙者"という構図を作ることは、議論を本質から隠すことを意図している。 このような構図を作ることで、煙草利害関係者という集団を意識されずに済むからだ。 このような単純な構図を作ると、煙草の本質についての議論ではなく、煙草の好き嫌いの問題に転化できるのだ。 この好き嫌いというのが、煙草利害関係者の意図する方向なのだ。

 煙草の本質の議論になると、煙草利害関係者は非常に困る。 何故なら、煙草に害のあることは既に世界の常識になっているし、臭くて不快ということも、 社会的に認知されている常識だからだ。臭くて不快でしかも害のあるものを、崇める人々がいる。 こんな奇天烈なことは、通常有得ないことだろう。 ところが、薬物中毒にしてしまえば、臭くても、不快でも、害があっても、快感のように思考を狂わしてしまうことができる。 こんな野蛮な薬物を正々堂々と販売していること自体、常識では考えられないことだ。 しかし、逆に、煙草に関しては、非常識が常識になっている。 この今の常識が非常識であることを人々に悟られたら、煙草販売の未来は無い。

 このような構図を崩すのはどのような人か、というとそれは、筆者のような非発煙者ではなく、 むしろ"愛煙家"のNさんのような人である。 依存症になってはいけない、他人に害を与えず節度を守って嗜むこと、従って、公共の場所で発煙してはいけない、 と"愛煙家"が主張すると、利害関係者はものすごく困ってしまう。 何故なら、こんなことをされたら売上が激減してしまうからだ。 全ての発煙者がNさんのように嗜んだら、売上は1/10以下になってしまうだろう。 逆に言えば、煙草の売上の殆どは、無秩序に発煙することによって得られているものなのだ。 Nさんのような主張が人々が容易に気付く事となれば、 煙草会社が社会の迷惑と引換に利益を得ようとしていることがバレてしまう。

 では、煙草会社にとってどのような人が最も有難いのかというと、 煙草ユーザではなく、煙草問題に関心のない非発煙者なのである。 このような人々が、"自分は煙草を吸わないが、別に嫌ではない"とか"煙草くらいで目くじらを立てるなんて大人気ない" などと発言してくれると、煙草の問題に関心のある非発煙者は"我侭嫌煙者"だ、 というイメージを作ることができるのだ。 このようなイメージが広がれば、煙草の問題の本質は議論されずに、好き嫌いの問題に転化できるのだ。 現にすでに何十年の間に亘って、この方法で煙草会社は販売(消費)を伸ばすことに成功していている。 本当であれば煙草問題の第一次被害者である発煙者本人が、こういった嘘に気付かなければならないのだが、 煙草利害関係者の巧みな戦術で騙され続けてきているのが実態である。

 同じような分類で、煙草擁護派という人々が居る。 煙草利害関係者は当然、積極的煙草擁護派に含まれるのであるが、 同時に上記のような、煙草問題に関心のない非発煙者は、消極的煙草擁護派になる。 積極的に推進するものではないが、否定しないことによって、結果的に煙草擁護派に含まれてしまう。 また、この他に、煙草に洗脳された発煙者も積極的煙草擁護派になる。 上記の話題で触れたKがどちらに含まれるかは分からないが、煙草擁護派であることは間違いない。 Nさんは、愛煙家でありながら、煙草擁護派に攻撃されるという皮肉な結果になってしまった。

 このような問題とは別に、煙草利害関係者は、時限爆弾を抱えている。 それは、発煙者と非発煙者との煙草病疾病率の有為な差の現れである。 今まで何十年にも亘って煙草の問題が不当に放置されてきたために、受動吸煙なしで生活してきた人は居なかった。 家庭でも職場でも学校でも食堂でも往来でも、どこででも煙を浴びせられてきた。 このため、発煙者と非発煙者との間の疾病率の差は小さかった。 しかし、現在は多少ではあるが、分煙化が進み、職場などでは禁煙のところが増えてきた。 また、家庭でも、家族の前では発煙できないという人が増えてきている。 この傾向は、今後、更に続くと見込まれるので、非発煙者の煙草病疾病率は、 今後20乃至30年で顕著に差が付くようになる (この時限爆弾の期日は、煙草が絶滅状態になるという筆者の予告の年より後になるので、 あまり議論されずに静かに絶滅するだろう)。

 今回の議論は、Nさんを応援するために書いたものである。  立ち直るには、現状を認識しなければならない。頑張れ、真の愛煙家達!

以上

飲酒運転の問題

2006年10月2日

 先日福岡での公務員の飲酒運転による死亡事故が大きく取り上げられて以来、飲酒運転という犯罪に焦点が当たりだした。 何故、このことが大きく取り上げられたか、考えてみた。

 良く考えてみると、飲酒運転による事故など今に始まったことではない。 そんなことはずっと以前から問題であったのに、取締りが恣意的で、実効を上げていなかっただけの話だ。 こういった恣意的な取締の問題は、煙草の問題と良く似ている。 歩行発煙を禁止する条例があっても取締らないので、この問題は無くならない。飲酒運転も同種の問題だ。

 以前から不思議に思っていたものがある。 それは、人里離れたスナックバーの存在だ。 最近は自動車を運転することが稀なので未確認だが、以前、地方に住んでいた頃は、 夜中に車で走った際に、市街地から離れた国道沿いにスナックバーをよく見た。 どう考えても酒を飲みに行くところであったが、徒歩で行くには不便な場所だし、公共の交通機関もなかった。 このような商売をするには、どう考えても不適切な立地条件のところにスナックバーが点在していた。 しかもどれも随分と古いようだった。 このようなスナックバーに自家用車以外の交通機関で出かけることは考えにくかった。 客のほぼ100%は、飲酒運転していたものと推定できた。 こういうところの飲酒運転者を全て摘発すれば、今までに相当な数の飲酒運転を無くすことができたはずだ。 しかし、それが放置されてきたのが実情だ。 勿論、飲酒運転がいけないことは当然のことだが、もっと大きな問題は、それを、恣意的に放置してきたことだろう。 恣意的に放置した理由のひとつとして、警察官の中にも飲酒運転者が相当数いたのではないかと想像できるし、 実際にそのような噂は良く耳にした。 噂を信じてはいけないが、噂では、取締りの前にこっそり通知されたのだという。 確かに、飲酒運転者を一網打尽にしていれば、このようなスナックバーは壊滅的打撃を受けただろう。 しかし、そもそも存在できたこと自体が驚きでしかない。

 このような問題も煙草の問題と似ている。
 煙草という商品それ自体が、人々の健康を犠牲にし、なおかつ社会の迷惑行為を誘発するものであることは常識であるのに、 未だに放置され、それを商売にしている者たちがいる。 煙草の問題の根本はそこにあるのだ。 飲酒運転客の存在を前提にした飲み屋の経営というのも、煙草販売に似ている。すなわち、

飲酒運転客目的の飲み屋の場合:

飲酒運転するヤツが悪い。法律で駄目と云っているのだから、 警察だって態々取締る必要もない。 適当にやっておけばいい。 問題が起きたらそのときは"車で来ているとは知らなかった"と云えばいいのさ。 客個人の問題には責任が持てないし、酒類の提供は合法的にやってるからね。
煙草販売者の場合:
不法発煙や迷惑たばこ行為などするやつが悪い。 法令やマナーを守らないヤツが悪いのであって販売者には問題はない。 問題が起きたらそのときは"それぞれのユーザの行為には責任が持てない"と云えばいいさ。 煙草販売は合法的にやってるからね。

 当然のことがら、現実には、不法者など幾らでもいるのであって、これらの不法者の犠牲者は減らないのだ。

 飲酒運転の問題に戻ると、発端になった事件は、容疑者が公務員であったことで面白おかしく報道しているようだけのように見える。 どれだけ不況でも不況が原因では絶対に失職しない職業にあるものを羨み、その失敗を楽しむ、そんな姿勢が見え隠れしている。 大手新聞社の報道サイトを見ても、公務員の記事ばかりだ。本当に飲酒運転を追放しようと思ったら、 警察当局の恣意的な取締により、事件を防止できなかったことを追及するのが先だろう。 煙草の問題と同じく、取締りを厳しくすれば、違反者など殆どゼロに近くすることができるはずだ。

 飲酒運転の場合、免許を持っていてもこの有様なので、煙草の問題の場合は免許が不要であるが故、 更に厄介なのは自明であるが、どのよう場合も、取締りで実効性は上がるものと考えられる。 不法煙草の場合、取締らないので、条例の実効性が上がらないことは度々書いている。飲酒運転の場合も根は同じだ。 飲酒運転したら3回に1回は必ず捕まる。また、捕まったら10年の懲役だ、 とでもなればいかに愚か者でもは飲酒運転などしないだろう。

 残念ながら、大人にも、精神年齢の低い者がこんなに沢山居るというのが大きな問題なのだ。

 ところで、ついでに飲酒運転常習者のプロファイルを想像してみる。

Smoke Stinksが想像した飲酒運転常習者のプロファイル

(性格、思考)
後先考えないお気楽な性格。 今がよければ先のことはどうでもいいよ。
飲酒運転したって相手が避けてくれるだろ。当てられるほうも問題あるね。

(職業)
酒ばっかり飲んでいられるのだから、難しいことは考えなくても良い職業に就いている (特には書かないが)。或いは、仕事なんかやっていない。 一体どうやって生活してるの?と思う人もニュースのワイドショーでは良く見るが...

(煙草について)
煙草の煙なんか気にならない。 煙なんか気にしてたら飲み屋になんか行けないよ。

 筆者は今まで酒飲みの場で、自分と自分のグループを除くグループの発煙者率を数えていたことがあった。  どこでも概ね80%が発煙者であった。  どこに行ってもたばこくさいはずだ(こういう数字の統計はどこかに出ていないだろうか?)。

 ここまで書いてみると、" 発煙者の深層心理は?"と題して書いた, 発煙者の心理に似ている。これ以上は書くまい。

以上

必修科目未履修問題

2006/11/05
このところ高校の必修科目未履修問題が随分と世間を騒がせていた。 この報道を聞いて変だと思ったのは筆者だけではないだろう。 この問題もやはりたばこの問題と同じく本質が報道されていないのだ。

歳がばれてしまうが、筆者は二十何年か前に高校を卒業している。 進学校ではあったが、今とは違って受験指導など殆ど実施していなかった。 受験など勝手にやれ、という学校だったので、数学の授業は、ほぼ全てが定理の証明だけ、 応用などゼロに等しく、受験対策とは縁遠かった。 数学は、他の学校では殆ど実施していない数IIIの微分方程式から、 確率・統計に至るまで全て履修、社会(日本史、世界史、地理、倫理社会、政治経済)、 理科も全科目履修(物理、化学、地学、生物のちIは全科目で、IIは2科目選択だったが) という学校だった。 その気になれば当時の共通一時試験はどの科目でも受験できたというかわりものだった。 そんな学校を卒業しただけあって、未履修というのはいまひとつピンと来ないのだが、 恐らく当時も未履修の学校は相当数あったのではないかと思う。 大学に行ってから周囲の人に聞くと、受験に出ない部分は教わっていないというという答が多かったからだ。

個人的な問題はさておいて、本質を考えてみると次の疑問にあたる。

(1) 履修できなかった科目があるということは、損したのではないか? 授業料返還請求だってできそうではないか?
(2) 大学受験に出ないことはしなくていいのか? 高校教育の目的は大学に合格することなのか? そうだったら高校なんか行かずに受験勉強だけすればいいのではないか?
(3) 大学は、高校で受験勉強だけしてきた生徒が欲しいのか? 逆に云えば、受験勉強しかしてこなかったヤツなんて使えるのか?
(4) 未履修問題のあった学校の校長の云うように、"必要な"科目だけ教えればいいのであれば、 そもそも文部科学省の決めた学習指導要領に意味があるのか?
(5) 文部科学省の決めた学習指導要領に異議があったからその通りにしなかったのではないか? だったらどうして正々堂々と議論しないのか?咎められなければいいと、 こそこそずるするような人が教育者なんかしていいのか?

以上書いてみると、改めてタバコの問題と根が似ていると思う。
- カネを使わされ、健康を損なっているのに、"吸わせろ"ばかり。 考えてみれば中毒に陥れた人々を訴えるのが先ではないのか?
- 捕まらなければルールなんか破ったってお構いなし。
- タバコ会社は、インチキルールのでっち上げばかり、 問題を本質から遠ざけるために嘘の構図を作り、嘘のマナーを作る。

未履修の問題に戻ると、やはり、教育が悪いのかと思わざるを得ない。 何でも損得だけで考える、しかも、本当の損得は何か、本質を考えることができない、 更に、ばれなければ何をやっても許される、という人材を育成している。

筆者の高校生の時代は、海外旅行など一般的ではなく、 世界史も自分にとっては拷問だったが、今になって社会が豊かになり、 西欧諸国にも旅行できるようになると、 本当は、世界史なども真面目に取組むべきだったのだと思う。 詳細を抜きにして、粗筋を知っておくだけでも世界観は随分と異ると思う。

高校生や保護者は、高校を債務不履行で訴えるべきなのだ。 それに、大学に対しても、入学試験だけで、合否を決めるな、と主張すべきだ。 大学など、門戸を拡げて中で振り落とせば良いのではないか? 受験が終わればそこで勉強が終わったと考えるような人材は高等教育を受ける資格がない。 問題の本質はそこにあると思うのだが。

以上

いじめの問題

2006/11/18
前回、必修科目の未履修問題を取上げたところやはり同様の疑問を感じておられる読者の方々からご意見を頂いた。 今回も前回に引続き、社会問題であり教育問題に焦点を当てることにした。

このところ、"いじめによる自殺"について報道されることが多くなった。 この問題を観察すると、騙しと責任逃れの手法、また、無責任な野次馬の存在が見えてくるのだ。

まず、報道で問題なのは、"自殺"に焦点を当ててしまっていることだ。 そして、その自殺の原因について、"いじめ"があったか否か、という論法で報じられている。 しかし、考えてみれば、本質的に重要なのは、いじめの問題であって、自殺者が出たか否かということは、 問題の結果に過ぎない。 いじめという問題が存在し、それに苦しむ人々が居る、そして、その問題について、何も対策が取られていない、 更には、そうした無策について隠そうとする体質がある。 このことが問題なのに、自殺者が出なければ放置されてしまう。 このことこそ問題の本質のはずだ。 この報道のありようは、マスコミが、三面記事的な、興味本位の報道に終始していることを表している。 問題だ、問題だと報じながら、実は、事件の解決など願っていない無責任なマスコミの姿が見えてくる。

次に問題なのは、死者が出ない限り、何も対策を取らないという、社会構造だ。

- ちょっとひとこと -

いじめに苦しんだ人は相当な数に上ると推定できるし、読者の中にも被害に遭ったという方もおられるかもしれない。

そういう筆者も小学校のときに被害に遭ったことがある。
いじめの場合、加害者は、単独犯であることは少く、大抵の場合共犯が居る。 いじめをするような卑怯者は、単独で犯行に及ぶほどの度胸がないからだ。
筆者の場合もそのような例であった。 最初は無視していたが、あまりに執拗なので、その中で一番強い奴を捕まえて徹底的にやっつけた。 それからは、陰湿さは続いたものの大人しくなった。

虐めの被害にあった場合は、中で一番強いのをとっちめるしかない。 自力でできればそれでも良いが、できなければ、友達の応援を頼む、弁護士を頼む、 などして徹底的に闘わなければならない。 そうしなければ虐めは無くならないし、社会が変わらないと思う。

また、その学校では、教員によるいじめもあり、自分もその被害者の一人であった。 教員の実名は書かない(苗字しか覚えていない)が、イニシャルは、Kであった。 例によって、Kは発煙者で、教室でまで発煙していた。 このことを、ある保護者がPTAか何かに改善を求めたので、その後は教室での発煙は控えたが、 Kは、そのことを根に持っていたようだった。 Kに虐められていた中に、Mさんという子がいた。Mさんのことを助けることができなかったのは今でも残念だ。 今考えると、Kの発煙について、改善も求めたのはMさんの保護者だったのかもしれない。 真相は闇の中だ。

その小学校(兵庫県)を卒業してから、千葉県の中学校に入学した。 不良は多かったものの、そこでは一切の虐めを見なかった。これは立派!

ご子息が虐めに遭っているという場合には、自身も強くなる、 また、必要があれば弁護士に頼るなどの決意が必要だと思う。

虐めはそのものが社会悪であって正当性は何もない。 自殺者が出なければ何もしないというのは社会正義に反している。 マスコミは、こうした反社会行為を追及すべきなのだ。

しかし、実際には本質は何も追求されていないし、自殺者が出ても、当の学校側では真相を隠そうとするだけで、 何の改善もしない。自殺者が出なければしめたもの、そんな心理を連想させられてしまう。 自殺者が出てしまっては遅すぎるのに。

随分と酷いことを書いているのだが、煙草の問題は、更に狂っている。

煙草の問題の第一は、苦痛である。
この苦痛が続くことによって、物理的に病気になったり、精神疾患を負ったりする。 この問題を、いくら追及しても、誰も何も対策を取ってこなかった。それどころか、煙草会社でしか通用しない、 "喫煙マナー"なるものでめくらましし、本来の煙草によるいじめについては全く無視、それどころか、煙草によるいじめ を緩和することが"思いやり"という狂った主張を展開している。筆者が繰り返し主張しているように、 煙草など、人々に苦痛を押し付けているだけのものであり、商品としては成立し得ないものなのだ。

第二は、犠牲者が出ても何も対策を取らず、隠していることだ。この主犯はたばこ会社だ。 煙草会社は、煙草による死者、煙草が原因で心身疾患の犠牲者が出ても、責任逃れの主張を繰り返し、 或いは無視することにより、放置するだけでなく被害を増進している。

第三は、このようなあり得ない商品によって、儲けている者がいるということだ。 他人を犠牲にしても自分が儲かればよい、という社会を作り上げている。自分勝手な人間を育成しているのだ。 この犯行の主犯格はかつては国であったが、最近は、国はこうした政策に消極的になる姿勢を見せ始めている。 それに対して煙草会社の暴走は止まらない。


いじめの問題は、何かしら煙草の問題と共通点があり、根は同じだ。強いものが弱者を苛めている。

Nさんから伝言板に頂いた投書のように、発煙者が非発煙者を苛める構図はどこでも良く見られるし、 多くの発煙者は、煙草会社の奴隷になっている。 知らずに奴隷になっている人々に気付かせるにはどうしたらいいのだろうか?言論による闘いは続く。
以上

発煙禁止法施行後のイタリア

2007/01/28
 このところ更新が止まってしまっていました。  ちょっと手抜きの状態なのですが、丁度年末年始に、  イタリアに行く機会があったのでイタリアの事情について紹介します。  既に、記事にしましたように、イタリアは、飲食店や公共の屋内は一部の例外を除いて禁煙になっています。  という訳で、休暇の旅先にはイタリアを選択したのでした。  果たしてイタリアの禁煙ルールは守られているのか、楽しみでした。  今回は、ミラノ、ベネチア、フィレンツェ、ローマ等に観光旅行に行きました。



 イタリアには、以前一度旅行している。その時も休暇の旅行だった。 その旅行中にはイラク戦争が開始され、ローマでそのニュースを見て悲しい気持ちになった。 今回は、ミラノに到着してその翌朝にフセインが処刑されたとのニュースが入った。 何とも不思議な偶然ではあったが、思いは複雑だ。 敗戦国の幹部はいつも当然のように裁かれているが適正手続きを経ていると云えるのだろうか。 勿論、彼の行った悪事を支持するつもりは全く無いが。

 前回の旅行のときには、イタリアの煙草事情は日本と同程度のように感じた。 どこに行っても煙が漂ってきた。イタリアは発煙の国だなあ、というのが実感であった。 日本と違うのは、イタリアでは煙草の値段が高いということくらいであったろうか。 現地の旅行ガイドは、イタリア人は煙草の値上げにも懲りないと説明していた。

 その後、間もなくして、発煙禁止法が施行され、イタリアでは、飲食店等がほぼ完全に禁煙になった。 そして今回その結果を確かめることができた。 禁煙の徹底状態は、"素晴らしい!"の一言で表現できるだろう。 まず、気付いたのは、ホテルのロビーなど客室以外の場所が全て禁煙であり、 "VIETATO FUMARE(禁煙)"のステッカーが貼られていたことである。 その中には、具体的な法律の施行年、条数と罰金額が記載されていた。 また、飲食店についても屋内は全て禁煙であり、同様の表示がしてあった。 既にお伝えしたように、発煙禁止法でも特別の排煙設備があれば、 禁煙でない部屋を作ることができるらしいが、それを見付けることはできなかった。 問題が残っていたのは、屋外の席は禁煙ではないということであった。 屋外の席が透明なビニールシートで囲われていて、そこは禁煙ではないが、 そこを通らなければ中に入れないというバールがあった。 しかし、そういうところは利用しなくとも、他に選択肢がいくらでもあるので、 困ることは全く無かった。 見た限りイタリアでは、屋外の禁煙は、ほぼ完全に達成されているという印象を持った。 この記事をお読みの方にもイタリアへの訪問をお勧めしたい。 残念なことは、放煙者が多いことだった。 屋内で煙草を締め出されたせいであろうか、放煙者がやたらと目に付いた。 日本の都心では放煙者が減少したように見受けられるのであるが、 日本とは全く逆になっている。 日本では、屋内の煙草の締出しが不十分なので、屋外で放煙しなくても良いという発煙者が増えてきたのだろうか。 しかし、屋外の放煙を我慢するほうが、屋内の放煙を我慢するよりずっとましであることは云うまでも無い。 イタリアでは、どのようなレストランでも安心して利用できるのである。

 日本にも、健康増進法があるので、本当は屋内全面禁煙のはずである。 しかし、イタリアとは違い屋内での発煙行為が野放しになっている。 その理由は、健康増進法に罰則規定がないからだ。 イタリアの場合は、罰則があるので、経営者、管理者や発煙者が従う。 しかし、日本には罰則がないので、野放しだ。
 罰則がある場合でも、取締らなければ同じことだ。  千代田区の禁煙地帯にしたって、罰則があっても最近は取り締まらないので、徐々に放煙者が増えている。 発煙者の多くには倫理観が欠如しているのだろう。 放煙者は、自分が罰せられるか罰せられないか、そこだけを基準に行動している自己中心主義者だということの証拠にもなっている。 放煙者を更生させるには、厳しい罰則を課すか、煙草を無くすしかないのだろう。 日本では、一歩進んで、煙草そのものを規制して欲しいところだが、そうでなくともイタリア並みの規制は期待したい。


 さて、イタリアは、禁煙というだけで素晴らしいという訳ではなく、文化遺産がとても多く美しい国です。 たとえばベネツィアやローマなどは、1週間ではとても見られない位、素晴らしい文化遺産が多数あります。 全面禁煙になったのをきっかけに、一度訪れてみてはいかがでしょうか。

的外れな議論といじめ

2007年2月5日

 このところお騒がせな事件がいくつかあった。ひとつは、関西テレビのでっち上げ騒動。 こういう話題もいずれ取り上げてみたいと考えている。 もうひとつは、”女性は産む機械”発言のニュースだ。 今日はこちらの話題を取り上げてみたい。

 ”女性は産む機械だ”なんて怪しからん!という議論を展開する気はない。  問題なのは、議論そのものである。 筆者にとって、この事件は、柳沢厚生労働大臣の”失言”をよってたかっていじめている。 その程度の印象しかないのだ。しかも、議論の大切なポイントを外している。 というよりも態と外しているのだろうか。あまりにも幼稚な議論なのだ。

 ウェブ等でも、実際の発言の引用は見付かっていないが、 当の報道があったときに、その部分らしき発言が、テレビのニュースで一部引用された。 全体を通していた訳ではないのだが、筆者には、柳沢大臣が、”女性は産む機械である”と発言したようには聞こえなかった。 筆者の解釈では、柳沢大臣は、出生率の低下を大きな社会問題として捉えて、産まないことには人口が増えてゆかない、 と伝えたかったようだ。 そして、出生率と人口変化との関係を、機械装置による製造と製品生産量との関係に例えたかったようであった。 ニュースで紹介されたのは本当にその一部だが、自分には、柳沢大臣は、”女性は産む機械である” と発言していないばかりか、そのような考えも全く持っているようには聞こえなかった。

 そもそも、出生率と人口との関係は、数学で表される。 だから、機械に例えるまでもなく、数字の説明だけで事足りるはずなのだが、 聞いている人の理解度が分からないので、数字だけではさっぱり、という場合もあるかもしれない。 具体例を出そうとすると、ネズミ算のようなものもあるし、製造装置に例えるというのも分かりやすい例だと思う。 ネズミ算に例えると、”人をネズミと一緒にするな!”と叩かれるだろうし、 製造装置に例えるのは、普通の感覚だと思う。 言葉も慎重に選んでいたと思うのだが、馬鹿なマスコミ相手には分が悪かったということだろう。

 お断りしておくが、筆者は柳沢大臣を擁護している訳ではない。 そればかりか、柳沢大臣は、議論のポイントを外していると考えている。 先ず、筆者が疑問に思ったのは、次の点だ。
(1)出生率の減少と、それに伴う人口の減少は悪いことなのか?
(2)人口の減少が悪いことだとする根拠は何なのか?

 筆者は、人口はもっと減少すべきだと考えている。 今までの人口の増加が社会に良いことをもたらしたと云えるのだろうか? 筆者には、悪いことしかもたらしていないように見える。 例えば、自然破壊だ。 人口が少ければ、それだけ、自然破壊する量は少くて済む。 例えば、日本とオーストラリアを比較してみれば良くわかる。 今の人口の増加は、自然破壊だけでなく、貧富の差を拡大し、難民を増やし、エネルギを食い尽くす。本当に良いことなのか? 人口の増大は、破滅を早めるだけではないのか?

 今、騒がれているのは、出生率の減少に伴う、高齢化という一時的な現象だけではないのだろうか。 高齢化すれば、年金システムが破綻する。 そんなことは、年金制度発足の当初から分かっていたことだ。 年金の発足時に、年金保険料を支払っていない人が、 次世代の人が納めた年金保険料を受取って自転車操業のシステムを作り上げた。 自転車操業が続くのは、社会変化がないか、または、人口が増加する場合だ。 即ち、年金システムに流入する資金量が、年金システムから流出する資金量より多いか同等かであれば、 そのシステムは維持できる。 これは、小学生でも理解できることだろう。 現在の年金制度は、こんなことも分からない頭の悪い人がでっち上げたものなのだ。 そして、資金が足りないから、それに辻褄を合わせるために、出生率を上げろ、という本末転倒の議論をしている。 人々もこんな馬鹿なことに騙されるはずはないと思っていたが、 煙草問題の騙しと一緒で、嘘も継続すると真実のように感じてしまうのだ。

 さて、百歩譲って、人口増加が正しい方向であるとして大臣の議論とその批判を検証してみたい。

 柳沢大臣は、女性を生産装置に例えたことになるので、子供はそこで製造される製品に例えたことになる。 女性の人権を云々する前に、生まれてくる子供の人権はどうなのだろうか? 云うまでもなく、子供には生まれるという自由意志はない。 子供は、ときには親の希望で、ときには親の身勝手で生まれてくる。 自由意志の無い弱者こそ保護すべきではないのだろうか。

 マスコミは例によって、大衆受けする論調だけを強調する。 騙されて聞いているほうもどうかしている。 どうせ叩くなら、”子供が工業製品であるとは何事か!”と叩けば良いのだ。

 今回の問題で一番困ったことは、社会全体でのいじめの構造になっていることだ。  大臣なんて最も強いようでいて、大衆の前に放り出されると弱い。 例えば、プロボクサーが喧嘩できないのと同様に、大臣は、一般の人相手には、暴れることができないのだ。 このように、弱い立場にあるものを、マスコミを中心として社会全体でいじめる。 これは、学校でのいじめと何も変わるところがないのだ。 しかも、そのいじめには正当性がない。 言葉尻を捉え、それを歪曲するというのは、煙草擁護派がよくやる手だ。 このページだって、無名だから態々いじめに来ないが、有名になったらこのようないじめが来るだろう。

 弱いものを、不合理な理由で、よって集っていじめる、しかも、それがいじめであることに気付かない。 21世紀も始まってからそんなに経たないのに、もう世紀末の気分だ。

日本共産党

2007/04/23
統一地方選挙が始まった。選挙戦の結果がどうなるか、興味が無いわけではないが、 結果がどうなっても社会はあまり変わらないだろうと考えている。 信念で政治を変えようという人が出てこないからだ。

昨日、共産党候補者の選挙事務所から、選挙応援の電話があった。 面倒なので、こういう電話には、激励して切ることにしており、 今回もそうして切ろうとした。 しかし、この事務所の応援員は、そんな気も知らず、延々と話し続けた。 もういいかげんにしてくれ、電話を切ろうにも話し続けるのでどうしょうもなかっ た。更に、”庶民”の福祉がどうだとか、金持ち優遇税制とか、云い始めたので、 さすがの筆者もうんざり、文句を言い返してしまった。

”貴方の云う庶民とは何ですか?”
”え?....(詳細は忘れたが説明は少しも要領を得なかった)”
”それなら、庶民などと漠然とした、人によって定義の異る用語を使わずに国民と云えばいいでしょう!”

”1兆8千億円の増税が...(長い。いいかげんにしてくれ!)”
”あなた、この区の住民の年収をご存知なんですか?たった国民一人あたり1万何千円かの増税でしょう。 ここの区民は、住民平均(高齢者なども含んで)で、 500万円以上の年収があるんですよ。平均したら、実際には一人あたり、(年間)2、300万円は税金を払っているでしょう。 そんな数字何てことないですよ!”
”え?それなら(年収)1千万円以上ですよね...”
”そんなことも知らないんですか!あなたは、そういう勤労者から金を巻き上げて、 働かない人に施しをしろと云っているんですよ。”

”この区に住みたくても住めなくなる人が...”
”住めないなら、もっと生活費の安くて済むところへの移住を支援すればいいでしょう! 自分の希望を叶えるには努力が必要なんですよ!私なんか、もう何十回も引越ししてますよ!”
−以下省略−

いや、書いているのもくたびれる。 以前に、”発煙者は本当に優良納税者か?” と題して書いたところでは、税金の例を示している。 ある程度納税に貢献している人から見れば、累進課税を緩和してほしいはずなのだ。 本来であれば、このような納税格差を無くすために、教育を充実し、多くの人が立派に勤労して、 納税に貢献するよう支援しなければならないはずだ。 こうすることによって障害がある人に支援する財源だって出てくるし、 国全体も潤うようになる。 福祉を充実させるためには、競争力のある人材を育てていかなければならないはずだ。 それを、金のある人から税金を巻き上げて、自己責任で貧しい人たちにも施しをしろ、 というのは、本末転倒であって、障害のある人を除いて 、皆が平等に税金を払えるよう支援することが政治として必要なはずだ。

庶民、と聞いて思い出すのは、たばこや酒の税金が上がったときに、 ”庶民のささやかな楽しみを奪うのか”という、マスコミに先導された声だ。 そんなに苦しいなら、たばこになんか金を使うべきではない。 酒だって飲まなければいいのだ。それが楽しみなら、自力で頑張ってできるようにするのが原則だ。 働く機会が得られないのなら、働く機会を増やすような政策を提案すればいい。 そういう提案には大賛成だ。 今のように、人件費を節約して私企業の利益を上げるというようなことは、公共の福祉に反している。 共産党だったら、”私企業の利益を下げて雇用を増やせ!従業員を低賃金でこき使うな!” などと訴えれば、本来の目的に適うはずだ。それを、金持ち優遇税制(税金を多く払うのに何故優遇なのか?) とか馬鹿なことを主張するから不支持者が増えるのだ。

以前にも書いたのだが、筆者には支持政党はない。共感できればどの党だって応援する準備ができている。 与党も野党も問わない。日本共産党にだって、何度も投票したことがあるし、 上層部には素晴らしくいい人材が居ると思っている。 以上は、共産党嫌いの罵りではなく、激励なのだ。本当はもっと頑張って欲しいと思っている。

”庶民”という用語は、イメージ先行型で、こういう連想誘導型の騙しは、たばこと同じ、百害あって一利ない。 日本共産党は、具体的な政策を提案してこそ活躍していけるはずなのだ。

以上

自力で奪い取れ

2007/05/06
 前回、4月23日付けで、”日本共産党”と題して書いた(この上のコラム)ときに思い出したことがある。  今回はこれについて補足したい。
 日本共産党の主張の中で、最もいただけないと思ったことは、  努力して自分で得よ、という発想がないことであった。 弱者を守るという主張は当然のことであるが、本当に大切なのは、出来る限り、弱者を弱者でなくすることだ。 本当の弱者は障害のある人たちであって、障害のない人は、弱者にならないよう手助けするのが、 本来行政としてすべきことなのだと考える。 どこかで道を踏み誤って、一旦弱者になってしまったら、弱者だから税金を投入して救済しろ、 という発想は間違っている。 道を踏み誤っても、自力で再生できるよう、社会全体で支援する体制をつくることこそ本当に必要なことだろう。 ところが、日本共産党の場合、多少の強者から税金を奪い取って努力しない者にまで施そうとしている。 そんなことをやっていたら国力がどんどん下ってしまいには国家が潰れてしまうだろう。

 今回のタイトルである、”自力で奪い取れ”というのは、あまり相応しくはないが、 世界最大のプロレス団体である、WWEで良く使われるフレーズである。 WWEは、かつては、WWF(World Wrestling Federation)と名乗っていたが、 何年か前に、最後のFederationをEntertainmentに変更した。 おふざけの要素を強調した感じである。同団体は、ブラックジョークのようなものから、 不道徳な話題まであり、背景を理解してから見ないと不謹慎な面ばかりが目に付き、不適切なショー になってしまいそうだ。しかし、現実には、努力して成功する、という米国の姿勢が良く表されている。
 WWEの王者になるには、強ければ良いというものではなく、見ている人を惹きつける魅力 (または、嫌われる魅力)が必要だし、演説ができなくてはならない。 そして、他にはないキャラクターを演じられなければ、決して王者にはなれないのだ。 王者に上り詰めるには、相当な才能と努力が必要だということは、注意して見ていれば良く分かる。 だから、王者になると、チャンピオンベルトを高く掲げ、"If you want some, come (and) get some!" などと云うのである。 これは、英語のキャプションが出ている訳ではないので、聞き間違っているかもしれない。 括弧内に書いたandは、言っているような気もするし、言っていないような気もする。 付けたほうが英語としては良さそうな気もするが、良くわからない。 しかし、いずれにしても、言いたいのは、”自分は、努力してこのベルトを手に入れたんだ。 これが欲しいなら努力して自力で奪い取れ!”といったところだろう。 これは、人が生きるためには最も大切な基本だと思う。日本共産党に抜けているのはこの部分である。

 何故、今回このようなことを書いたかというと、 この、"come get some"の精神のない人が目に付くからだ。 カネがないのに煙草を吸ってだらだらする、挙句の果てには仕事も無くなって.... というようにしか見えない人が目に付きすぎる。 かつて話題として取り上げた、某テレビ局の”愛の貧乏脱出大作戦”で、貧乏している人は、 殆どこのような人たちだった。 現代社会では、相当に強い精神力がないと、戦力外に陥ってしまう。 このような社会が良いわけではなく、戦力外にならないような、政治的な支援が必要なのだ。

 日本共産党は、野党として、そのような仕組みを提案しなければならない。 そうしなければ、決して一流の野党にはなれない。 社会党が凋落したような、同じ道を辿ってはならないのだ。
 また、このことは与党にとっても同じことで、人々が勤労の義務を果たせるような国家の仕組みを作らなければ、 現在の二極化は益々進み、住みにくい社会になっていくだろう。 障害があって本当に勤労できない人を支えるには、勤労できる人が全員で勤労しなければならない。

 禁煙化が進み、政治的な金銭支援を待っている煙草関係者などに対しては、 自力で生きる道を付けてやらなければならない。金銭補償など論外のことだ。

以上

赤ちゃんポスト

2007/05/16

普段はこんなに早くニュース記事に反応することはない。 しかし、今回は早速考え込んでしまったので、自分の考えをまとめる意味で書いてみた。
ウェブで下記のような記事が目に付いた。

慈恵病院赤ちゃんポストに男児 初日、父親に連れられ

5月15日16時12分配信 産経新聞

 親がさまざまな事情で育てられない新生児を匿名で受け入れようと、熊本市の慈恵病院が設置した国内初の「赤ちゃんポスト」 (こうのとりのゆりかご)で、運用を始めた今月10日に3歳ぐらいの男児が預けられ、保護されていたことが15日、分かった。 男児の健康状態に問題はないという。 男児が預けられたのは設置からわずか3時間後。病院側では新生児の受け入れを想定してポストを設置しただけに今後、 議論を呼びそうだ。

<以下省略>

赤ちゃんポストを設置するという記事を読んだのは、何週間か前のことだったと思う。 まさか法治国家でそんなことがあり得るのかと驚いた。そして5月15日に運用を開始したところ、 想定外の3歳児がそこに捨てられたのだという。さて何が問題だったのか。

上に紹介した記事の抜粋を読んで頂いた方は既に気付かれたかもしれない。 このページを読んでいる方は、ハイレベルで、常に勉強を忘れない方ではないかと思う。 だから、筆者の考えそうなことは既にお見通しのことだろう。

お考えの通りで、この記事の焦点が親に当たっていることが問題なのだ。 本来保護されるべき法益は、子供の人権であり、親は二の次であるはずなのに、 親の側からの都合しか読取ることができないのだ。 この点は、以前にこの上のほうの記事で書いた、 的外れな議論といじめというところでも書いている。 その記事では、柳沢大臣の発言に触れて、女性が産む機械だという議論に対してではなく、 子供が工業製品に例えられることのほうがよほど大きな問題ではないかと書いた。 今回の記事も、冒頭から、”親がさまざまな事情で育てられない新生児を”と書いてある。 そうではなく、”親の身勝手で捨てられてしまった子供を”と書くべきなのだ。 選択の余地のない子供は、真っ先に保護すべき対象であるが、親の保護は論外である。 本来なら、保護責任者遺棄で、罰しなければならないはずだ。 それよりも状況によっては、不作為による殺人未遂を適用するべきではないのかと考える。 ところが、この世は、犯罪者には甘いのだ。 赤ちゃんポストというのも犯罪者側を見過ごす措置であって、本来の弱者保護からは遠くなっている。 本当に弱者保護をするのであれば、匿名ではいけないのだ。

この問題は、煙草の問題と本質は同じなのだ。 煙草の被害を受ける側の議論よりも、煙草で害を与える側の保護を最優先し、被害を放置している。 保護すべき対象が逆になっているのだ。 煙草の被害に遭っている人よりも煙草を消費する側の都合を優先することと、 捨てられる側よりも捨てる側の都合を優先するのとは全く同じ発想である。

繰り返しになってしまうのだが、煙草の問題を放置するような世の中だからこそ、 重要な問題を放置し、守るべき法益を守れないのだ。

以上

新聞社の責任

今までにも度々報道のあり方の問題を提起してきている。 どうして報道は、煙草の問題を隠蔽し、煙草被害を増進するのだろうか。 今までずっと、資本主義に則り、カネのために、煙草のように人を傷付ける商品を販売してきたと考えてきた。 しかし、この上にある、”日本共産党”や”自力で奪い取れ”を書くうちに、 煙草が社会主義の遺物であることにも気付いた。 考えてみると、現社会主義国や旧社会主義国のほうが発煙者が多いようだ。 例えば、欧州で煙草の対策が遅れているのは、どちらかというと東側諸国だ。 また、北朝鮮もそのような傾向があるようだ(知らないだけでひょっとしたら禁煙が進んでいるかもしれないが)。 以前、煙草が協調心を煽ったり、洗脳に使われてきているのではいか (タバコと没個性参照)、と書いたことがある。 こういう活動に効果があるのは、独立心を尊重する国家ではなく、 個性を殺したい社会主義国家のほうが適役なのだろう。

さて、”報道の責任”、と敢えて書いたのは、気になるアンケートを見付けたからである。 それは、朝日新聞のウェブサイトであった。

タクシー全面禁煙化、あなたはどう思いますか? (05/08) - http://www.asahi.comから

(質問)
全国各地でタクシー全面禁煙化の動きが加速していますが、あなたはどう思いますか?

(選択肢)
  1. タクシーのなかぐらい喫煙したい   
  2. 喫煙者だが、仕方がないと思う   
  3. 非喫煙者だが、全面禁煙は行き過ぎだと思う   
  4. 禁煙化の早期実現を望む
筆者注:
これは、クリックして投票するアンケート形式であり、上記に書いた(質問)及び(選択肢)という表記は、 元にはなく、筆者が付けたものである。 また、同様に選択肢の番号も筆者が勝手に振ったものである。

このアンケートを見て、このページの読者の誰もが最初に感じたのは、 この新聞社がタクシーの禁煙化に反対しているという意志を読取れることだろう。 特に説明の必要もないのだが、それは、選択肢の中に明確に読取ることができる。

先ず、最初に、”タクシーのなかぐらい”とあるところが真っ先に目に付く。 気分を害する最悪な選択肢だ。 真の問題は、喫煙ではなく発煙である、ということだ。 客がタクシーの運転手に、自らの発煙を我慢させて良いという根拠などどこにもない。 タクシーは、人を移動させるサービスであって、発煙させてカネを取るサービスではないのだ。 それを、タクシーのような閉ざされた空間の中で、客なら発煙して、運転手に我慢させるのが当然だ、 という傲慢な主張が最初に来るというのは、この新聞社の見識を疑うしかない。
また、”ぐらい”と来れば、それに続くのは、”気持ちよくさせてくれ”、というのが普通の考え方だ。 態々高い金を払って、何で煙草の悪臭を我慢させられなければならないのか、 というのが普通の優良な客の考え方だろうし、発煙者ではない運転手は、 ”タクシーの中ぐらい我慢しろよ”と考えるだろう。

次は、"喫煙者だが、仕方がない"とバランスを取っているように見せているが、 これは、完全なポーズである。その証拠に、"非喫煙者だが....行き過ぎだと思う"と続いている。 この2つは、対立の構図−煙草利害関係者の策略− で論じた内容そのままである。

最後に、"禁煙化の早期実現を望む"という選択肢がやっと見える。 本来、真っ先に置くべき選択肢だが、これを最初に置くと、 他の選択肢を見ずに選ばれてしまう。 また、それ以外の選択肢を選ぼうと考える輩の出鼻を挫いてしまい、 そのグループの回答が減ってしまう。 こうして、禁煙派が結果として増えてしまうのだ。 このため、他の選択肢を先にしたと解釈するのが妥当なところだろう。

この結果は、途中経過しか見ることができなかったが、 その時点では、この新聞社の意図に反して、最後の選択肢が圧倒的多数で支持されていた。 また、先程結果を見てみると、順に、565票、410票、417票、4087票、となっていた。 タバコ擁護派の組織投票があったのだろう。 とても実態を反映しているものとは思えない。 実際は、禁煙派が99%位ではないかと思う。 上記の姑息な手法と相俟って、擁護派が台頭したがそれでも10%程度であった。

朝日新聞社は、昔から、"アカヒ新聞"などと揶揄されるくらい左寄りであった。 上記のアンケートは煙草会社の圧力によるものか、或いは、煙草農家の支援のためか分からないが、 どちらにしてもこの新聞社は、煙草問題の解決を嫌い、妨げている。

以上

追伸: 朝日新聞とバランスをとって、次は読売新聞を少し持ち上げる予定です (その後変な記事が出たら止めますが)。

わき見運転の報道に見る各社の態度

2007/07/14

少し古い記事であるが、5月8日に、山陽道でマイクロバスの横転事故があった。 それに対する報道で気になることがあったので、書くことにした。 前回予告した通り、読売新聞を少し持ち上げる内容である。 しかし、少し間をおいていた間に、多くの記事が失効してしまっていた。

このニュースが気になったのは、5月9日の朝だったと記憶する。 NHKのニュースを見ていたら、”たばこを取ろうとして”という見出しがあった。 内容を聞いていたら、それは、上記の横転事故の原因のことであった。 その後、フジテレビを見たら、その見出しは、”ものを取ろうとして”に変えられていた。 フジテレビはどうしてもたばこを悪者にはしたくなかったらしい。

それで、気になって、ウェブでいくつかのサイトを調べてみた。 すると、”たばこ”と明言していた新聞社と、それを隠していた新聞社があったが、 大勢は後者であった。大手の新聞社で、たばこと明言していたのは、読売新聞であった。 下記に、アウトラインの紹介する。 但し、冒頭に述べたように、既に多くの記事が失効しているため、 全部を紹介することはできないが、読売と朝日は、同じ時に集めた記事である。 先ずは、ヘッドラインを紹介する。

たばこ取ろうと脇見…広島のバス横転でトラック運転手

 広島県三原市の山陽自動車道のマイクロバス横転事故で、バスに追突した大型トラックを運転し、  逮捕された鈴木和孝容疑者(61)(宮崎県都城市)が広島県警高速隊の調べに対し、  「たばこを小物入れから取ろうとして、前をよく見ていなかった」と供述していることがわかった。
-以下省略
(2007年5月9日13時41分  読売新聞)

山陽道でバス横転 乗客1人死亡、20人重軽傷 広島


 8日午前9時25分ごろ、広島県三原市八幡町の山陽自動車道上り線の三原久井インターチェンジ(IC)付近で、 21人乗りのマイクロバスが大型トラックに追突されて横転した。 県警と市消防本部によると、バスに乗っていた男性1人が死亡、1人が重体、19人が重軽傷を負った。 県警はトラックを運転していた運送会社「湯浅運送」都城支店(宮崎県都城市)の運転手、鈴木和孝容疑者(61) =同市=を業務上過失致傷の疑いで現行犯逮捕し、容疑を業務上過失致死傷に切り替えて調べている。 調べに対し、「わき見をしていた」と供述しているという。
(以下省略)

(2007年05月08日21時47分 朝日新聞)

「物を取ろうと脇見」 追突トラックの運転手が供述 |エキサイトニュース

... 1人が死亡した事故で、逮捕されたトラック運転手鈴木和孝容疑者(61)が県警高速隊の調べに 「物を取ろうとして脇見をした」と供述していることが8日、分かった。 ... [5月8日] <山陽道事故>バス横転で1人死亡、 ...

http://excite.co.jp/

ヘッドラインをご覧になってすぐに分かることは、この事故の原因は、運転中のたばこにあることである。 このことを、読売新聞は明確に書いているが、その他は意図的に隠している。 報道機関が煙草問題の隠蔽工作を手助けしている証拠が明確に示されているのだ。 何故か読売だけが、隠蔽工作に加担していないのは、同社が煙草の問題解決に取組んでいるのか、 或いは、煙草会社がスポンサーにならなくなっているのか良く分からないが評価できる。 以上の中で一番良心的である。

たばこによるわき見運転の要因には、何があるのだろうか?思いつくものを下記に挙げてみた。

  • 煙草を探していた
  • ライター等の点火器具を探していた
  • 点火器具を戻そうとして見た
  • 発煙していてぼうっとしていた
  • 煙草の火が落ちた
  • 煙草を手から落した
  • 灰皿を探した
  • 灰皿の中を見た
  • 灰皿を開けた
  • 灰皿を空けたら中身がこぼれた
  • 副流煙が自分にかかるので対処していた

以前、運転中の携帯電話が危険だということで、明示的に禁止されたのだが、 ”何故か”発煙だけは、対処されずに残っている。態々”何故か”とダブルクォートで括ったのは、 理由が明確に推定できるからだ。

若しも、全ての報道機関が、交通事故の原因を今回の読売新聞やNHKのように明確に報道したら、 世論が”運転中の発煙を禁止しろ”、 となることは明らかだろう。 わき見運転の中に、たばこ関連のものが、どれくらいの割合で含まれているかを見れば良いのだが、 このような、煙草販売にとって都合の悪い事実は、隠蔽されているのだ。 警察ぐるみ、行政ぐるみ、立法ぐるみであろう。 あるいは司法ぐるみにもなるのかもしれないが、司法は具体的事例についてしか、 裁くことができないので、今のところはそのようなことはないだろうが。

最近、読売新聞は進化が見られるがその他はまだまだだ。 煙草問題の隠蔽工作に加わる報道機関は、不正行為に加担しているのだということを認識しなければならない。

以上

北欧を旅して

2007/10/08

 9月の上旬、北欧諸国のうち、デンマーク、ノルウェー、スウェーデンを観光旅行した。 自分でアレンジするのは大変なので、パック旅行ではあったが、それはそれで別な楽しみもある。 決して贅沢旅行ではなかったが、かといって貧乏旅行でもなく、楽しいものだった。
これらの諸国のうち、ノルウェーは、イタリアが完全禁煙化を実施した頃に、同じく完全禁煙化した国である。 スウェーデンは、これより少し遅れて禁煙化し、北欧諸国のうち最後に残ったデンマークも今年の8月15日に禁煙化された。
 デンマークの禁煙化については、発煙者が比較的多いお国柄だったため、 デモなどの抵抗があったと地元新聞社のウェブサイトに書いてあったが、少し遅れて実際に訪問してみると、 問題は特に発見されなかった。 自分の見た限り、これらの国では、屋内禁煙化が完全に達成されていると云って良いと思う。 状況について紹介したい。

 これら3国での禁煙状況に差は感じられなかった。
 特筆すべきなのは、ホテルも禁煙室が多いことであった。 これらの国ではデフォルトで禁煙室で、特に指定しない限りは禁煙室になる。 部屋がタバコ臭いということは無かった。
 ホテルのロビーやレストランの室内も完全と云って良い。 上記のデンマークの地元新聞には、禁煙法の隙間を突いて、部屋を仕切り、 禁煙の縛りを逃れようという試みがあると書いてあったが、その類のものは確認できなかった。 酒類を提供するのが主目的のバーに行かなかったためかもしれないが、これは嬉しい発見だった。
 途中、コペンハーゲンからオスロまで、船で移動したのだが、これがまた素晴らしかった。 レストランやロビーだけでなく、各客室船内まで全てが禁煙、船室内 に発煙場所は1箇所だけだった。 残念なのは、1箇所とは云っても船内に発煙場所があったことと、 室外では発煙が禁止されていなかったことであった。船室外 の発煙場所も限定されていれば更に良かったのだが、それは現状では望み過ぎなのかもしれない。 フィヨルドを巡る船は、全部ではないと思うが、デッキも禁煙だった。 お陰で、良い景色をずっと楽しむことができた。

 以上のような状況だったので、物価が高いことを除けば、特に快適な旅であった。 北欧は、煙害から逃れて寛げる空間として、皆様にもお勧めしたい。

 煙害の情報だけでは面白くないので、観光についても紹介しておきたい。
筆者が訪問した国ではいずれも自国通貨が使われている。 デンマークとスウェーデンはEUに加盟しているが、通貨は統合されていない。
 物価はどこも日本と比べてかなり高い。 オスロではセブンイレブンでペットボトルの500ccの水がおよそ600円もしたのには参った。 物価は概ね日本の3倍程度と考えて良いと思う。 食事をすると安くても3,000円程度は覚悟したほうが良い。
 クレジットカードを使えるところが多いので、現地通貨はあまり必要ないと思う。 万一の場合はクレジットカードでキャッシングしても、日本の銀行で両替するより得な場合もある (大抵はそのほうが得だろう)。
 見所は、文化遺産よりも寧ろ自然遺産で、フィヨルドなどが美しい。 文化遺産も素晴らしいのだが、西欧と比較すると少し寂しかった。 これは、カトリックが普及していないためではないかと思う。 西欧の素晴らしい文化遺産には、カトリックのものが多いので、 カトリックの少い国では、残念ながら文化遺産は少なめになっているようだ。 勿論、イスラム教や仏教などキリスト教以外の宗教でも素晴らしい文化遺産が多くあるので、 キリスト教至上主義という立場ではないことにご注意ください。
 北欧諸国の治安は良く、怖い思いをしたことはなかった。 しかし、こそ泥は増えてきたそうだ。
 最盛期は6月から8月の間だが、シーズン中はとても混み合うということだ。 シーズンは若干外れるが、9月が良いのではないかと思う。 9月でも暗くなるのは8時前後なので、一日は長く感じた。
 社会保障が充実した国であるが、それだけに、社会主義的な生産性の低さは感じた。 デンマークでは失業しても最適補償があり、困らないそうだ。 その代わりに、税金は極めて高い。外国に持っている資産にまで固定資産税がかかるということだ。 だから、年金暮らしになると別の国に移住したりしているそうだ。 別の国に住んでも年金を受け取れるというのは良いシステムなのだろう。

 日本から見ると、自然環境は随分と異る。 北海道よりも北にあるところが多いので、冬場の日照時間は短い。 冬になると朝から晩まで暗かったり、逆に夏になるとなかなか日が沈まなかったりする。 また、フィヨルドのような海は、神秘的でもあるが、毎日見ていたらどうなのだろうか。 意外に、ムンクの絵のように、憂鬱になるのかもしれない。 しかし、観光シーズンの自然は素晴らしいのだ。

 食事は日本と共通する部分がある。 例えば、鮭、鯖、鱈、鰊のような魚が好まれている。 調理方法も日本人の口に合うものだと思う。 鯖の燻製などは、日本でそのまま売っても好まれるだろうと思う。 また、ノルウェーの市場では、鯨肉も見たし、甘海老も大量に積まれていた。 食事の違和感は感じなかった。ヨーロッパでありながら日本と食文化の共通点があるようだ。

 北欧の人々を西欧の国の人々と比べると、幾分おっとりとした感じに見えた。 外国からの侵略が少なかったせいだろうか。こういうところも日本と共通点かもしれない。

 禁煙化したこれらの国を見て思ったことは、人々はすぐに禁煙に慣れるということだ。  最初から禁煙化されていれば、発煙者だってどうってことないのではないか。 禁煙でないところを探して発煙するだけのことだ。 そんな当然のことを感じてしまった。 短い滞在ではあったが、禁煙化後1ヶ月も経ていないデンマークだって、発煙で騒ぎになるところを見ることも無かった。 おそらく、日本だって完全禁煙化を達成すれば、発煙者自身の混乱は意外に少いかもしれない。 勿論、煙草利害関係者が、混乱を扇動することは目に見えているが。 イタリアだって、禁煙化当初は混乱がありそうなことが予言されていたが、 時間が経ってそれが日常になってしまっていることは、この年末年始に確認済みだ。

 日本に戻ると、禁煙化に程遠い現実が待っていた。 都心に住んでいても、完全禁煙のところの選択肢は多くないというのが現実だった。 日本で完全禁煙化されることを夢見ながら、また禁煙の国を旅することを楽しみにすることにしよう。

以上

滞納問題

2007年11月11日

我ながらルーズでお恥ずかしい限りだが、自分にはしまった場所を忘れたり、 したこと自体を忘れてしまう悪い癖がある。 本稿についても、5月に書いていたものをすっかり忘れており、最近発掘された原稿である。

 (今年の5月時点で)最近、保育料の滞納問題があるということを知った。 自分が見た報道では、全貌が明らかになっていなかったが、 給食費の滞納額約22億円よりも更に大きな額になるのだという。 こういう問題を見るにつけて、社会の先が思いやられてしまう。
 この滞納問題を分析すると、煙草の問題との類似性が見えてくる。 この中には、重大な2つの問題がある。

 ひとつは、踏み倒す側の問題、もう一つは、踏み倒される側の問題だ。
 前者については、そのテレビ番組の報道によると、 ”住宅ローンがあり支払えない”、”子供の塾費用などに出費して支払えない”、 ”他にも滞納者が居るのになぜ自分にだけ払えというのか”などと言訳したり、 居直ったりするのだそうだ。 これは、ウケを狙った番組でもあるので、100%信頼していいのかどうか分からないが、 経験的にはそのようなものだと思う。

 後者については、その番組を最後まで見ていなかったので、 報道したかどうか未確認だが、多分あまり議論しなかったのではないかと想像する。 自分が考える問題は、滞納者を放置する姿勢である。 その番組によると、滞納額は、税金で補填されるということだった。 つまり、費用を回収する側に危機意識がなく、滞納されたってどうでもいい、 という深層心理が働き、重要な回収業務をサボったと見ることができる。 そして、さらに大きな問題として社会全体が、無法者に対して寛大になっていることがある。 たとえば、これが個人の飲食店の問題だったら無銭飲食として、警察に突き出される。 給食費の滞納は、まさしく無銭飲食なのだが、公務員は職務怠慢を実行し、問題を放置しているのだ。

 さて、煙草の問題との相似性について考察してみる。
まず、ルールを破る側の違法発煙者の場合の言訳は、”ここで吸ってだめだったらどこで吸えばいいんだ”、 ”他にもやってるやついるだろ”などだろう。 書いてみると、保育料や給食費を踏み倒す者と、違法発煙者は全く同じ言訳をしていることが分かる。

 取締る側にしても、逮捕したところで、騒がれても面倒だし、褒められるわけでもないし、 放っておいても、怒られるわけじゃないし、楽なほうにしよう、というようなものだろう。 発煙者である公務員に至っては、積極的に放置しているだろう。

 煙草の問題も踏み倒しの問題も根は全く同じである。 踏み倒しのほうは、テレビで騒がれたので、多少力を入れるかもしれないが、 忘れられたらそれでおしまいだろう。 そうやっていくうちに、時効を迎え、踏み倒した側は無罪放免になる。 こうやって、世の中はどんどん悪くなっていくのだ。

 では、何故このようになってしまっているかというと、 それは、取り締まるべき側がこのような問題を重要と考えず放置することによって、 結果として無法者を製造していからである。 以前にも書いたが、多くの発煙者は、良いか悪いかではなく、 自分が罰せられるかどうかを基準に行動している。 同様に、滞納者の場合も、強制執行されるかどうかが行動の基準になっている。

 日本政府は残念ながら無法者に寛大なのであり、 これが世の中を悪くしているのだ。 煙草のような怪しい商品が堂々と売られているような位なのでしょうがないか...

以上

最近の話題から

2007/12/24

今日はクリスマスイブになる。 明日のクリスマスは、キリストの誕生日ということだけでなく、キリスト教の歴史の始まりの記念日でもある。 キリスト教は、音楽、美術等に大きな貢献を果たしてきた。 宗教的なことは別にして、それだけでも感謝しなければならない日だ。
しかし、日本では、クリスマスが何の日か知らない人も多いという。 それにしても恥ずかしいことではあるが...

今回も、最近の話題からいくつかを取上げてみたい。


学力低下

日本の小中学生の学力が下がってきているという。 それを気にして、カリキュラムを変えたり様々な改革が為されるという。 確かに、このところの小中学生に限らず大学卒の人を見ているとこの数十年で学力が相当落ちたことを感じる。 学力低下は今に始まったこととは到底思えない。
何を改革したら良いのだろうか。 自分は、小中学生の教育カリキュラムの改革よりも、親の再教育が最も効果があると思う。 学校で勉強し、働いてからも勉強を続ける親に育てられれば子供も学ぶことは多いだろう。
子供の学力を云々するまえに、勉強し続けなければ社会的に上がっていけないしくみを作ることが重要だ。 今のように、受験勉強が終わったら何もしないという人が大勢居る社会を変えることこそ 最初に取組むべき課題なのではないだろうか。

年金問題

年金問題も、一旦騒がれてからまた時間を置いて再燃してきた。 宙に浮いた年金記録を無くすとか言っていたのが、実は不明なままのものが相当な件数に上るらしい。 具体的な数字が上がっていたが、それも実は控えめな数字で、実際はそのン倍になるのではないかと想像できる。
それにしても、気にしなければならないのは与党自民党の態度だ。 福田首相に至っては、そんなこと言ったかな...という程度の反応でしかない。
問題は言った言わないではない。 その程度にしか思っていないあなたたちの態度が問題なのだ。 分かっていてしらばっくれているのではあろうが。

二つの問題を書いたが、重要なことは、責任を取らせるしくみがないことだ。 学力低下の責任は誰なのか。 私は、総責任は親にあると思う。第二責任者は学校の教員だろう。 しかし、世論は誰の責任か分からないような扱いである。 同様に年金問題の第一責任は、社会保険庁の職員にあるのに、本人は何の責任も取らせられない。 職務を遂行することで、報酬を得ているのに、職務を正しく遂行せず、 サボタージュした人が責任を取らされず、結局は年金不払いか税金で責任を肩代わりすることになる。 このような、無責任体質が一番の問題なはずだ。

無責任体質の最大は煙草産業、煙草行政だろう。 どちらも、毒を売って被害を出しているのにも関わらず、責任は問われない。 だから煙草のような悪質な商品が出回る訳だ。 上記の社会保険庁職員だって、人殺しの煙草産業よりはましだ、と言うだろう。 人を殺しても責任を問われないのだから、たかが兆円単位の年金など大した問題ではないのだ。 煙草の普及率が100%、小学生から全員が煙草を吸うという社会になれば、年金問題なんか無くなってしまう?

以上

ドイツの禁煙化

2007/12/24

何気なしにドイツYahooのニュースを見ていたら、ドイツの禁煙化のニュースが目に付いた。 ドイツ語圏は、西欧では禁煙化が最も遅れている地域のひとつだったが、これでようやく他国並みになってきた。

ウェブで得られた情報では、2007年9月から、列車、バス、タクシーなどの交通機関が禁煙になった。 また、2008年1月からは、特別な許可を得たところ以外のバーやレストランは禁煙になるという。

これでようやくドイツも安心して旅行できる国になったということだろう。 できれば今年中にドイツにも旅行してみたい。

西欧でここまで禁煙化が進んでいるというのに、日本はあとどれくらいかかるのだろうか。
テレビのニュースを見ていて気付くのは、自民党の会合の席上には必ず、(空ではあるが)灰皿が置いてあることだ。 これは、煙草のの宣伝に他ならない。 これに対して野党の会合には、灰皿を見ない。 ということは政権交代が実現すれば、禁煙化が一気に進むのだろうか。
しかし、このまま自民党政権が続くとしても、見る限り、発煙者の議員は減ってきているようなので、 禁煙化はじわじわ進んでいくと考えている。

一刻も早く煙草のない社会が実現することを願う。 2008年は、どうなってゆくのか、少しは期待してゆきたい。

皆様も良いお年をお迎えください。

以上

『象の背中』という映画を観て

2008/01/27

今年もイタリアに行ってしまった。 今回は、ベネチアだけに滞在したのだが、ベネチアは大げさに云えば街全体が美術館になっていて、 何日かけても見尽くせない位の宝の山だ。 教会をひとつづつ訪ねるだけで相当な数の絵画や彫刻に出会うことができる。 こういうものが街中のいたるところにあるので、 事前に調べがついたところだけを見たのだが、それでもかなりの時間を費やし、 充実した休暇を過ごすことができた。 勿論、レストランは勿論、屋内ではどこに行っても禁煙であった。 ベネチアのレストランはどこも美味しかった。 これだけレベルが揃っていると、事前に調べておく必要もないのと思う。

さて、今回は、移動の飛行機の中で見た映画について書いてみたい。 自分は金が余っているわけではないので、移動は当然エコノミークラスだ。 窮屈で身動きとれないので、映画を見ることにした。 その中に、”象の背中”という映画があったので、タイトルに興味を引かれて見てみた。
粗筋は、とある不動産関係の上級管理職が、肺癌で、余命6ヶ月の診断を下されるが、 延命治療を拒み、最初はそのまま働いていたが、結局退職してホスピスに入りそこで絶命するという話である。 主人公には妻と子供2名がいるが仕事人間であまり家庭を顧みることがなかった。 しかし、妻の他に不倫の交際相手もいた。 診断を下されてからは、家族と一緒に生きようとしたのだが、不倫相手も忘れられず、 結局はホスピスまで呼び出すことになった。 そこで、妻と不倫相手は会うのだが、両者とも何事もないかのように振舞うのだった。 そして、その後主人公は妻子に看取られて絶命するという話であった。
途中で、主人公の勤める会社が、陥れたという会社の元経営者に病院で出会い、会話をする。 その人も癌を患っており、あと1年の余命だということだった。 この人は、会社の倒産後家族に逃げられてしまったが、その後面会はしておらず、 余命1年でも会おうとしないのだった。 何故なら、象は死を悟ったときに、群から離れて孤独死するのだといい、 自分もそのようにしたいからだと云うのだ。 これが、”象の...”というタイトルの秘密だ。

さて、これだけ読んでみて、その映画を見ようと思う方はいらっしゃるだろうか。 ウェブで調べたところ、この映画の主題は、死を目前にしたときの愛であるらしい。 しかし、自分には、酷くチープな物語に見えた。 ストーリーの最初から最後まで、発煙者の深層心理が反映されているのだ。 主人公は当然発煙者、その友達、兄も発煙者、ホスピスの中では、 胃癌でまもなく死ぬという発煙者に出会いライターを貸してもらう。 家族と不倫相手が発煙者であるかどうかは定かではなかったが、発煙場面は見当たらなかった。
どこがチープだったかというと、まず、主人公が家族に愛を誓っているように見えて、 そのくせ不倫相手もしっかり頼っている。 妻も不倫相手もそのことを知っていながら、何も云わずに許してしまう。 何でも自分の都合の良いように解釈する発煙者の心理そのままだ。 これほど不誠実な男があっていいのか。 それを許すのが正しい愛なのか。 これだけでなく、物語のあらゆる部分に発煙者の心理が垣間見えた。 正直云って2時間以上も見てしまったのは、暇だったためだ。 テレビだったら絶対に最後まで見なかったろう。

この映画の評判は知らないが、一般的には、発煙者の間では愛と感動の物語ではないだろうか。 自分には、煙草中毒が、愛や道徳感を歪める否定的な面ばかりが見えた。 また、ウェブでブログを幾つか観ると、冷めた目で批評されているものもいくつかあった。

このページをお読みの方には、決してこの映画はお勧めしませんが、 もしもご覧になった方がいらっしゃったら感想をお聞きかせください。

以上

神奈川県の禁煙化

2008/04/17

神奈川県の禁煙化

昨日、NHKの朝のニュースで神奈川県の禁煙化を進める条例について報道していた。 主な新聞社のサイトを覗いてみたが案の定載っていなかった。 そこでウェブで検索してみると、神奈川県のページの中にもっと詳しい情報である議事録が見付かった。
神奈川県の条例では、神奈川県内は飲食店や遊技場を含め、殆どが禁煙になるということであった。 また、特筆すべきは屋外の禁煙もかなり推進していることだ。 また、この条例は、今年の末までに施行することを目標に進めているそうだ。
しかし、このような条例案には、煙草利権団体から邪魔が入っているということがウェブの検索で明らかになった。 あの赤旗でさえ、日本たばこ産業の活動を批判する記事を載せていた。 共産党は、福岡市の歩き煙草を規制する条例にただ一党反対していた党でもあり、タバコ農家を支援していたように記憶しているが、 最近は方針が変わったのだろうか。いずれにしても良い変化であることに変わりはない。

個人のことを云うと、私の勤務地は神奈川県にある。 しかし、会社の周りには、完全禁煙の飲食店が一軒も無く昼時には非常に困る。 結局近くで弁当を買うしかない毎日だ。 神奈川県の条例が施行されれば、昼時の食事には困らないし、タバコが嫌で行けなかった居酒屋だって行ってみようかとも思っている。

朝のワイドショー番組では、神奈川県の県境の人が越境するようになるとか言っていたが、 その逆に神奈川県に越境してくる人が増えるのではないだろうか。 自分だって境付近に住んでいれば間違いなく越境する。

たばこ規制枠組み条約に署名している日本は、本当であれば、2010年2月までに、 全国を神奈川県の条例のようにしなければならないはずだ。 しかし、この点には疑問を持っている。但し、神奈川県でこの条例が実現すれば、神奈川県民は誇り高いだろう。 また、たばこ規制枠組み条約が反故にされないで済みそうなので、とても期待している。 選挙区は違うが、松沢知事を応援したい。

以上

最近の書き込みにまとめて回答

2008/06/24
このところ更新をさぼっていたのだが、何故か、常連でない方々からの書込みが連続してあった。 どこかで紹介されたのだろうか。 一時的な書込みの増加なので、書込んだ本人は、この回答を読まないとは思うが、 態度を明らかにするためにここに書いておくことにした。 はじめから反対意見の人に、伝言板で直接回答するのは正直言って疲れる。 反対意見の人の99%は、ろくに読んでいないからだ。

伝言板への書込み
管理人の回答
算出方法に問題あり。
ひとこと 2008年05月31日 (土) 11時30分 No.188

icon 税収は生産と消費です。 生産がなくなるのに消費だけが伸びる訳がない。  箱、包装、巻紙、フィルター、もちろん煙草の葉。
悪性新生物患者(全て)にかかる医療費と煙草の税収どっちが多いと思います?
ひとえになくす方が良いと言うのはナンセンス。 
No.188とNo.189は、明らかに同一人物による書き逃げ的な意見です。 どちらも、具体的な意見ではなく、根拠も明確ではありません。 しかも、筆者のページのどこを読んで、どのように問題点を提起しているかも明確ではありません。

このような意見に対しては、具体的に書いてください、とお願いするしか方法はなく、今回もそのようにしました。

No.189を無理やり解釈すると、どのようなことをしても癌ができるのだから、 煙草による癌は見逃せと云っているののでしょうか? 『世の中には自殺する人ががたくさんいるから殺人犯は見逃してください』 というような奇妙な意見に感じられます。

たばこと癌について
ひとこと 2008年05月31日 (土) 11時55分 No.189

ニコチンは癌の原因です。これは間違いありません。
ただし、癌と言うものは細胞の異型性です。 よくマウスの皮膚にニコチンを塗って癌化する過程を目にしますが、 実際には火傷をしない程度のお湯をかけ続けても癌化しますし、 炭酸をかけ続けても、油を塗り続けても、石鹸水で洗い続けても癌化します。 なぜなら癌は細胞の代謝過程で発生するからです。
ひとこと 2008年06月10日 (火)10時04分 No.191

反論ですよ。  よく調べてるとは思いますが、経済効果については意義アリです。   葉、巻紙、フィルターたかが知れてるという風な感じで記載されてますが、  フィルター大手のダイセルはフィルター生産国内第二位です。医療と喫煙に関しても同じことです、  例えば悪性新生物の件数が減少=患者の減少=病院減少=雇用の縮小となるわけです。  税収が目減りする分医療費に当てられる予算が増大するとは思いませんしね。
喫煙者がよく言う事ですが、アルコールを飲んで暴れるやつがいても、 煙草を吸って暴れるいません、そっとしておいてやって下さい。
楸 2008年06月12日 (木) 20時42分 No.193

タバコを吸って暴れる奴はいなくても、タバコが吸えなくて周りに当り散らす奴や吸っているのを注意されて暴れる奴はいますよね。
それでなくてもタバコの煙は周囲に広がり周りの人に迷惑がかかります。
そっとしておきたくても、煙はこちらにズカズカ入ってくるわけです。
そっとしておいて欲しいのなら、まずは喫煙者達がマナーを守りましょう。
JTの提唱する紛い物のマナーではなく、本当に正しい喫煙マナーをね。

一応反論頂きました。しかし、相変わらず具体性がありません。

"フィルター大手のダイセルは..."と具体的っぽく書いてあるのですが、 それでタバコ用フィルターの売上は幾らで、総売上の何割ですか? そしてどれくらいの経済効果があるのですか? まさかフィルターの経済効果が1兆円なんていうことはないと思いますが、データがあるのなら是非とも見せていただきたく、 お願い致します。

また、煙草病の増大で、医療費が増えその結果医療従事者の雇用に繋がっているのだから、 煙草病万歳、とは貴重なご意見です。 いっそのこと食品にも毒を振り撒けば、 医療従事者、警察、化学分析業者、評論家と雇用を益々増やして結構な世の中になるとか。

最後の、"煙草を吸って暴れる..."というのは、別な方が見事に回答して下さっています。 筆者もこれ以上の的を得た回答はありません。 No.195の人も、タバコが無くなるとストレス増大で...という意見でした。


頑張って下さい
みこ 2008年06月11日 (水) 14時49分 No.192

妊婦の親友の目の前で堂々とタバコをふかした友人を見ました。
「タバコは人格を変える」に賛成です。普段は細やかで
常識的な人なんですが・・・・

もう、一方的に受動喫煙させられるのはコリゴリです。
タバコを吸う方はいくら吸っても構いませんが、 他人に煙を吸わせないようにして下さい。
このただ1点だけです。あとはホントご自由に。。。。

アルコールだとか他の迷惑行為とタバコを比較して 言い逃れするのは、あまりに稚拙だと思います。↓下の方。。

励まして頂いて有難う御座います。
『煙草は人格を変える』というのは筆者の持論ですが、 頭から否定しないで、よく考えれば誰でも思い当たるふしはあるでしょう。 例外を持ってきて否定する人のいることは分ります。 完全否定をしようとすれば例外を持出しても意味がないことを知るべきです。
それと、科学的に証明しろという人も居るでしょう。 こういう人達は数学や人文科学を勉強しなければなりません。

『↓下の方。。』というのは、"ひとこと"というハンドルネームの人。

水と油 2008年06月15日 (日) 08時50分 No.194

僕も妊婦の前で煙草を吸うやつは最低だと思います。
ただ他の迷惑行為と比較したのは、この板で喫煙イコール社会悪 みたいな書き方をされたからです。
煙草がなくなると社会が良くなると言うのも稚拙ですよね。
検索上位にくるような板ですのでこれからは自分の発言には注意しようと思います。
この方は、"ひとこと"というハンドルネームの方と同一でしょうか?

同様に論点が見えないのですが、 煙草をどうしたいのでしょうか? 自ら率先して迷惑煙草追放運動をするから、 煙草そのものは残したい、というのであればそのように書いて頂きたいと思います。

『煙草がなくなると社会が良くなる』というのはどこからの引用でしょうか? 煙草があることで世の中が悪くなっているとは、何度も書きましたが。 勿論、否定はしませんが、どのように稚拙なのでしょうか? 理由を書かずに非難するのは、稚拙な表現方法であると思います。
何がしたい??
喫煙者 2008年06月15日 (日) 10時07分 No.195

初めてカキコします。
喫煙=癌ならば、喫煙なくせば癌がなくなる?喫煙なくせば火災がなくなる?
喫煙者にとってはストレス増大で変な行動する奴も出るかも・・

飲酒運転撲滅で酒なくす?極論過ぎと思われ・・
喫煙者が信号待ちで車内灰皿を道路に引っくり返す馬鹿もいるのは事実。
要はマナー、他人を思いやる事が出来ないからなんだと思う。
秋葉原の事件で歩行者天国無くなると言う。んじゃそれで事件再発しない?

ブログや2チャンネルで色々カキコするが、その人には相手は人ではなくサーバーとしか思ってないんじゃ? そうじゃなきゃ罵詈雑言言えないっしょ?

禁煙エリアを拡大するのも結構!だが、喫煙エリアも確保して欲しい!一方だけ否定するだけならば何も解決しない!

と、思いつくままカキコしてみましたm(__)m

『何がしたい??』というタイトルを見てから本文を読んで も『何が云いたい?』と聞きたくなります。

『喫煙=癌ならば、喫煙なくせば癌がなくなる?喫煙なくせば火災がなくなる?』
↑これはどの部分の引用なのでしょうか?
このようなことを書いた覚えはありません。勿論、火災や癌の数は著しく減少するでしょうが。

『喫煙者にとってはストレス増大で変な行動する奴も出るかも・・』
これが問題なのだということに先ず気付いてください。煙草はストレスを増大させるのです。

『禁煙エリアを拡大するのも結構!だが、喫煙エリアも確保して欲しい!一方だけ否定するだけならば何も解決しない!』
こうした意見があるのは十分に承知していますが、その前に『煙草って本当に必要ですか?』 ということを考えてみると考えが変わるかもしれませんね。 私には煙草を肯定する理由はひとつも思い当たりません。 煙草擁護派の意見は既にことごとく否定されていると思います。 煙草が無ければ困ることって一体何でしょう?

No.195の意見を読んで面白いことに気付きました。
『 秋葉原の事件で歩行者天国無くなると言う。んじゃそれで事件再発しない?』
これを煙草の問題に読み替えると、
『煙草の迷惑があるから禁煙場所を拡大すれば、迷惑煙草は無くなる?』
→『いいえ。煙草の問題を、マナーとか気遣いとか考えているうちは迷惑煙草は無くなりません。 禁煙違反には飲酒運転と同程度の取締りと罰則が必要でしょう。』

以上

最近気になった事件から

2008/07/28

秋葉原通り魔事件

この事件は人事ではなかった。 その日、中央通り沿いの禁煙店である、てんやで昼食を採った。 丁度席が空いていなかったので、横の座席で5,6分待った後で食事をして神田方面に向かった。 神田明神通りに何やら人だかりが出来ていた。 『今日は神田祭りの日だったかな?いやそんなはずはないのだけれど。』 と思いながら進んでゆくと人が倒れていた。 自動車の破片のようなものが近くに転がっていたので、交通事故かと思ったがどうも様子が変だった。 他にも近くに2名が倒れていた。 1名は警察官で、まだ目を開けて座っていたが、 最初に見た若い男性の1名と警察官の先で倒れていた年配の男性は既に息がないように見えた。 何か非常にまずい雰囲気であることは感じられたが、何が起こったのかは分らなかった。 人だかりはあったが、誰もが言葉を失っていた。 本当の重大事件に出くわすとザワザワもないということを知った。 丁度そのとき、神田明神の方角からパトカーがやってきた。
自分もできることはないかと考えたが、既に倒れていた人は、周囲の人に介抱されており、 自分で出来ることは無かったので、邪魔をせず、そのまま通り過ぎるのが一番良いと思った。 そこを過ぎると右側の路地にも人が倒れているのが見えた。

何だか全く分らなかった。 早く救急車が来れば良いな、と思い歩いていたが、神田を過ぎても救急車が到着した様子は無かった。

三越で用事を済ませ、地下鉄で末広町駅に戻り、自宅に向かって歩いていると、 ヘリコプターが2台飛んでいるのが見えた。 自宅に帰ってテレビを付けると、秋葉原で通り魔事件が起きたことが報じられていた。 容疑者は自称暴力団員の26歳の男ということだった。 犠牲者は7人が心肺停止状態だと報じられていた。 その後、インターネットのニュースを見ていたら徐々に死者の数が増えていった。 報じられていた状況は自分が見た通りだった。

ニュースで見た映像はどれも自分が見た時点よりも後のものだった。 状況からすると、自分が通りかかったのは本当に事件の直後、5分もたっていない時だったようだ。 自分が犠牲になっても不思議ではない状況だった。 犠牲になられた方は、本当に運が悪かった。犯人の我侭の犠牲になってしまったのだ。 今でも事件の現場を通ると手を合わせてしまう。
謹んでご冥福をお祈りします。

さてこの事件で問題なのは、その他の通り魔事件でも共通の、『誰でも良かった』という点だ。 自分の気がむしゃくしゃするから事件を起こそう。 その結果誰かが犠牲になることは分っている。 しかし『そんなことはどうでも良い。自分の気がすっきりすればそれで良い』。 これは、他の全ての通り魔事件に共通ではないだろうか。

『いらいらするから煙草が吸いたい。』
『煙が不快なことは分っている。誰が犠牲になっても良い。 自分のイライラが収まればそれで良いのだ。』
通り魔犯人の言い分は、これと非常に良く似ている。煙草は社会問題の縮図なのか。


防衛コンサルタント脱税事件

またマスコミが脱税事件を取り上げている。私は脱税容疑者を非難しようというのではない。何かが変だ。

この容疑者は、相当額の脱税をしたということだ。云うまでもなく脱税は当然悪いことだ。

以前、『発煙者は本当に優良納税者か?』 と題して書いたことがある。 結論だけ書くと、煙草の税金なんて1年に僅か6万円弱で、それが重税だと云っている人は、 他の税金を殆ど納めていないのだ。

さて、脱税の違法性はどこから来るのか、というと、法令で明示的に納税義務が規定されているので、 これに違反すると、違法行為ということになる。 このような明示規定がなければ、納税の義務は最初からないのだ。 脱税は法令があるために違法行為となっている。 殺人のような、自然権を侵す重大犯罪とは異る。
しかし、上記の脱税事件は、記事から察するに、それでも相当な金額を納税しているはずだ。 1年で僅か6万円弱の煙草税が重税だと騒いでいる、即ち、他の税金を幾らも納めていないような連中が非難されずに、 既に相当な税金を納めている者が犯した脱税をこのように叩くのが社会正義になっているのだろうか? 脱税を奨励するつもりは毛頭ないが、これは何か変ではないのか? 脱税の摘発など主税局にでも任せておくだけで良いのではないのだろうか?

タバコ1箱千円論

こちらは、事件という訳ではないが、気になった報道だ。
タバコ1箱を千円程度にしようという案が真剣に議論されているらしい。 日本のタバコは諸外国に比べてバカ安だからこのような議論にならざるを得ないのだろう。
さて、本当にこの価格が実現されるのかどうか興味深いのだが、実際にそのようになったとすると、 タバコ事情がどのようになるのか考えてみた。

タバコ税だけでなくタバコ本体価格が上がる。 アホなマスコミは、上がるのが税金分だけのような報道をしているが、そんなことはあり得ない。 そんなことになったら、タバコ消費の減少分が全てタバコ会社の売上減になる。 タバコ1箱が1000円になれば、タバコの消費量は1/5位になるのではないかと思う。 これは明確な計算式がある訳ではないが、ざっと考えて予測した数字だ。 こういう不確定要素の多いものは精密に計算すればするほど、 計算の仮定が崩れて外れやすくなるので、大雑把な計算のほうが実態に近い数字になるだろう。

タバコ会社は、反対するふりをしているが、実際は大賛成だ。 放っておいてもタバコの消費は減ってゆくので、値段を上げたいが、大義名分が見つからない。 タバコ税が上がれば当然便乗値上げできる。 こうすると、販売量が減少しても販売額が下がらない、或いは上がる、という結果が期待できるからだ。 ラクして儲けるタバコ商法そのままの図式が継続される。 こうしてゆけば、タバコの消費が減ってもどんどん値上げでき、更にラクして儲けられる。 更に、販売量が減れば、発煙者も減るのでタバコそのものが叩かれにくくなる。 そうすると、咎められずに合法的なタバコ販売を継続できるというわけだ。

タバコユーザーは、富裕層だけになる。 今のように、タバコ税しか納めていないような連中は当然タバコを止めざるを得ない。 それでもタバコを吸いたければ、頑張って収入を増やさなければならない。 すると努力する人が増える。 タバコを吸って仕事したフリ、ということができなくなるので、社会全体の生産性も上がる。

タバコを吸いたくてイライラしていた発煙者もタバコを止めればイライラがなくなって穏やかになる。 代わりに家族を気遣う時間が増えて社会全体が明るくな る。

タバコが高級品になれば、そこらに吸殻を捨てるなんていうこともなくなり、ゴミを捨てる人も減る。 今までそこらにタバコをポイ捨てしていた連中も、ゴミを捨てることが悪いことなのだと気付くようになる。

気が付いてみれば、省エネ、省電力で、 二酸化炭素の排出量も減っている。

ライターなんて買わないから、放火をしようにも、面倒くさいし、 売れないライターを買うと目立つから放火もバレやすくなる。 気付いてみたら随分と火災も減っている。

思いつくままに書いてみたが、やっぱりタバコの値上げっていい事尽くめではないだろうか。 さっさと実施して欲しいものだ。

以上

虚構の世界

2008/12/13
最近更新をサボっていたので久しぶりの更新になる。 更新しなかった間にドイツに旅する機会があり、ドイツでもしっかり禁煙化されていることが確かめられた。 日本を除く先進国は、禁煙化が進んでいると考えても良さそうだ。 日本では、民間を中心に自主的に禁煙化するところが増えては来ているが、 依然として法律による強制的な禁煙化は出来ていない。 また、煙草税増税も先送りになった。 政府与党は未だに煙草で儲けられると思っているのか。 阿呆としか言いようがない。

さて、最近最も重要な話題となっていることは、金融バブルの破綻だろう。 サブプライムローンの破綻に端を発し、英国のノーザンロック銀行が昨年破綻、 今年はリーマンブラザーズが破綻、また、米国ビッグスリーも破綻しようとしている。

しかし、この破綻を良く観察してみると、当然の結果が起こっているのに過ぎない。 元々仮想の世界にあったカネは、実際の世界には無かったということに人々が気付いたということにに過ぎない。
金融資産の価値は、人々が勝手に決めているので、実態に関係なく上がったり下がったりする。 上がり続けている状態が金融バブルである。 実態に関係なく金融資産の価値が上がると、実際にないカネがあるかのような錯覚を受ける。 そしてそのカネを元手に人々が消費するので、実際にはない仮想のカネによって経済が回り続けるサイクルになる。 これが今までの好景気の実態である。 こういうお遊びは、世界全体で禁止するような措置をとらなければ、今後も世界の正しい発展はないだろう。 米国かどこかのカネの亡者の小賢しい知恵に載せられて世界全体の破滅が早まろうとしている。 最も重要なことは、景気の波の大きさを最低限にして、 景気の悪いときでも人々が破綻しないで済むような政策をとることだが、 実態は、バブルのサイクルを回して、人々を浪費させ、それによって経済が回ったかのような錯覚を演出しているのだ。

上記のような虚構の世界の、起源はタバコだろう。 タバコによって、実際にはありもしない安らぎや寛ぎが生まれるかのように宣伝して洗脳する。 そして正しい情報が簡単に得られるようになった今でも、洗脳の解けない人が大勢いるのだ。 タバコの税金を上げ、タバコの値段を上げ、こういう人々の手の届かない存在にしてしまえば洗脳は解けるのに、 哀れな洗脳された患者からカネをむしりとろうとする国家がある。

いつになったら国家に騙されない賢い人が圧倒的多数になるのか。

禁煙のお願い???

2009/05/27
もう半年以上も更新が止まっていました。 忙しかったというのもありますが、最近は、じわじわと禁煙化が進んできているように思います。 それで更新をサボってしまう癖がついてしまいました。

昨日は、北陸まで出張する機会があった。 以前は良く利用していたほくほく線特急はくたかに乗ったところ、禁煙なのにもかかわらず、 タバコのニオイと粒子が酷かった。乗務員に苦情を言ったところ、 トンネルが狭いので、排出した煙が社内に侵入してくるとのことだった。 それは云われなくても分っていることだが、今まで、被害を認識していながら放置してきたということだ。
ほくほく線は、まもなく全面禁煙になるということで、盛んに社内アナウンスをしていた。 遅すぎるという感が強い。

さて、ここで問題なのは、いまだに、禁煙化について、『ご理解とご協力を...』という説明をしていることだ。 上記のほくほく線以外でも、首都圏の駅がようやく全面禁煙になったのだが、やはり同様な説明をしている。 これは、社会全体が被害者ではなく加害者に向いていることを意味している。 本来であれば、『煙により皆様にご迷惑をお掛けしておりましたが、ようやく煙害を防止する環境が整いました...』 とすべきところだ。

日本は、犯罪者には優しい社会だと云われる。 人を一人や二人殺したところで死刑になることは稀だし、無期懲役になったって10年やそこらで出所することもある。 また、仮出所して再び殺人を犯したものも居る。 被害者の人権は絶対に回復されないのに、殺人者の人権は、運悪く 死刑になるその瞬間までは保証されている。 これは、タバコ問題と同様、加害者に優しく被害者に厳しい社会そのものを表している。

このような狂った社会をいつまで続けるつもりなのか。 政治家の発煙者もかなり減ってきたようだし、そろそろ本腰を挙げて取組んで欲しい。

第3のビールが売れている

2009/07/01

東洋経済の2009年6月27日号に、第3のビールが売れているという記事があった。 ざっと目を通すと、その理由は、不況で外飲みを控え家で飲むようになったところ、 お手頃感のある第3のビールに触手が伸びるというのがその理由だそうだ。
それはそうかもしれないが、本当にそうかな?と考えてしまった。 私が件が得る理由は、

  • 不況で財布が寂しくなったが、お酒は飲みたい
  • 試しにビール風飲料を買って家で飲んでみたら、意外に不味くなかった (生ビールと称して発泡酒を提供していたこともあったらしいし)
  • 家で飲むと他人のタバコの煙が気にならない
  • 家庭での会話も増えた
  • 外だと他人のタバコが億劫だ
実際はこんなものではないだろうか? 確かに日本のビールとビール風飲料との差ははドイツのビールと比較すれば、誤差範囲でしかないと感じる。 ドイツのちょっとしたビールと比べるとどちらも別な飲料であると感じる。 この程度の差だったらビール風飲料でいいのかもしれない。 いずれにしてもタバコの悪臭充満する場所で味を論じても意味はない。


CO2削減?


出張のとき、仙台駅のホームを眺めたら、パネルで仕切られた発煙室が目に付いた。 観察してみると、発煙室は、煙の処理装置(毒はとれないらしいが)、排気装置、空調装置から成っていた。 CO2削減と大騒ぎしているこの時代に、エネルギを費やして空調した空気を煙と一緒に捨てている。 "喫煙によるエネルギの浪費について-1 "に書いた通り煙草はエネルギ浪費の大元であり、このような報道をしない報道機関は、 騙しに加担していると考えざるを得ない。

洗脳は自力で解く

2009/07/05

こ のページも2003年の開設以来既に6年を経過している。 開設時には、煙草に対する憎しみいっぱいで書いてきたのだが、途中から冷静に見つめ直すようになると、 煙草や発煙者に対する憎しみよりも、煙草を通して人に騙すことを教え、 社会を住み辛くさせている行政や、利権にまみれた煙草会社に対して憎しみを感じるようになった。 そして、金がなかろうが職がなかろうが病気になり死に掛けようが煙草を買い続ける、 洗脳された発煙者に対して何とも表現のしようのない気持ちになってきた。

今日書くのは、筆者の趣味の世界を通じて知り合うことのできた方のことだ。 仮にBさんと呼ぶことにする。
Bさんは、筆者がある趣味の世界で、自分で主宰しているサイトの情報を読んで、自分で試してみたところ、 その効果に驚いてメールを下さった方である。 Bさんは、医療関係に従事していた方だったが、ある病を患い不治の宣告を受けたが、 奇跡的に生き残ることができたのだそうだ。 あと何ヶ月と思いながら筆者の設計のものを作られたそうだが、幸いにも再発せずお元気になられている。
このBさんは、発煙者だ。それも中学時代からという筋金入りのものだ。 一度あるところでお会いしたところ煙草の臭いを漂わせてはいなかったので、 病気を機会に止められたと思っていたのだが止めていないのだそうだ。 筆者は、その別のウェブサイトにも、煙草が良くない旨を明確に書いているので、 Bさんは、筆者が煙草嫌いのことはご存知だった。

筆者は、『煙草が人間関係を壊す』ことは良く分っていたので、煙草の件については、あまり触れずにお付き合いしてきた。 お付き合いとは云っても、実際に顔を合わせる訳ではないので、煙草の被害を受ける訳ではない。 しかし、Bさんは、自分が煙草を止められないことについて、悩んでいるように感じたので、悩みはしたが、 自分が煙草の問題に取組んでいることをメールに書いた。そしてその後1度だけ、 煙草病のデータはインチキであることを書いたがそれっきり、交信は無くなった。 このページのURLはお知らせしてらず、検索上位であることだけをお知らせし、 読む気になったならお読みくださいというようなことを書いたのみだった。

Bさんは、とても頑なに感じた。 それは、分っていたことだ。煙草を止められない人は、洗脳が解けない人だからだ。 他人が洗脳を解くのは絶対に無理とは云わないが、本人が自発的に解く以外は難しい。 洗脳を解くには、自分が洗脳されていることに気付く必要がある。 そして、洗脳が解ければ、自動的に煙草を止め、更には、煙草の廃絶を目指すようになる。 筆者やカウンセラーの出来ることは、洗脳に気付くようアドバイスするくらいのことだろう。

筆者のこのページに書いている内容は、全てが誰でも知ろうと思えば知ることが出来る内容から成り立っている。 特殊な職務についている人だけが知っているとか、余程時間を使って調べなければ分らないというような内容は一切無い。 だから、知的な人であれば、いずれはここに書いてある内容には、自身で気付くはずだ。 Bさんは、知的な職業に就いている方であり、自身の洗脳に気付くのは時間の問題であると思う。 問題は何時気付くかということだ。

Bさんには、このページの存在はお知らせしてあり、検索すればそれが私のページであることは分るとお伝えしている。 心中複雑であろうが、思いなおして検索されることをお祈りする。 本人が気付けば、洗脳は必ず解けるものだからだ。 自分には、洗脳が解けるよう事実をお知らせするしかない。筆者は他人の人生を変えられるような聖人や君子ではないからだ。

マニフェスト

2009/08/03

解散総選挙も決まり、最近は各党がマニフェストを発表して宣伝し、同時に他党のマニフェストを非難している。 このような論争は、選挙に役立つことは間違いないと思うのだが、どうも肝心な部分に誤りがあるように思えてならない。
自民党、民主党のいずれも景気対策については重点を置いている。 しかし、ここが誤りではないかと思うのだ。 景気回復というのは、経済成長を続けるということで、簡単に云えば、消費を増やし続けることだ。 消費を増やすためには、人口を増やすことが必要であり、これには自ずと限界がある。 各党は一体日本の人口を何億人にしたいのか。 或いは、輸出型で成長を続けるとしても、世界全体の人口は何億人まで増やすのが適当と考えているのか。 このような、長期的展望を無視した政策などその場凌ぎに過ぎず、先は破滅するしかない。
本当に必要なことは、人々が景気に左右されずに、安定した生活をおくれるようにすることのはずだ。 今のように、景気の悪化によって、職を失い生活できなくなってしまう人が大勢出てしまうような状況を変えること こそが政治の役割であるべきだ。 そのためには、行過ぎた弱肉強食の社会を是正することで、各国と強調して、強過ぎる企業の課税を強化して、 強過ぎることの意味を無くすべきだろう。 強過ぎる企業が存在する裏には、破れて消えてゆく企業と、それによって、生活基盤を失い、 あるいは、実際に生命を失う人がいることを重く受止めるべきだろう。

また、弱者が弱者にならない社会を造ることも重要だ。 例えば、一定規模以上の企業には、障害者の雇用を義務付ける。 単純作業の公務員は、障害者だけとし、障害の無い公務員は、臨時員だけにするなどの法整備も必要だろう。 本当に働けない人には、政府の予算で保護するほか無いが、障害者であっても働ける場合には、 社会の一員として働く機会を提供することで、弱者ではなくなってゆく。

怠けて働かない人は、勤労義務違反として処罰する法整備も必要だろう。 そのためには、雇用を十分に確保する政策が必要になる。 雇用の創出は、生産の増加によって賄うというのは、政治でなくとも民間で出来ることで、 政治としては、社会全体の生産性を調整することによって雇用を作り出すことを考えるべきだろう。 過当競争が起きる理由は、必要以上に強者になろうとする企業が存在するためであって、 前記のように、強すぎることの意義を減らせしてしまえば、自動的に弱いほうにも機会が与えられるようになる。

考えてみると、過当競争を作り出す要因には各個人にもある。 新製品に飛び付いたり、必要以上の利便性を求めることが現在のような弱肉強食社会を作っているとも云える。 全員が少しずつ我慢するだけで社会はずっと住み良くなるだろう。

このように考えるからと云って、選挙を棄権したり、白票を投じたりするつもりはないので、 どこかには投票しなければならない。 しかし、自然科学を理解し、 保存則の成り立たないような政策を主張しない政党が出てくるようにするにはどうしたらいいのだろうか。

各党の主張の矛盾

2009/08/27

衆議院総選挙が近いこともあり、毎朝政権放送を聞かされている。 ニュースを見たくてもNHKは政見放送に相当な時間を割いている。 だからといって民放は相変わらずで見る気がしない。

現在の与党である自民党、そして、大勝が予想されている民主党のどちらの主張も大同小異である。 どちらも、『景気対策』と『官庁の無駄の削減』に焦点を当てており、 大同小異である。 党の政見放送では、どちらの党も、候補者が次々に登場して一言ずつ短いプレゼンテーションをする。 質的にはどれも同じで、具体的な主張ではなく、イメージを植えつけるだけのプレゼンなので聞いていてうんざりする。 ましなのは>日本共産党で、 一般の人に扮した役者の質問に党首がひとつずつ回答する形になっている。 このほうがはるかに分りやすい。 日本共産党はさておいて、上記の2大政党の共通の主張を検証すると以下の矛盾に気付く。

景気対策というのは、端的に云えば、『もっと金を使え』ということだ。 更に簡単に表現すると、『無駄を促進せよ』と主張していることになる。

例えば、十分に使える自動車を捨ててエコカーへの買換えを推進するというのは、経済的には大いなる無駄である。 『こうだといいな』という程度の希望に投資するのは、必要だと云えないものに金を使うということであり、 無駄と云うしかない。

また、高速道路の値下げ、または、無料化というのは、『自家用車を必要以上に運転しろ』というのと同じで、 環境を悪化させ、無駄を促進するのである。

無駄を促進するためには、無駄金を生み出す必要がある。 そのためには、所得を増やすしかない。 サービス業には、人口(消費者数)に応じた本質的な制約があり無限に増やすことはできない。 鉱工業には資源を使うので、当然限界がある。 筆者の目から見ると、無駄は既に限界でありこれ以上無駄を増やすのは、自然則を無視したねずみ講のようなものである。

次の主な主張である『官庁の無駄の削減』というのは、 一方で無駄遣いを促進しておきながら矛盾している。 官庁の使う無駄金は、民間の無駄遣いに貢献しているのである。 精々高過ぎる人件費を是正し、無駄金を特定の公務員に付与することを防止すること位しかできないのではないか。

筆者が何度も主張しているように、最も重要なのは、景気に左右されない安定した生活基盤を築くことなのだ。 そのためには、過当競争を防止し、自家用車を止めて公共交通機関を利用するなど、 多少の不便さを皆で共有してゆくことが必要だ。

因みに、日本共産党の『建設的な野党』というのも、『良い案には賛成し、悪い案には反対する』というような説明で、 納得する人は居るのだろうか? 建設的というのは自分で造ってゆくものではないのだろうか?

最後にひとつだけ煙草の問題に触れておくと、テレビに映る自民党の会合には必ず灰皿が置いてあるのに対し、 野党の会合には灰皿が無い。ということは、政権交代したほうが、煙草の対策が進むのではないかという期待が持てそうだ。

煙草の問題あれこれ

2009/12/13
煙草増税
民主党が政権をとってから暫くして、煙草の増税議論が盛んになっていたが、予想通り萎んでしまった。

  民主党は自民党よりは多少期待できるかと思っていたが、結局は、自民党と同じ、口先だけだったと云うことか。 増税論のときに、発煙者比率を減らして健康阻害要因を減らす(表現は違うが)ということだったが、 これはおかしいと思っていた。 増税と健康を守ることとは全く別のことである。 こじつけも甚だしいのでうまく通る訳が無いのは明白だった。

 健康を守るのであれば、先ずは、煙草税を、煙草対策のための目的税にすることが先決であって、  一般財源にしたまま、煙草税の税収を期待するというような別の議論をしても始まらない。  そんな当たり前のことが分らないような頭の悪い人が多過ぎる。

  民主党の議論をそのまま拡張してゆくと、その先に期待するものは、『税収増加』かつ『発煙者の減少』となる。 そんなうまい話があるのか。 一方で煙草の被害から国民を守るようなことを云っておきながら、煙草による汚いカネを税金として使おうと考えている。 これこそ愚の骨頂と云うべきことだろう。 さらに云えば、これは、詐欺で騙したカネを貰うようなものだ。 そんな汚いカネは御免である。 もっと国民のためを考えたカネの回し方考えて欲しい。



税収

 国家予算を論じるうえで、最も重要なのは、歳入である。  歳入は云ってみれば、国家の収入のようなものである。  そして、収入に『応じた』支出を考えるのが、予算案のはずである。

  報道を見ていても殆ど議論されないのが、税収という歳入である。   すなわち、国家の収入がどうなっているか分らないままに、支出ばかり論じている。   身の丈を知らずに生活設計をしているのである。

    北沢栄のウェブサイトに、題81章『   税収の半分が公務員の人件費/間に限りなく支配される恐怖』というところがある。   ここで云う公務員の定義が正しいかどうかは別として、国家の支出のうち多くの部分が公務員『等』の人件費に充てられていることは、   大筋間違っていないのだろう。

   ここでふと思い当たるのは、営利企業の収入支出の予算の建て方である。    営利企業は、収入を増やすことを主目的にしているから、売上が少ければ、経費や、原材料費等を削減して生き残ろうとする。    その中に、従業員の賞与切り下げや、究極的には解職などもあるのである。

  ところが、公務員には、何故か、『賞与』が支給されている。 賞与とは、別名期末手当と云い、儲けが多かったときに、税金対策として従業員に還元されるのが本来の目的だった。 公務員は、利益を上げないから、賞与があること自体そもそも理屈が通らないはずなのだ。 それなのに、民間の収入が減り、その結果として税収が減っても何故か公務員には賞与が支給される。 上記の北沢栄の主張が正しいのであれば、公務員の賞与を削減するだけで、 事業仕分けで節約する額より遥かに大きな金額が削減できるはずなのだが、何故そのような議論にならないのか、理解に苦しむ。 これも煙草利権の問題と同じく、隠されている利権なのだろうか。

 このような議論がオープンに実施されないようでは、煙草の撲滅も先の話だろう。  

 
 
『たばこ吸えます』

  今日、東京駅八重洲の地下街を歩いていたら、『たばこ吸えます』という張り紙が、飲食店に貼ってあるのに気付いた。

  最近、ようやく禁煙のところが普通に見られるようになってきたが、それでも、完全禁煙の飲食店はごく少数である。 それなのに、態々『たばこ吸えます』などという張り紙をするということは、禁煙が当たり前になりつつあることを意味しているのだろうか? そうだとすれば歓迎すべきことである。 しかし、そのように単純な話とは思えない。 良く分らないが、『たばこ吸えます』と書いてあればそのような店に間違って入ることはないので、親切といえば親切である。 少数の発煙者に媚びて、多数の客を締め出している愚に気付かないのも哀れな話である。

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