- 煙草の問題を考えよう-  Smoke Stinks
ショートコラム

このコーナーは、感じたことを気軽にまとめた放言です。

今まで、重い話題が続いていたので、ちょっとストレスが溜 まってきました。
そこで、ある意味、ストレス発散のためのコーナーを設けてみました。気軽にお読み頂ければ、皆様も発散になるかもしれません。ではどうぞ。

<更新日及び目次>

2005/12/04    煙草擁護者のプロ ファイル <ブラックジョークです→2006/09/03削除>
2005/05/03    語らずも見掛け で分かる発煙者 <皆感じていることを書いてみました>
2005/05/03    発煙者の 深層心理は? <冗談ではありません>
2004/10/13    集団自殺? <冗談ではありません>
2004/10/07    あるタクシーでのこと <実際に会ったタクシー運転手のことです>
2004/09/28    煙草は何に悪い? <ブラックジョークです>
2004/09/23    何か変 <狂っているのは何故?>
2004/09/19    発煙者のたかり症 <これも皆さん感じていることでしょう>
2004/09/19    禁煙にすると客が来なくなるという幻想 <皆で考える必要があります>

以下もご参照ください。
総合目次 全体の内容を書いています
禁煙スポットを応援しよう 禁煙状況に共感が持てる飲食店や施設などを紹介しています
ウェブ講座 煙草の害に関する統計やモデルの評価方法などを紹介しています
煙草の問題を考えるブログ
2012年以降の日記です
伝言板 読者や筆者からのメッセージです



あるタクシーでのこと

2004/10/07

先週から仕事で毎日タクシーに乗っている。昨日も乗る機会があった。場所は横浜市内である。
別のコラムで、"タクシーに乗りたくない理由"というのを書いた通り、東京や川崎では臭いタクシーが多いのである。横浜のタクシーも臭うことは臭うのだ が、あまり変な運転手には当たったことがない。
昨日(先程)乗ったタクシーは、乗った瞬間にタバコ臭がしたので、運転手に注意した。

"このタクシータバコくさいね。タバコ嫌なんだよ。(窓を)開けていい?"
"はい。すみません。"
"実は、私も、人のタバコは嫌なんですよ。"
"だったらよけいにだめだよ。客に失礼だよ。"
"はい。すみません。実は私もタバコを止めようと思って3回ほど禁煙したことがあるんですよ。"
"いや。(失敗しても)いいんですよ。何回も挑戦してください。"
その後、道すがら、タバコは政府やタバコ会社に騙されている話とか、自分が止めた話とか、一体幾ら遣って損しているかなどと、時々話した。その運転手は、 気がいいと見えてタバコが嫌いな話は嫌そうではなかった。そして、降りるときに、"禁煙頑張ります。"と云ってくれた。それに対して、"頑張ってくださ い。明日からとか言ってはだめですよ。今日から頑張ってください。"と激励してお別れした。

自分は、若い頃は知らない人とは殆ど会話が出来なかったのだが、最近は妙に自然に話せるようになった。歳を重ねると自然にそうなる人が多いようだ。不思議 なものだと思う。

果たして、頑張れるだろうか。他人事ではあるが、陰ながら応援している。
以上




煙草は何に悪い?

2004/09/28

煙草は体に悪いと言われる。もう世界の常識になっていることだ。しかし、それだけだろうか?実際には、精神にもっと悪いのではないか?

人が嫌がることはしない、というのが、昔からの道徳で、かつ、常識だ。何故なら、自分がされたら困るからだ。だから、正常な人は、無意識のうちに、人の迷 惑を掛けないように配慮する。

しかし、発煙者はどうかというと、発煙者は、発煙が人に嫌がられることを知っている。だって、自分でさえ換気しながら発煙するわけだし、仲間内で発煙して いるときも副流煙が仲間のところにいかないように配慮する。ところが、知らない人に対しては、全く配慮することがないのは見たとおりだ。更には、"嫌がる ほうが我儘だ"という論理を組立てて自己内部で矛盾を解決しようとする。
これは、煙草によって精神を病んでいるという証拠ではないのか。

発煙者もこの矛盾は知っているはずだ。悪いと思うなら直して欲しいが、それができないところが煙草による精神毒なのだろう。

以上




発煙者の たかり症

2004/09/19
最近、あることに気付いた。発煙者は、たかり症が多いことだ。
例えば、飲食店に入って、灰皿を出せと要求する。しかし、それに対して対価を支払うつもりはない。発煙すればコストがかかるのに、他人にそのコストを負担 させようとするのだ。それに対して何も疑問に思わない。

発煙者の集まりがある。別に発煙者の集いでもないのだが、巻き込まれてしまった人も居るだろう。中に、一人煙草の切れてしまった人が居る。そして、他の発 煙者に、1本くれという。お金を出して買った人にだ。

随分前に最初に会社に入った頃、発煙者の灰皿を、別な非発煙者が片付けさせられていた。別に何を疑問思っている訳ではなかったのだろう。感謝する素振りも 見せていなかった。

今でもそうかは分からないが、喫茶店は大抵、店名入りのマッチを置いてあった。煙草の消費のためにのコストは他人に負担させるのが常識だった。今でも、頑 なに信じている輩が大勢居る。煙草会社も無料で携帯灰皿を配ったりする。

自分も仕事で他の会社に出入りすることがある。そこでは、自分のごみは持ち帰らなければならないのだが、何故か、煙草の始末だけはしてくれる。社会全体が 煙草の世話をしてくれるようになっている訳だ。

吸殻をポイ捨てするのも、誰かがタダで片付けてくれると思っているからだ。
このたかり症、何とかならないものか。
以上




禁煙にすると客が来 なくなるという幻想

2004/09/19
禁煙にすると客が来なくなると思っている飲食店主が多いという。多いというより殆どの場合そう思っているのだろう。煙草に関しては国全体で常に超法規措置 をとって特別扱いしてきたのだからそのような幻想を抱くこともある程度理解はできる。しかし、本当にそう思っているのだったら、はっきり言って経営のセン スがない。

さて、禁煙にしたら本当に客が来なくなるのか考えてみよう。恐らくこのような幻想は、以前に、煙草を吸わせろと騒がれたとか、自分の見た客は殆ど煙草を 吸っているとか、或いは、禁煙にしないことを咎められた経験がないとかそのような理由だろう。

実際に客が来なくなるかどうかは、検証が必要だ。例えば、食事をするところで"煙草を吸わせろ"と言って騒ぐような阿呆は来なくなるだろう。そこだけ見れ ば客が来なくなる、という考えは正しいように思える。
問題はその次だ。実際には、煙草の被害に遭うのが嫌で外食しない潜在顧客の人数を知らなければならない。次のようなに考えてみれば良い。

記 号 内 容 備考
X 禁煙、発 煙に関わらず来る客数 そこでどうしても発煙しなければならない客が何人居るのか?
Y 店に発煙 するために来る客数 発煙不可なら来ない客
Z 発煙被害 に遭いたくないので来ない潜在顧客数

ここで、Y>Zなら、店主の経済に関する仮説が正しい訳で、Y<Zなら、禁煙によって顧客が増えるという訳だ。しかし、発煙するために来る客 なんて一体どれくらい居るのだろう?何かものすごく惨めで哀れな気がするのは自分だけだろうか?勿論、これだけでなく、発煙により増加するコストも考える というのが経営だろう。

ここまでは、あくまでも、店主側の利己的な問題だ。しかし、問題はそこだけでなく、法律を遵守するかどうかということも考えなければならない。店内での発 煙を許可する飲食店は、健康増進法違反である訳で、法律違反を店に強要する客というのもヤクザと一緒だ。そんなヤクザのために、敢えて法律を破り、善良な 客を犠牲にするというのも如何なものだろうか?

それにしても、販売自体が超法規的措置となっている(公然と毒物を売っているということ)煙草は、一刻も早く社会から抹消すべきだろう。

以上





集団自殺?

2004/10/13

"若い男女7人が車内で自殺、ネットで知り合う?"

こんなニュースが目に付いた。自殺は嫌いだ。うまくは 説明できないが、運悪く生まれてしまったとしても、一旦生まれてしまったら生きるのが義務のように感 じてしまうからだ。

これはさておいて、最も身近な自殺法は、発煙である。 発煙は即効性はないが、時間をかけて苦しみを誘発し、死に至らしめるものだ。これは同時に殺人でもあ るわけだが、発煙者を見ていると、集団自殺と巻き添いの他殺を実行しているように感じる。

そのように感じるのは、発煙者同士の、一蓮托生みたい な妙な連帯感というか足の引張り合いが見えるからだ。

"煙草が体に悪いことは分かっている。しかし、他にも不 健康仲間が居る。まさか、自分だけ悪くなることは無いよな?悪くなっても皆一緒さ。"

それが何となく安心感に繋がっている。だから、仲間が 煙草を止めようとすると、自分だけ取り残されたように感じ、邪魔をする。

"自分だけ止めるなんて許さない。意地でも止めさせてや らないぞ。"
発煙者以外に対しても、

"自分だけ、病気になったら寂しい。道連れにしてやる ぞ。"

発煙者には、大抵このような感情が見える。これは、集 団自殺であり、また、自分の死に伴う道連れの強制(無理心中=殺人)でもある。

恐らく、この矛盾に気付いている発煙者は多いはずだ。 気付いているなら即刻止めて欲しい。更生するなら今がチャンスだ。
以上



発煙者の深層心理は?

2005/05/03

数十年前のことだと思うが、かつて、深層心理という言葉が流行ったことがある。そこで説明されていた深層心理という用語は、学術的な理解とは異なっている かもしれないが、本人が意識していないが、心の底で考えていること、というような意味だった。例えば、合格したいと云いながら試験を目前にした学生が勉強 しない場合は、本当は合格を願っていないのだ、というような説明が為されていた。実際の行動と意識していない心理との間を説明するということで、いろいろ なところで用いられていたように記憶している。

さて、発煙者の心理は実際に体験してみないと分からないかもしれないが、深層心理という考え方で分析するといろいろな説明が可能になる。

(1) 健康なんかどうだっていいのさ、別に将来がどうなろうが、今が良ければそれでいいのさ。
先のことなどどうでもいい。今は空腹じゃないから煙草の出費が優先だね。後で食事が出来るかどうかはそのとき考えるからね。
(2) そこのけそこのけ、私が通る。世界は全て私を中心に回っている。私の吸殻は誰かが私のために掃除してくれるし、私の出した煙なんか他の人はどうだっていい のよ。世界の中心は私だからね。

発煙者の実際の行動を目にするとこんな心理が見えてくる。逆に言えば、こういう心理でなければ発煙なんかできないのだ。

また、煙草製造販売業者の深層心理はこうだろう。

(3) 自分が儲かればそれでいいのさ。人の健康や生活なんかどうでもいいからね。

このように見てゆくと、煙草の悪影響は麻薬と全く同じと云っていい。云わば、煙草の存在自体が社会問題なのだ。逆に云えば、そのような心理の人が多く煙草 に集るのか。それとも煙草によってこのような精神の病に冒されるのか。

私事で恐縮だが、自分の周りの発煙者について、思い出してみると、発煙者は概してマージャンが好きだった。マージャン以外にもパチンコ、競馬など賭け事を 愛好するものが多かった。それと学生時代は、試験前に集まって共同一夜漬けをする者が多かった。また、留年するものも多かった。上記の発煙者の深層心理 (1), (2)を思い出すと皆当てはまっているではないか。やはり、多くの発煙者の深層心理には共通のものがあるのだろうか。

以上



語らずも見掛けで分かる発煙者

2005/05/03

今年の連休も家でゆっくりと過ごしている。人々が出か けるのに合わせて混雑を増長するのも気が引けるし、どこに行ってもお金がかかるのもケチな自分にとってはあまり良い選択肢とも思われない。そこで、今年も 例年のように自宅で過ごし、東京都心に偶に出かけるというプランにした。

今日は憲法記念日なので、昨年の暮れに書いて塩漬けに しておいた、あるホテルでの事件についての記事を載せようかと思ったが、それについては未だ迷っている。一気に書いてしまったが、思い起こすと今でも腹立 たしいし、だからといって本当のことを書いてそこに干渉しようという気は無い。いつの世の中もそうだが、正しいことを主張するというのは、本当に大変なこ となのだ。困った
ことに、誤りでも皆で信じれば正しいかのようになってしまう。虚構も固まれば正論と欺瞞の区別ができなくなってしまうのだ。しかし、この 話題は、法律上の重要な解釈問題を含むので、専門家ではない自分には難しく、また、似非専門家では全く理解できない内容なのだ。伝言板には少しだけ触れた が、司法試験の勉強をした(=受からなかった)ことを自慢する似非専門家の話だ。少し重い話題なので、また読み直してからアップロードしようと思う。

さて今日は軽い食事の話題だ。このところ少し暑くなっ てきたので、鰻が食べたいかなと思っていた。そこで、今朝、以前から一度行ってみたかった、上野にある老舗の鰻屋のひとつに行ってみた。食事の時間は多少 早め、その理由は当然のことながら煙害に遭う可能性を少しでも下げるためだ。

午前11時過ぎに店内に入ると予想通り 他にだれも客が居なかった。しかし、この店は、ちょっとクサイ。勿論染み付いた煙草のニオイが大部分を占めるのだろうがその他にも何かのニオイがした。思 い直して、隅の煙が最も来なそうな席を確保してから一番安い鰻重を注文して待っていると、暫くしてから、年配の紳士が一人来店した。自分と連れの視線がそ こに集まる。勿論、タバコを始めるかを見るためだ。緊張の瞬間である。顔を見ると何となく安全そうであった。大丈夫。緊張が解けた。

その後、中年のカップルが入店して隣の 席に座った。今度は緊張しない。顔を見ただけで発煙者だと分かったからだ。待つ間もなく発煙を始めたので、席を移動した。

暫くして、やっと出てきた鰻重をせっせ と食べ終えて退散した。鰻の味は別に悪くはなかったが、もう二度と来ないだろう、と思った。

今日、改めて感じたことがある。

"語らずも見掛けで分かる発煙者"    -by Smoke Stinks

やはり、発煙者は大抵見ただけで分かるのだ。勿論全員 を判別できる訳ではないが、ある種の顔、服装、装飾品、行動などを見ると、一目でほぼ完全に発煙者と特定できる人々が居る。具体的に書くと、差別だと言わ れ るのでこれ以上の詳細は書かないが、"その上品な振舞が発煙者であることを思わせた"というわけでは決して無い。念のため。

やっぱり日本橋三越の地下のカウンターコーナーに行け ば良かった。少々後悔。

以上



煙草擁護者のプロファイル

注:読者の方から不適切だとの御指摘を頂きましたので、この項は見えないようにしました。読みたい方は、ページのソースをご参照ください。確かに個人攻撃 とも云える大人げないものでした(2006/09/03)。以下の日付から下をクリック−ドラッグすれば字が見えます。

2005/12/04

最近中々更新できなくなってしまった。いつも思うところはあるのだ が、自分のページを読み返してみると、自分の頭にある部分はかなり書き尽くした感があ る。いつも思うのは、煙草を擁護する人は低レベルだということだ。支離滅裂、文章からは目的不明でどうにもならない。色々な意味で興味深いが、こういう人 たちが居ると世の中も良くなっていかないのだと思う。

さて、今回はこのコラムの趣旨に沿ってちょっと皮肉を込めたエッセ イを書いてみようと思う。別に正しいことを探ろうというわけではなく、面白がって書いて みただけなので当たるも八卦当たらぬも八卦、暇つぶしにお読みください。

このサイトでも紹介している、”正しい喫煙マナー”の掲示板は面白 い。笑わせてくれる煙草擁護者が出没するからだ。上記のような支離滅裂な主張、すぐにぼ ろが出る知ったかぶりの浅薄知識のオンパレード。放っておけばいいと思うが、ご丁寧に解説してくださる方の書き込みは興味深いし、その他にも真面目に対応 する方もおられるので、読んでいて暇が潰せる。どのハンドルネームの方かは、書かなくても分かるのであえて書かないことにした。ここで焦点を当てるのは、 仮に、Kと読んでおく人物だ。

Kは、自称農学士。自称博識である。こういう人物がどのような者か を考えるのは面白い。

Kは農学士であることを自慢している。他の人が無知の無教養である という態度をとる。今時学士なんて石を投げればぶつかるぐらい居るのに態々それを自慢す る、このことから想像すると、Kの出身地には、大学進学者が少ないと考えられる、例えば煙草農村のような人口の少ない地域だろう。元々人が少ないので、当 然進学者も少ない。ただそれだけのことだ。それと、大学卒業であることを自慢することを考えると、子供の頃は 周囲に敵わず惨めな思いをしていたのだろう。それが、周囲の出来の良い子を差し置いて大学に進学できたので余程嬉しかったに違いない。

Kの年齢は30代位、或は40位らしい。バブル経済の盛りに大学を 卒業して就職している。既に別のところで書いたが、バブル経済の時期には、大抵の大会社 に質の悪い新入社員が紛れ込んできたのだ。Kの周囲には余程出来の悪い同僚が多いらしい。だからKのような頭の悪い人間でも偉くなったかと錯覚するのだ。

Kは、最近法律の勉強を始めた。しかし、法学部の勉強のように、判 例、学説を通して考え方を学ぶのではなく、実用的な試験対策に特化した勉強のしかたで、 丸暗記方式である。丸暗記方式は、昔から最も駄目な勉強方法で、これが身に付いてしまった人は、大抵受験に失敗、希望校にが入れない。その後も泣かず飛ば ずで、学校で学んだことはさっぱり活かせない。中には、要領良く重要部分だけを選択的に暗記できる人も居て、こちらは、希望校か希望校に近いところに入り その後も社会で活躍する人が多い。似ているよう で全然違う。多分、Kは前者だろう。

Kは法律の勉強を始めただけではなく、裁判まで傍聴するらしい。余 程暇な職業に付いているか、或いは、会社の指令で動いていると考えられる。上記の法律丸 暗記方式は、会社などで必要な人が受講するお手軽講座の典型なので、法律講座を受けさせられ、裁判の傍聴まで仕事の一部としてやっていると考えられる。こ のことから、 Kは、訴訟を受けることの多い会社に勤めていると推定できる。余分なカネがあって、訴訟を受ける、また、個人的に煙草を擁護する。しかも農学部出身となれ ば多分煙草会社だろう。

ここまでの想像が正しいかどうか分からないが、正しいとすると、煙 草会社が相当苦しい状況にあると想像できる。出来の良い従業員が少ないか、辞めてしまっ たかで、質が相当に落ちている。だから、Kのような出来の悪い従業員に金をかけて教育しなければならないのだろう。

今回は、おふざけのつもりで書いてみた。”正しい喫煙マナー”の掲 示板は笑えるが、本当はもっとちゃんとコントロールすべきではないかと考えさせられる。

以上




何か変

2004/09/23
先日、発煙者は脳梗塞にかかる割合が高いのだという厚生労働省研究班の報告書について、NHKの夕方のBSのニュースで報道していた。このことは予想通 り、大新聞のウェブサイトでは触れていなかった。厚生労働省の研究のやりかたについてはいつも不満があるのだが、それはさておいて、こういう煙草会社に都 合の悪いニュースはさっぱり報道しないものだ。

さて、本日は、秋分の日だ。
というわけで本日は自宅にいてテレビを見ていたら、富山県の魚津地方で、焼き鯖とくるみの押し寿司を食べるので寝たきりの痴呆症患者が平均より少ないのだ というようなことをお昼の番組で言っていた。このサイトの読者の方はもう既に次に書こうとする内容について予見されているに違いない。

そう、寝たきり痴呆症になる原因となる要素について分析することも無く、たまたま出てきたデータだけを使って番組を組み立てているわけだ。そもそも、寝た きりと痴呆症は全く別の症状だ。すなわち、この2つを組合わせる理由も明確ではない。別々に議論した後にその組合わせについて考えるのが物事の筋というも のだ。尤もらしく喋っている司会者やゲストが皆阿呆に見えた。

敢えて主張したいのは、健康食について考える前に不健康要因を排除することだ。上記のような番組は、視聴者に、健康食品が不健康要因を排除するかのような 誤解を与えるのが目的だろう。この議論は煙草の議論と一緒だ。よく見るのが、"自分は発煙者だが、体に悪いことは他にもたくさんあるので、煙草の影響は気 にしない"とか"他に健康法を実施しているから大丈夫"のような主張だ。こういう主張を見ると、その主張があること自体、阿呆な社会なのかと思ってしま う。煙草の他にも体に悪いことがあるというならその程度はどれくらいなのか、また、他の健康法が煙草の解毒剤になっているのか、何の検証もせずに、阿呆面 で主張する人が居れば、それを聞いて納得する人も居るということだ。

このような、愚かな考え方を排除できるようにするためには、教育しかないと思うのだが。
今後の教育に期待しよう。

以上

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